教育の賜物、学問の成功


唐突な質問ですが、そもそも学問の成功って何でしょうか。

勝ち負けばかりのこの世の中。
そこで、勝ち負けに限られない、「成功」について考えてみませんか。

そもそも学問は何のためにあって、教育を行う目的は何なのでしょうか。

多分その答えとして僕が知る限りの一番簡単なものは、「一人前の社会人」になるためです。
教養のあって、分別をわきまえた、大人。


一人前の”社会”人。
社会の中で生きていく。
コミュニケーションを的確に行い、組織の一員となったりして世の中に貢献できる人。

この”社会”って言葉との対義語は”個人”です。

あえて断片的に社会と個人って言葉で分けて考えますが、
この文脈での”個人”が「自分は社会の一員である」って事を否定するなら、
その意味で疎外感的なもの、「はみ出たもの」って自覚を与えたならば、
それは教育の失敗であり、学問が無価値になった瞬間だと思います。

本質的にそうであるはずの、「自分はこの社会の中で生きている」って感覚。
これを個人で否定したとき、社会と個人は分断されます。
個人は孤立します。

この疎外感こそが社会での不協和音でもあり、僕がギスギスした世の中だ、と感じるもとでもある気がします。

ただ、実際はそうではありません。

ちょっとした周りの環境の変化で、耐えられなくなったりすることもあるかもしれませんが、
そもそも人は人のために生きていて、お互い認め合うってのが、
性善説的すぎるかもしれませんが、僕の考え方です。

そして、その延長線上に、
逃げても、避けても『一市民』であることは変わらない。
どうあがいても有権者であり、社会を作るその一人である。
って考え方もあると思います。


その責任感の認識。
自分では何ができるか。
それを考えた瞬間が、学問が成功した瞬間である。


ある意味で、”主体性”
ある意味で、先ほども使った”責任感”
この言葉たちが、社会を支える本当のセーフティネットになると僕は思います。



”教育の賜物、学問の成功”ってちょっとカッコよい(?)ことについて、考えてみました。

そして今日語ったこの意味で、
”ノブレス・オブリージュ”って言葉を僕は使っている、ってことにします。

つまり、
決して、金があるから分け与えろってもんじゃなく、
”教育の賜物、学問の成功”の恩恵を受けている以上、何らかの還元を、
ほんの少し、やってみたらいいんじゃないですか?

そして、それってどういうことだろう?って考え始めた瞬間に、学問の成功は目の前にある気もします。

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司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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