対立する価値観

先ほど帰ってきました、いや忙しい><
忙しい時ほど思考停止になっちゃいますっ
って事で今日もブログ更新。


この本(クリック)を読みました。
もう新鋭、とまでは言えないかもしれませんが、「現代若者論」をずっと語ってきている学者さんです。

本の要旨:オヤジ、そこ違うんじゃない?



僕は誰もがゲームの世界で生きているんだと思います。
オヤジなりの出世ゲーム、
大学生なりのリア充アピールゲーム、
若手社会人なりの合コン・コンパ・社畜(!?)ゲーム、
学生なりの恋愛ゲーム、
フリーターなりの気楽に生きたいよゲーム・・・。

全て皮肉ではありません。

本当に皆何らかのバックボーンをもって必死に生きている。

いや、以前の記事(クリック)を参照してみればわかると思いますが、そう生かされている。


ゲームだと思うんです、所詮ゲーム。
自分たちが選ぶのではなく、そう選択させられる、
周囲の環境、及び自分のそこまでの人生過程において・・・。


何度も言っているかもしれまんせが、僕たちはベクトルが定められている一つの駒だ、
ただその事実を認識しているかしないかで人生の質、及び社会全体の在り方が大いに変わってくる、

って僕は思うんです。


僕も結局人生の方向性は決まっていたのかもしれません。(どんな方向かよくわかりませんがw)

ただ、その定めに抗うってことは決めていますw


まぁそんなことは置いといて、この生かされるゲームの中で個々プレーヤーは何を思い何を感じるのでしょうか。

それもやっぱり外部環境による要因ってのが1番大きいと思うんですよね、
つまりゲームの舞台。



ダラダラ言っているかもしれまんせが、端的に言うと
「オヤジはオヤジなりの論理がある」
ってことなんでしょうね。


僕はまだ年齢的にも「若者」と呼ばれる世代かもしれません。(ちなみに、ちょっと前26歳の誕生日でしたw)
だけど、安易な「オヤジ」批判は嫌いです。

ステークホルダーなんです、少なくとも。
「オヤジ」世代が必至に考えて、必死に生きてきた結果こんな社会になっているんじゃないんですかね?


また、この文脈で僕は安易な「若者」批判も嫌います。
よく聞きますよね、「近頃の若者は・・・。」
このフレーズは嫌いですね、そんな若者を育てるような社会にしたのは誰だっていつも思ってるんですよ。。。

要は「世代を通り越した考え方」ってものがあるんじゃないかと僕は思うんですよね。
若者VSオジサンって構図で対立すrんじゃなくて、
結局「そっちはこんな苦労があるんだよね、わかるけどこっちもこんな苦労もあるんだよ」的な妥協点の探り合いみたいなアプローチしかこのしがらみをなくす方法はないと思うんです。

妥協点の探り合い、それが政治の本質的な役割だとも僕は思っています


今自分が置かれている環境で何を望んで何に対して妥協するか。

そして対立するステークホルダーに対してもどこまで求めてどこまで「分かり合える」か。

更にその「分かり合える度」によって社会全体の質、僕が常日頃から言っている「過ごしやすさ、生きやすさ」が左右されると僕は思うんです。


ってことですが、読んだ本の批判をしたつもりはありません。
「オヤジはこう思っている」っていうようなことを考えるヒントにすれば良いとおもうんです。

僕たちは皆何らかのステークホルダーである、
それを踏まえた上で僕はこのように行動する、
その考え方、認識自体を僕はこのブログのタイトルでもありますが「一般教養」と再定義しています。




そして最後に・・・
「だから僕たちはズレている」
っていうようなことを言えたらいいですね。

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Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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