プレーヤー、異端者と相互承認

前回の記事でも少し、書きましたが、そして今まで何度も書いてきましたが、
人の考えってのは環境で決定付けられるって話。

その延長で今日は少し考えたいと思います。


というのも、人の生活ってのは、3つのパターンしかないのかなーなんて考えたりしてました。


①決定付けられたストーリーの中で、自分自身はそれをただ演じているプレーヤーという自覚がない人
②決定付けられたストーリーの中で、それを知ってあえてそう演じる人
③決定付けられたストーリーの中で、それを演じることに抵抗する人



満員電車の中で埋もれながら通勤するサラリーマン。
新橋で焼き鳥つつきながら狭い居酒屋で語るサラリーマン。
シルエット気にしながらヒールをコツコツ鳴らしながら歩いてくお姉さん。
とりあえず皆で集まったらバカをしようとする大学生。
コーヒーとたばこ片手に3時休憩をする作業員。
カップラーメンをすするSE。

なんか皆いろんな人生があるんですけど、
多分皆、「これでいいんだ」「こういうのでいいんだ」って、
像を重ねてるんですよね。意識しようとせずとも。

多分それは僕が上で言った「決定付けられたストーリー」であって、素直に演じるプレーヤーがほとんどです。
ただ、上の①と②の大きな違いは、「やらされてるんだから、しない自由も自分にはある」ってことを気づくか気づかないか、です。

それに気づいて、あえて抗う。
サラリーマンってのは普通こんなもんだ。だけど俺は・・・って発想。

チャリ通して出勤するサラリーマン、なかなか居ないですよね?w
そんな感じです。僕自身は普通なサラリーマン演じてる自身があるので、そんな突飛な発想はしませんがw
まぁただ、”公務員”っぽいって言われるのには抗ってる感覚はあります。
よく初対面の人に営業マンっぽいって言われるのでその都度うれしいかぎりですw



長くなりましたが、結局は最初に示したこの3パターン。
これはどのコミュニティの人も分別できる気はします。
そして思うんですが、たぶんこれって職業別以外にも応用できる考え方であって、
例えば「大人ってこういうもんや」的な考え方。
これも結局”演じさせられて”いますよね。


多分、この「こんなもんや」的な発想の源は『人間が社会的生物であり他者からの承認を求める生き物だ』って定義からくると思うんです。
「こういう」感じにするとそれっぽいから「わかってくれる」。「溶け込める」。
認めてくれる。
それでお互いに承認をしあっているんだと思います。


そしてこの文脈で、その相互承認から外れた③、つまりアウトサイダーとも捉えられかねない人たち。
彼ら彼女らを、如何に相互承認のサイクルに組み込むか。
これを考える事ってものすごく有用じゃないかって閃いた夏の終りでした。

さ、勉強します。
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Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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