人と制度の歴史


なんか学問っぽい、よく考察された理論を披露する、みたいなタイトルになってしまいましたw
そんな理論ありませんw
ただ幾らか自分の頭で考え抜いた仮説はあります。
(ここでは仮説を理論構成要素とみなすことにしましょう、つまり僕はまだ未熟段階です)

社会・制度が人を作る

これは僕が以前から述べていた仮説部分に該当すると思います。


今日はここからの考察。
制度によって作られた人が、生み出す新たな制度は、一体どのような位置づけにすべきなのか?

これは根本的には人が先か?或いはその周囲の制度が先か?みたいな
ひよこと卵みたいな話になっちゃうと思います。


ややこしくなっちゃうかもですが、
人は生まれてきて周りの環境によって育てられ、
例えば民主主義というプロセスを通して新たな制度を作るように決定付けられます。
それが歴史の変革だと思うんですが。

人が人を支配するっていうのは、結局こんな仕組みを理解し使えるようになることが条件だと思うんです。


ただ気になるのは、この過程の中で、歴史の変革の中で、人間は「進歩」しているのか?
ってことですね。
そもそも進歩って言葉を人間にあてはめる自体おかしいのかもしれませんが、
上記のいわゆる「後世への社会制度おしつけあい合戦」の過程で元々の人間像から人は変わって
いかざるを得ないと思います。

その変化は正しいのか?
これも正しいって言葉は適切ではないかもしれませんが、
ここら辺は非常に哲学的な問題ですので省略ですw



以降僕の日本(人)に対する仮説です。


元々島国に住んでいたこともあり、人と人との関係が明文化された法律等で決まっている、いわゆる「社会」の中で生きているのではなく、
人と人とのface to faceの対話を基とした「空気」や「暗黙の了解」が重要になってくる「世間」の中で生きてきた。
「世間」をうまく生きる上では他人との関係はうまく築きあげなければならない。
他人との関係を構築することが特に重要視された。

その中で近代化を迎えた。
欧米から思想を輸入し、モノゴトを合理的に、効率的に考えることをさせられた。

行為は全て「価値」に還元され、市場の中でそれが「等価交換」を原則のもと取引・売買される。
その中では人は消費者と生産者に区別され、演じることを強要させられる。

資本主義ゲームが高度化する上で人はプレーヤーとして合理的に行動することを学ばされていった。
それは孤立的に、利己的に行動することも意味する。

各個人が自分のことのみを考え、行動するようになった結果非常に生きにくい社会が出来上がってしまった。

以上。



(ここから雑感。)

そもそも、資本主義ゲームのプレイヤーはそれである以前に社会を構成する人の集まりの一部である。
金儲けとか、会社のため、とかそういうのもいいけど社会のためにはって部分を強く意識しないといけないんじゃないですかね。。。

改めて制度作り。
皆が皆のことを考えて過ごせるような社会ってどういうのか考えるのが必要な時代なんじゃないですかね。



そして僕のこの気持ちを広めるにはどうしたらいいんですかね・・・・・・・・・・・・・
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司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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