ネットと社会~続~

東京出張いってきました!!
疲れてます!
が、頑張って更新します。

今日は過去のブログをまとめて考えた事を言葉にしてみようと思います。
最近はずっと人が繋がる場所としてのネットの可能性を考えていました。

ネット世界が単なる情報収集のツールである時代はもはや終わったと思っています。
これからのその可能性。
その限界。

いかにして社会は変容していくのか。
インフラ、生活基盤としてどのような役割を果たしていくのでしょうか。


まずは仮想空間としてのネットについて考えてみたいと思います。
以前のブログでも書きました。
要はネットにも限界があるのではないだろうか、って事です。

ネットの限界。
端的に言うと、「断片的な言葉を集めただけじゃ人は動かせない」って事ですね。
いかに正当性を帯びた言葉であっても、真に人を動かすのは「言葉」ではなく背後にあるストーリー、
つまり「人」そのものだと思います。
「この人が言っているから」、言葉に意味が後天的に与えられる。
そういう解釈も可能なのではないでしょうか。

もしその通りなら、「匿名で不特定多数が議論する場所」としての空間は根本的に制限されている、
ということが言えるでしょう。
今何の肩書きも持ち得ていない僕が述べる発言、このブログも非常に限られた世界でしか共有されないってことにもなると思います。

ただ、上記の「言葉の可能性」・「ストーリーが言葉の機能を担保する」って部分は極端な解釈であるというのも自覚しています。
議論自体は有効でしょうが、その有効性に限度がある、と僕は思います。


ここまでの内容は前も書いた内容に似ているんですけど、少し言葉を変えて書いてみました。

以上、ネットの限界。




次は「若者世代の引きこもり問題」とネットの相関関係について考えてみたいと思います。
ぶっちゃけ、パッと見あまり関係なさそうな事柄ですが、僕はネットの発展なしにはひきこもりは発生しないと思います。

そもそも人間はまず「コミュニケーションする動物(他人と会話をして、自分自身の存在を承認されることを必要とする動物)」だと思うんですが、要は現実世界でしてたものを仮想空間で行えるようになった、場所が変わっただけだと思うんです。
挨拶とか、今日の天気とか、彼女と別れたとか、他愛もない話をする場所がネット上になった。
よって引きこもり=誰とも触れあっていないって連想しちゃうとそれはある意味間違いです。

読書のような、一方向性に語りかけてくるものでなく、双方向的に意思伝達を行う、これをコミュニケーションと呼ぶことが出来ると思いますがそれを画面のこちらと向こうで行うことが出来る。


人は誰しもコミュニケーションを渇望するものだ。
って仮定から始めると、
昔はその手段として、「労働」を選んだ。
言葉を通じあいお互いを認め合う場所。


ここまで言うとわかると思うんですが、この文脈でいうと「働かなくても良くなった時代」って言えるんじゃないですかね。
ネットゲーム、ソーシャルゲーム。
今この規模はとてつもない勢いで市場が大きくなっていますが、
ゲーム上の「他者からの承認」が実世界でのコミュニケーションの機能を担保していると思うんです。


モンハンでも、ライフが少ない見方プレーヤーに回復薬グレードを差し上げたりすると、上げる方も気持ちいいですよねw
あとハンマーで頭ピヨピヨさせられたときとか、チームプレイで行動してたら一気にヒーローになれますよねw


上記のネットゲ、ソシャゲ市場がさらに大きくなるにつれて、さらに人は「現実世界での繋がり」を必要としなくなるかもしれません。
いや、なりますね、間違いなく。
それが悪い、とか言いたいんじゃなくて、そうなっちゃうんでしょうね、インターネットというインフラが発達した社会制度上では。


「目を見て挨拶が出来ない」とか「空気が読めない」とか「モゴモゴ喋っちゃう」 とか、
そういう子供達、若者は増えていく一方になると思います。
これも自分が思う社会の課題の一つであり、制度ゆえの帰結でしょう。

改善とか、防止とか、それ以前にこの現状のより深い認識、それに努めていこうと思う所存です、
今週もお疲れ様でした。

明日は大規模読書会があるので、
実世界での不特定多数の見ず知らずの方々と交流を深めて人間力を養ってこようと思います。

おやすみなさい。

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Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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