倫理と合理性

僕はよくこのブログでも合理性って言葉を使います。


定義の確認。
合理的:
1 道理や論理にかなっているさま。「―な自然界の法則」
2 むだなく能率的であるさま。「―な処置」


その上で・・・
僕は一つの発見をしました。

「倫理ってものは、歴史に担保された合理性」

どういう意味か?
ある倫理的な命題を考えてみましょう。
「人を殺すのはあかん」
(関西弁でなくてもいいんすけどw)

何故人殺しはだめなのか?

自然権的思想からの帰結??
ダメなものはダメ??
それとも別に良い派??

あなたはなんて答えますか?

人殺しは倫理上よろしくはない。
歴史的に・・・長期スパンで考えると人類生存のためには、人殺しは非合理的な判断になるのです。


他にも色々倫理=モラルの問題を考えてみてください。

長期的には・・・そして個人って単位ではなく、社会全体として考えると、ベターな選択肢ってあるんです、それが倫理です。

倫理って、人類の叡智の結集っていっちゃってもいいと思います。



また昨日のブログのテーマに関連させたいと思います。昨日の記事(クリック☆)

「何故学校へ行って学ぶ必要があるのか?」


義務教育って強制です。
個人の選択の権利はそこにありません。
学校に行かなくちゃならないんです。

でも利己的な判断をする人もいますよね。
『比較検討、総合的に勘案した結果学校など行かずに、幼い頃から専門分野のエキスパートとして育成した方がいい』って思考の人。
ビジネスマンの子供にありがちです。


そしてここで、僕は「学校へ行くってことも倫理上の問題」だともいえるんじゃないか?って思います。
幼い頃学校へ行くのは当然です。人を殺す理由がダメだからってことと似てると思います。


幼少期に学校へ行かなかった人ってどうでしょうか?
僕は、社会という枠組みで見てみると、その人は社会的に「危険因子」とまでは言い過ぎだと思いますが、
社会的に「負の側面」を持っているとは言い切れると思います。


何故か?
一般教養の欠落です。

一般教養って本当に幅広くて、人との接し方などコミュ力も含みます。

個々人の一般教養の欠落は何を意味するか?

周囲の人間への危険です。


経済学でも合成の誤謬という有名な概念があります。
個人の利己的な判断は社会的に、全体的に損失となる。ってやつです。


倫理とは、この文脈で「利他的意思決定の集合」といえることもできるでしょう。

利己的、利他的、合理性。それに対し倫理。

この組み合わせについて今日は考えてみました。

僕の仮説は間違っているでしょうか?
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司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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