教養のための論理的思考

今回は意味不明なタイトルをつけてみました。
僕にとっても意味不明です笑

僕は、一般教養とは、「社会の仕組みを理解する」ことだと思っています(何度も書きましたが)
さらにそこから発展して、「社会の仕組みを理解する」ことは「当事者・内部組織の論理を理解する」ことだと思っています。

抽象力が高すぎると意味不明ですね。
では具体的に。

彼女・彼氏と別れる理由で多いのは、「価値観の差」というものがあります。
お互いの価値観が違ったのでしょう、すれ違いです。
そもそも価値観ってなんでしょうか?(←論理的思考Lv.1)
「個人が重要だと思っていることの認識の差」だと僕は思います。

つまり価値観の違いで別れるってことは、「私、こんなことに興味があるんだよ」「俺、そんなことよりこっちの方が重要だから」ってことでしょう。
この対策としては事前の説明でしょう。
「私はこういうことが好き。だからこんなことをするんだよ。」

気づいた人もいると思いますが、直前のこのセリフは「当事者の論理」たるものです。

1 例えばいつも寝ている課長。
2 イジメによる自殺をした、と報道されているのに調査などに消極的な学校。
3 口先ばっかりで何もしない政治家。
4 また不祥事を起こしたあの企業。

全て「叩かれるべき」ものですよね?
間違いなくマスコミは大好きなネタです、視聴率が取れますから。

ただし当事者、本人の「論理」、つまり何故そういう行動をしたか?を緻密に考えてみたことはありますか?

先ほどの批判の上から順番に。
1 家ではいつも深夜まで病気の両親の世話。認知症で夜も出歩く。
2 イジめによる自殺、という因果関係は不明で、実は両親による暴力がその子供にあった。
3 「得票」のためには口で、当選後、議員という身分を守るためには保身に身を捧げるというのが政治家の伝統であった(そうあってほしくはありませんね)
4 この不祥事も前の社長のせいであって、前の不祥事と原因は同じなのに何度もしているようにみえている
という仮定があったならどうでしょう?
接し方・対応も変わってきますよね。
一律にあいつは悪だ、と決めつけるのはその時点で思考停止です。
相手の論理を考え、自分と意見が合わないのはどの部分に相違があるのか。
もちろん世の中に「正義」という確固たる概念が存在する時点で反対の「悪」という概念も存在しうると思います。(もちろん個人の主観に依存しますが)
ただし、悪にもそれなりの理由がある、ということです。
安易は人格攻撃もやるべきではない。
何故そのような人格になったのか。そもそも「社会制度」がおかしいからではないのか?
内部ではなく外部に要因を見つける、これがとるべきアプローチでしょう。


怒りっぽい人っていると思いますが、この考え方をするだけで改善するのは間違いないと思います。
「前のトラックおせーな、とっとと走れ」→トラックのタイヤを見てください。細道など、幅いっぱいをギリギリ走っています。運転は非常にうまい人が多いんです、運ちゃんは。それにトラックは「会社の看板」を背負っている場合が多いです。
「またこの話かよ。うっせーな上司。」→それ程あなたに伝えたいことなのです。こうまでして伝えたいということは他に取り方があるのではないでしょうか?

以上、これは僕の一般教養に対する仮設です。

わかりやすく言うと

この組織に属する人はどういう考え方を持って、その組織はなりったているのか。
こんな行動をする人はどんな理由でその行動をしているのか。
↓抽象化
個人のインセンティブ・行動の意思決定要因を緻密に分析する
ことにより
社会の構造・仕組みが見えてくる。

ここまで仮設を立てたうえで気づきました。
世間一般では、それが「思いやり」と呼ばれていることに。
思いやりを持て、ってそういうことじゃないでしょうか?
一般教養を持て、と同義なのではないでしょうか?
一般教養という概念は思いやりという概念さえも包括するものなのではないでしょうか?


あくまでこれは僕の未熟な論理的思考の帰結であり、仮説です。
皆さんはどう思いますか?
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Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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