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自動車の社会的費用

端的に言って、僕は自動車が嫌いです。

運転するのが好きではありません。
得意でもありません。田舎に住んでるので、仕方なく毎日運転しています。
極力電車を使うようにし、自動車の運転を避けています。

僕が一番嫌いな音は、自動車のクラクションの音です。

さらに言うと、「仕方ない」からと言って車を運転している人はもう少し考えたほうがいいと思います。
自動車を運転するリスクを。

自分が一番違和感があるのは、自動車ってのは『過失なく人を殺す道具』であるということです。
逆に言うと、過失なく自分があるいは家族が、事故により障害を負いあるいは生命を奪われるリスクがある。

自分だけ乗ってるときはいいんですが、子供とか乗せて運転してて、対向車がはみ出してきて当たってきたらどうしようって、
実は常に考えています。
そういうとき、誰がリスクをとるんですか。

相手の運転手が悪いのはもちろんですが、そもそも車を運転しなければいい話だ、ってのが私個人の見解です。

「自動車を使うことにより得られる便益」ってのは特に田舎に住んでいれば不可欠ですが、
運転せざるを得ない環境にあり、電車あるいはバスという公共交通機関を選択できない不利益、
これを社会システムに組み込んでもいいと思うんです。


都市では公共交通機関も発達していて、「自動車に乗るか乗らないかの選択」をできます。
つまり、自動車を乗ることにより発生するリスクを覚悟の上、選択できるわけです。
酒も飲めない不便性も。

それに対して、そもそもその選択権が無い地方(田舎)は、リスクを取らざるを得ない現状に対してなぜ補償をする、
という議論が発生しないのか、不思議でたまりません。


僕みたいな転勤族が、好んで地方都市に住んでるわけじゃないんです。
好んで毎日自動車を運転しているわけではないんです。


タイトルの「自動車の社会的費用」とは著名な経済学者・宇沢弘文氏が書いた有名な本で、学生時代に読みました。

高度経済成長期、自動車の利便性が語られた時代に、極論として「自動車の社会的なマイナス面」に着目し、言及した。

感覚的には、言いたいことは非常にわかります。
今では当時みたいに排気ガスによる問題などそんな次元はクリアしているのかもしれません。

しかし、そもそも上記のとおりリスクをとらざるを得ない環境に置かれ、
それを負担するだけのこの現状は、おかしいと思います。


ここからはわがままですが、
もっと自分が住んでいるような田舎でも公共交通機関が発達して、電車通勤したいな。
ってのが心からの祈りです。

『これが当たり前』
そう思い始めたら
終わりだと思います。
感じる違和感は大切にし、丁寧に言葉にしてこうやって記していきたいです。

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Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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