社会・仕事・承認欲求

「社会人になる」っていうのは少なくともある単位でのうちの一人として働くってことであり、
独立していればそれは独りであり、組織で働くってことであれば複数人のうちの一人であります。

こうやって『集団の一部』に身が置かれ、その結果人は『集団の一部』として思考することになります。

それは独立して一人で商売しているときでも利害関係者含めコミュニティ単位で考えれば『集団』になるであろうし、
組織の中で働いていれば取引先含めてもちろん『集団の中の一人』で仕事をすることになります。


僕の仮設ですが、やはり人間ってのは否が応でも「自分のために」行動するのであって、
そのために「他人から承認」を得ようとするものであります。

利他的にみえて利己的な行為。
結局は自分の生存戦略。
他人から評価されることこそが、生きる上での最良の精神的不可欠な要素になると思います。

・・・
という文脈で、
人はある特定の集団の中で生活(行動)・仕事するうえでは「他人からの目」ってのを
自覚している以上に気にするものであり、結局はこの意味で「組織のために」動いているようなものであります。





・・・
分かりましたでしょうか。
結局仕事に「自己の承認」を求める以上、「組織に身を捧げる」ものになり、
しかし逆に「組織は利益計上のために身を捧げるような正社員よりコストパフォーマンスの良い契約社員・派遣社員を雇う」っていう逆説になっているわけであります。



まぁ何が言いたいかというと、
日本ではずっと職場・会社こそが自己承認の手段であり生きる目的であったりしたけれども、
それは会社が掲げる「ゴーイングコンサーン」って考え方と相性が良くなく、
つまりはビジネスする上では”非属人的要素”を求めるあまりに『これが出来れば誰でも良い』になり、
この意味での職場への過剰のコミットメントは我が身を滅ぼす可能性があるってことです。


【これだけ尽くした(尽くしている)のに、誰も、何も評価してくれない】



評価してくれないのがダメなのか、
そもそも尽くすべきではなかったのか。尽くすベクトルが違うかったのか。




今の日本は、会社単位でこんな矛盾を抱えているように思えてなりません。
他人から評価されるのは、職場以外のどこかでもいいんじゃないですか?
職場以外に、”コミュニティ”ありますか?

多分、無いからこういう構造になっているんですね。

承認欲求を満たすための、職場以外のコミュニティの確保。

例えば”幸福度”たる指標があれば、向上させるためにはこれ以上の戦略はないような気もします。


ほんの少し、 社会もよくなるんじゃないですか。
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Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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