「物語」論

本日の考察は物語についてです。

少し前の記事(クリック!)を参照していただければと思います。

社会が人を作る。
人の主体性なんてそんなもん。
事後的に構成されるもの。

って内容でした。

今日はそこから発展させたいと思います。


血液型占いってご存知ですよね?

血液型と性格を当てるやつ。
僕自身はA型なんですが、几帳面らしいですねw
実は非常におおざっぱですw

でもこれを信じてる人は信仰並ですよね、ホント。
合コンでも初対面で血液型推測とかは多少盛り上がり使える手だとは思いますが、、、
僕はこの血液型占いを信じていません。

科学的にも否定されたんじゃなかったけ?

『幼少期から血液型占いに触れながら育ったおかけで、自分でそう思い込みそんな性格を兼ね備えた大人になっちゃった』

本当に血液型と性格に相関性があるならば、この言説を認めざるを得ないようです。
「僕は几帳面で、決定事項は他人にあわせて、同調性を求める性格なんだ!」と思わされながら育ってきた、その結果そうなっちゃった、というのが僕の仮説です。
(よって、反抗的な人は性格と血液型の不一致を招きやすいと思いますがw)


結局ここでも「思考・性格が決定付けられているんだと思います。

これを僕は物語と呼びたいと思います。
すいません、まるで僕は「物語」という単語をカッコ良く再定義したみたいでしたが、
実はよく現代思想分野でも使われる意味での「物語」を準用しただけです。

物語・・・非常に抽象的で扱いやすい(にくい?)言葉ですが、要は始まりから終わりまでの流れの中で、「その過程に対してある集団の中で共通認識を持たれている」もの、とでもいったらいいんでしょうか。難しいです・・・((+_+))


一人一人に物語があるはずです。
例えば人生。
就職して車買って結婚して子ども産んで家買って・・・。
普通な生活っていうとこんな流れになりますよね。
じゃぁ普通の生活っていつから普通になったんですか?
何でそう認識したんですか?
いつの間にか人々の間で共通認識が出来がってしまっています。
これは「物語」です。
僕が本当に言いたいのは、人はこのような物語を想定しながら生きていく上で知らず知らずのうちに物語の上で生きていこうとする、レールに乗ろうとする、ということです。


結局内容は先ほど紹介した前のブログの記事と似ていますが、よりマクロな単位でかつ長期的にも、人が作った環境が人を支配する、ってことを言いたかったのです。

社会人でもそうです。
満員電車の中で揺れながら苦労している社会人を演じようとする社会人。
上司に怒られしょんぼりしながら自分を励まし、苦労しているようにみせかける社会人。
休みの日にもたまに仕事の事を考えながら、俺も会社に尽くすようになったんだなぁとか思いにふけて
会社人間を演じようとする社会人。

どうでしょうか?
ちなみに全部僕なんですがw

「社会人ってこんなもんかな。」っていうある集団(ここでは社会人)の共通認識のもと、自分の思考過程・意思決定までを変えさせられる



人が集まって集団を作る。
その集団の数だけ物語が生まれる。
集団の共通認識、思考様式。


そこまで踏まえた上で・・・
重要なのは物語から脱却しろっとかそんなのじゃなくて、物語を上を歩いている、という認識を持つことだと思います。



そもそも物語を作るのも結局人。
個人の影響力で物語自体を変革することは無理なのかな、なんて思っちゃったりしてます。


おやすみなさいzzz
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Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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