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神社でのお祈り


宗教ってのは偶発性を馴致させる装置」 というのは、以前本で読み心に残っているフレーズです。
確か、宮台真司氏の言葉だったような記憶があります。

世の中、理不尽なコトだらけです。
若しくてガンに罹患。
交通事故で家族を失う。
産まれた時から非五体満足。

”なんで自分だけ”
その問いをずっと続けながら生きていく人って、少なからずいると思います。

なんで自分だけなんでしょう。
理由なんてあるのでしょうか。

ここで前世の行い、なんて言われたら何も言い返せませんが、
どれだけ理不尽に自分にだけつらいことが降りかかっても、必死に生きていく。
ってのが一応の答えだと思います。

僕個人はこういう悩みはありませんが、いつそれが身に降りかかるかわかりません。
特に家庭を持った今。
自分のことだけを考えて生きていけばいいわけではなく、これからのことを考えると不安でたまりません。


そして表題に戻ります。
「宗教ってのは偶発性を馴致させる装置」
であり、よって”なんで自分だけ”の解決方法が、神社でのおいのりだったりすると思います。


僕もジョギングコースに、神社があるのでたまに入ってお祈りします。
子供が産まれる前なら「無事産まれますように」。
司法試験予備試験直前では「試験で自分の力が出せますように」。

こうみると、本当に僕って都合いいな、なんて思ったりますが、
祈りって結局のところそういうものではないかと思います。

こんなこと書いてると紙神様に怒られそうですが、
”なんで自分だけ”って問いに対して”祈りが足らなかったから”なんて答えで
納得させてくれたり、
ちょっといいことあるとお祈りのおかけだと思ったり、
人間ってのは「よくわからない」のを一番恐れる生物だと思っていて、
「よくわからない結果」に対して必死に因果を求めようとするものだと思います。


身近なところは
・なんで今日は調子悪いのか
・懸賞が当選しちゃった

なんてところから、すぐ神に頼ろうとしていませんか。

お盆の墓参りもそういう性質を持っているかもしれません。


ただ脆く弱い生き物である人間は、何かに頼らずに生きてはいけません。
身の回りで自分の力ではコントロールできない現象が起きたのなら、それは神の仕業でしょう。



何かあると頼るべきは神であって、
祈りで報われるならそれが正解で、
その意味で本質的に都合いいものだ、
ってことを言いたかったのが今日のハイライトです。


こんなこと書いちゃって、
悪いことが自分の身に続くと、この記事消しますw


すいません、そんな発想も都合のよさが出ちゃってますw



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Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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