コミュニティ の 作り方


人を繋ぐ、繋げる。
この手法についてずっと最近考えている気がします。

何度もこのブログでも言ってきたと思いますが、
この人的ネットワーク、人の繋がりを担保出来る社会じゃないと
個々個人としても極端な言い方をすれば人格の崩壊を招くと思います。

見ず知らずの第三者との関わり具合、
未知への領域への接触度、
これが人々に「公共心」を与えるものである
、と僕は思っています。


ただ、少なくともこのまま個人が資本主義制度の中に組み込まれて
人格が「機会化」されていく、っていう方向は避けがたい、とも思っています。
家族の崩壊、「カイシャ」の崩壊。

日本という国民国家を支えてきた基盤の崩壊。
少しずつですが個人は孤立化されていくと思います。

ただ歴史が今のこの社会制度を支持しているため、これを覆す、なんてことはまず不可能だと思いますし、
社会制度そのものも今の民主主義により出された答えなのでとやかくいう気はありません。

大事なのはまずその方向性を認識するということだと思います。

個々の孤立化は避けられない。
ではその代替装置として何を機能させるか・・・
といったらやはり別のコミュニティ、その答えが出てくるでしょう。


その際に活用されるものとしてまず挙げられるのがネット。


SNSとかもやってない人がいない位だと僕は安易に認識しているんですが、
でも結局SNS、ネットでの繋がりってリアル・ Face To Face でコミュニケーションするためのツールの一つであり、
有効性を考えると「手段」で終わってしまうものだと僕は思い始めました。


オフ会、というのも多々SNSで企画されていますが
そのオフ会では逢った瞬間、或いは逢う前から共通の話題が設定させられている。


初めに
「見ず知らずの第三者との関わり具合、
未知への領域への接触度」っていう表現を僕は使いましたが、
その意味(異文化交流度)ではネットにも限界はあると思います。


価値観が乖離されている人々同士が出会う瞬間、
そしてその人達がコミュニケーションを行なったときに初めて
その場が「公共の場」となり、
民主主義を発達させるものだと思うようになりました。




何が言いたいか端的にまとめるのも難しいんですが、
「人それぞれ考えて人生送ってるんだよ」って事じゃないですかね。

各々生きざまがある。
色んな生きざまを知って、その最小公倍数を見つける、模索する。


住みやすい社会の作り方、ってこうやってやるんじゃないのかな、って考えるようになりました。



眠いので寝ますzzzz

明日も天気良いらしいので、公園で読書をする予定ですw
最近は哲学者・鷲田清一にハマっています。

深い本を読む場所というのは、本当に静かで薄暗い位のカフェが最適ですけどね。
火曜 祝日の過ごし方っていうのはよくわかりません。
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Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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