個人、人権、思想

思想の世界ってのは昔から興味があり、色んな本を読んできました。
そして法律を学ぶと、そもそも個人の価値観とは何かってのを、考えてみる必要があります。

思想の世界。
僕がまず不思議でたまらなかったのは「何をもってこの世界は対立しているのか」ってことです。
身近な問題、現代でも北朝鮮とアメリカだったり、イスラム国によるテロ攻撃だったり、
安全に暮らせる世の中ってのが幻想のようです。

この対立の根本的な部分は、個人的価値観の乖離にあると思います。
そもそも多様性が認められなければ社会ではなく、お互いを認め合い支えあい生きてきたはずです。

人間のコミュニケーションの本質は贈与、交換。
ギブから始まるのが人間関係。

個の繋がりが強く、個性を承認しあいながら生きてきました。
この意味でも個人の価値観つまりは人権は保障され、現憲法上も基本的な人権は「侵すことのできない永久の権利」として明記されています。

しかしこれも無制約ではなく、「公益」を理由に制約されることがあります。

土地の問題で考えればわかりやすいかもしれません。
ある個人が私道を所有し、管理しているところ、それを町道(市道)として使用すると皆のためになる。
公道となることは道自体を所有しているといえど、以降好きに使うことはできず、実質的に寄付するようなものです。

特定の個人の利益を犠牲にし、社会的な効用を増加させる。


こんな事例って実はものすごく身近にあって、逆にそれゆえにもっと考えていい問題なのかもしれません。

結局言いたいことは、
この『個人の人権と社会的利益』のバランスの差ってのが個人の価値観として表れ、
思想対立の要因にもなるのではないか、ってことです。


より個人の人権に着目し、社会全体よりも個人に焦点をあてようというのが「左派(リベラル)」であり
社会全体の効用を高めていこうとするのが「右派(保守)」である。

強引に整理するとこんな感じになるんですかね。
強引すぎるという自負もあり、現状の仮説とします。

ただ、「何を守るか」って核心なところは個人によって差があるのは間違いがなく、
それを認め合い場合によっては譲り合い分かりあう って仕組みはずっと変わらないものだと思います。


法律ってのが、このような国民の価値観を具現化する手段というのなら、
何十年後かには今には考えられないような法律が制定されているかもしれませんね。


法律の厳罰化、少年法の廃止論もよく目にします。
ある意味で、いずれも社会のために犯罪を行うような個人は隔離しろってものだとも思います。

ただこのような問題を考えるので一番重要なのは、「転換可能性」だと思います。
「あっち側の人たち」で終わらせない思考の深さ。
自分が「あっち側」に行かない可能性も0ではない。


法律が正当化される根拠は民主主義にあります。
僕たちで作る民主主義、僕たちで作っていく法律。

そして僕たちはどうあがいても「市民」であり「国民」です。

個人、人権、思想、対立。

究極なテーマ。
この答えのない問題の答えを、僕は生涯かけて追い求めていく気がしてなりません。
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Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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