社会を変えるものは

社会を変えるのは、社会を良くするために必要なのは、責任感。

今日一日考えた結果がこれです。

・・・どうでしょう?w


ただ、いろいろ考えて、酔っぱらいながらも考えたんですけど、
っていうか逆に酔っぱらってないとこういうブログ書けないんですけど、(過去、シラフで書いたものはないです)
前回の記事
でも書いたように、自分を肯定するものは、「他者からの承認」であって、
その蓄積が、「自己の承認」の必要性であって、
自己への承認が蓄積された結果生じるのは、「社会への責任」であって、
自分じゃない誰かのために自分の思考を使うこと、
って流れになるのじゃないのかと。


「自分の思考を使うこと」
多分、これってものすごい力が必要なんですよね。

特に仕事をし始めてわかったんですけど、
「考える」事っていうのは物凄いパワーが必要です。

声を大にして言いたいので文字を加工して協調しましたが、
間違いなく言えることです。

自己保身のために考えることなら、それは合理的な判断っていう結果で終わると思いますが、
潜在的に、希望的に、
「自分以外の第三者あるいは不特定多数」のために思考をする瞬間こそが、
人間が一番「考える」力を発揮できるときであり、
そう意味では仮設ですが、
相互的に「互いのため」「不特定多数の第三者のため」モノを考えるときに、
それは最大限発揮されます。



タイトルに戻りますが、
まず
「特定の何か」を変えるために必要なのは、『思考』です。
そして人が集まった社会を変えるためには、良くするためのは、
必要なのは「他人への想像力」。
利害関係の無い他人に対する想像力こそが、今求められているもの。


尊敬する教授(Wiki)が定義した言葉を借りると、
「社会的共通資本」の本質は思考にある、っと僕は思います。


経済学を学んだとき、(と言っても本気で図書館にこもって勉強し始めたのは22歳大学4年生でしたが)
感銘を受けたコトバは「cool head but warm heart」です。

何かに感じるだけじゃなく深く冷静に考える。
経済学教授ってなんてカッコいいんだろうなんて思ったりしたのも5年以上前です。

ただ、あの時受けた感銘を今でも忘れてはいません。




結局僕みたいな特に何かしら能力が優れているわけではなく、
ただ何かに違和感を感じてる大人になる前の若手社会人。

そんな僕には、考えて、学んで、考えて、そしてたまにこうやって文字にする。
この繰り返しが必要な気がします。



一つ確信してるのは、『自分ひとりの力じゃ、社会をどうにもできない』。
例えば革命家が居たとしてそれが力となるのは賛同する人の量、っていうように、
最終的にはボトムアップで人の共感を吸い上げながらそれを形にする方法が認められるわけで。



またダラダラ所感を書いちゃいましたが、
結論に変わりはありません。



そして、最期に宣誓。
僕は考え抜きます。

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Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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