組織の論理 社会の論理

結論をまず端的に。
組織の論理が社会の論理を超えるとき、その組織の存在は社会にとって非常に危険である。

まぁまぁ抽象的ですが、なんとなくイメージ出来るんじゃないでしょうか?
例えば会社単位での犯罪。
自分の会社の論理を一方的に(従業員などに)押し付け、それが共通の価値観として組織内で成立してしまう。
汚職などが常習化する流れは以上のようなものだと僕は思います。

それを食い止めるためにも、常に「社会的要請」というのを考慮しなければなりません。
コンプライアンスという言葉も流行ってますが、それはこの立法を通して社会の要請を意識するためだと思います。


今、世界でも紛争はたくさん起こっています。
例えば宗教問題。
たくさんの人が犠牲になってきましたが、今現代でもリアルタイムで関係ない市民まで殺されています。


「何故、分かり合えないのか?」
それは
対立する相手の論理が分からないからです。
すぐ感情的になる人ってこのような論理的思考がたぶん弱いんです。
すぐ怒り、自分の気に障っている部分の根本的な部分について思考するのをやめている。

何度も僕が言っている「一般教養」とは、社会の仕組みを知ることです。
勿論、宗教問題を真に理解することも一般教養を得るために必要です。
故に、すぐ戦争だ、ケンカだっていう人って教育である程度改善できるとも僕は思うんです。


自分の意見が相手とあわないこともある。
だから殺す。
それが世界で行われています。

「自分の考えを構成する論理は社会に適合するか」
この考え方は一般教養習得に不可欠です。

論理的には正しくても、社会で認められてもらえなければいけません。
社会に適合する範囲内で自分の考えを持つことが必要なのです。


なんか滅私奉公的発言が多いんですが、少なくとも社会を構成する一員としてはそうあるべきでしょう。
無駄な争いを避けるためにも、ラディカルなところでの相互理解が必要。


一番簡単な言い方で表しましょう。
相手の言い分を理解する、ってことです。
少なくとも相手の言い分が社会的に認められるものならば、考えてやる必要がある。
ゆえに、「社会的是非」ってのも考えておかなければならないのです。
その「社会的是非」ってのも、社会の論理で構成されています。


社会の論理を学んだ上で、どう自分は意思決定を行うか。
どのように自分の論理を構成させるか。
この重要性に気づいてない人が犯罪を起こすものだと思っています。

社会の危険因子の一員とならないためにも、一般教養の習得は必要なのです

以上今日の仮説でした。
よく仮説って言葉使うことけど、あくまで発展途上アピールなのでご了承願いますww
間接的な未熟アピールですw
これを結論にして思考停止もしたくないし・・・

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司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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