再定義

こんにちは(*^。^*)

今日のタイトルは難しそうにしてみました。
「再定義」
要は、ある事柄を自分なりに考えてみるってことです。

僕はこのブログでも何回か論理的思考の重要性を指摘しました。
何故ならば「新しく何かを生産するためには論理的思考が必要」だからです。

一般教養+論理的思考の繰り返しにより仮説が生まれ、それをその仮説から新たな思考が出来るものだと僕は思うからです。
ここまで文が抽象的すぎますね、僕もこんな文章読んでてもムカつきますw

なので具象化↓

例えば、論理的思考って「AとはBだ」、そして「BとはCだ」よって「AはCだ」みたいな流れじゃないですか。
A→B→C。
そして僕が思うに重要なのはBの部分。

この定義の仕方により論理的思考の帰結(Cの部分)は変わってきます。

以前の記事でも、成功の定義について考えました。

もし、「成功とは金を手にすることである」ってことだったら、「ゆえに、たくさん金を持ってる彼は成功している」
もし、「成功とはできるだけたくさんの人に注目される(有名になる)」ってことだったら、「金欠な彼でも、影響力ハンパはないし成功している」
もし、「成功とは幸せな人生を送ることである」ってことだったら、「幸せ」の再定義が必要になります。


このように、論理的思考に再定義は不可欠なのです。
既存の定義から出発しても何も生まれません。
その前提では、過去の人がずっとそうやって考えてきたことであり、「新しい生産」とはみなされません。


たくさんの知識を合わせて、「~とは~だ」って自分で考えなおさなければいけないと思います。

何度も言いますがその前提となる知識が社会の仕組みを知っていること、一般教養ですね。


ここで注意しなければならないのは「定義が間違えていると論理も狂う」ってことです。
論理的思考力のある人は、前提が間違っていてもそこからどんどん論理が成立していきます。

国家転覆を狙ったオウム真理教も幹部は秀才の集まりでした。
「思考力」も間違えて使うととてつもない負を生み出すものだと僕は思います。

そしてさらに犯罪者は、一般教養あるいは論理的思考、どちらかが欠けたものだと僕は思います。
両方かけている場合も勿論ありえます。

ゆえに、自分の「生産力」を高めるためにも、間違えた方向へ走らないためにも、「一般教養」「論理的思考」どちらも必要なのです。


今回の記事は「再定義」について述べましたがそれは論理的思考を飛躍させるための手段です。←重要
目的ではありません。
自分なりの定義を考える・・・簡単そうで難しいですね><
僕もよく考えます・・・生きるとは・・・幸せとは・・・哲学っすねw
でも良い頭の訓練にもなりますし、是非一緒に考えてみましょう^^

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Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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