法律とか、正義とか

当たり前なんですが、司法試験(予備試験)受験性なんで、法律をめちゃくちゃ勉強しています。
ふと考えたりします。
そもそも法律ってなんで必要なんだろう、何のためにどんな考えから今の法律が出来上がったのか、なんて。


もちろん憲法とか、民法とか、行政法とか、各法律によって求められている規準は異なってくると思いますが、
そして刑法にはこの考え方は顕著だと思うんですが、やっぱり個人的には背景に「正義」ってのがあったりすると思うんです。

刑法では、刑罰として列挙されている構成要件は、これはさすがにだめだろ、って発想から生じたものです。
人を殺すのはもちろん。殴ったり、物を奪ったり、人としてやっちゃいけないこと。

ただ、正義ってなんですかね。
正義の実現。
いいコトバに見えて、何となく何を意味しているのか、抽象的過ぎるフレーズですよね。


少なくとも、「正義を実現する」ってのは
「正義」っていう価値観を、多数の人々へ広めようとする、その行為にあると思います。


これに対し、
「特定の価値観の推奨」について、逆から考えると、
「多様性の承認」になる、と思いますがどうでしょうか。


つまり、正義を実現するっていう崇高な目標があるのはいいとして、
しかしその「正義」ってのは個人的な主観の要素がある以上、すべての人に押し付けるのはよくない。
そもそも世の中に「絶対的な指標」ってのは存在しません。

結局は個人の主観的な「これはだめだ」が集まって客観的な「正義」としてみえるだけです。

「人のつながり」ってのが徐々に形が変わってきている現代ですが、
一番重要なのは「異質」(と自分は思っている人)を認めることだと思います。

何が異質か。
彼or彼女が異質なのか、あるいは逆に自分が異質なのか。


「良い社会を作る」にはって個人的に考えたりもしてきたんですが、
今日のこの考え方をあてはめて、逆に考えて
社会から「はみでた者」を0にするためにはって考え方にも、可能性を感じてきました。


わかりやすく言えば承認欲求の充足。
はみ出た人にそう思わせないような「承認」「肯定」。
そもそもはみ出るって言葉こそが主観的であって、誰からの承認を受けなくなった段階でそう感じるようになるだけじゃないでしょうか。



色々脱線しましたが、
法律を学びながら、
正義、価値観について考え、
行きついたところはいつもと同じような着地点の気もしますが、
『多様性の承認』ってことです。


あなたは異質じゃない。

この自覚(を与える行為)こそが、社会を良くする。

僕はそう思います。おやすみなさい。
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司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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