人間の理性の限界

ちーす!

いきなりタイトルが物々しいですが、これは何か?

僕は結局、歴史は人間の理性の範囲を模索しながら変化してきたと思うからです。


共産主義は崩壊しましたが、その制度の本質はいわば「人の完璧な理性」による統治を目指そうってものです。

満足を得る手段=賃金はどれだけ頑張っても定額です。
だけど人ってやれるんだ!
理性って完璧なんだ!
この理論です。

こういう意味では、共産主義崩壊は人間の理性は限界があるってことに他なりません。

また、今の「助け合いの社会」とか、「(経済)思想の右対左の構図~小さな政府対大きな政府~」とか、「弱肉強食」とかよく出てくるキーワードも、理性の限界と関連させて考えることは出来ると思います。


ここで理性って言葉の定義を確認したいんですが、僕は「他人を思いやる気持ち」とか、もっというと「社会(組織)の中で相互に依存しながら判断し行動する力」だと思います。



最近NPOって言葉よくききますよね。
政府も財政的に頼りにならない(政府の失敗)、市場の中でも悪いことばかりする企業が多いので規制せざるを得ない(市場の失敗)という中で、じゃぁ第3セクターがやればいいじゃん!って方向です。

金銭的な見返りを求めない行動。
非合理的な行動。

でも結局この人間特有の性格(理性)を活かすしか方法はありません。
その制度(インセンティブ設計)を学者とか、国の人間が一生懸命考えているんです。



その際の判断基準として非常な重要なキーワードが合理性です。


経済学上の合理的経済人モデルは近年主流の経済学のモデルでもありますが、
今現在では、元々あるインプットに対しどのようなアウトプットをすれば合理的、とみなされるか?
つまり合理性の再定義を研究している段階だともいえると思います。

人は常に自分のことだけ考えてる人って少ないんですね。

利他的な部分も含めて、人の行なう意思決定=合理的行動の枠組みを再度考えようってことです。





・・・以上!
今現在発展途上の僕の仮説になります。

おやすみなさい^^

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Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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