各論 【雇用論】

元々欧米ではよく使われる指標ですよね、失業率。
この事業によって、或いはこの会社によって何人の従業員が雇用されている、というような使われ方をしています。
最近になって日本でも段々見かけるようになった気がします。

今日はそんな「雇用」論に関して考察を行いたいと思います。

完全雇用。
それは経済学上目指す最優先課題であり、主要な理論もこの完全雇用を達成するように構築されてきました。
またそれとは逆に、完全雇用を前提としても様々な理論が考えられてきました。
あくまで学問上の理論の話です。
先に述べた「失業率」、この指標は欧米では政権が変わるたびに着目されたりしていて、政策判断の際にも基準となっているものです。


いかに完全雇用を達成するか。
皆が働いて食っていけるような環境を作るか。
この難題はずっと考えられてきました。


で、ここから思うんですが、
経済学上の「完全雇用」は社会単位でも1番優れた状態であり、達成されるべき状態ではあるけど、
他の観点からみればどうでしょう?


例えば社会学。
「働く」ってこと自体の意義を問われているのが現代だと思うんです。
「量」については経済学がカバーするとして、その「質」について考えたいと思います。

歴史を振り返りましょう。
勤勉な日本人は戦後、働き続けました。
サラリーマン、それは日本の復興を支えた大人の「像」でもありました。
そこからある程度豊かさを手に入れて、「虚無感」が蔓延してきます。
その結果生まれたのがポジティブな意味での「フリーター」。
スーツを着るのはヤダ、組織に属することなく好きなことしながら人生を歩みたい、という新たなクラスタの誕生です。
その結果、政策の影響もあり「格差」が生まれてきた。
階層化。正規と非正規。←今ココじゃないですかね。

もう今単純に働くといっても、その働くって言葉の定義を「お金を得るために何かをする」って意味で使うと
非常に多様な手段が存在します。
昔のような「投資」=「工場作る」時代は終わったのです。

どんな仕事をしても働くって意味では変わらない、ただ今はその働く「質」「内容」でその働いている人間、本人が判断される時代だと思うんです。
簡単に言うと「肩書き」による「階層化」。

そこから嫉妬・妬み・憐みが生まれる、僕はそう思います。
何故うまれるのか?
それはそのような気持ちを抱いている本人が妬みの対象となっているモノへのアプローチの仕方を知らないから、或いは知っていても社会がそのアプローチを許さないように設定されているから、ではないでしょうか。
(ここら辺は以前の記事とリンクしています)


格差が格差を生む、とはこのことです。
端的に言うと子供が生まれてきたその家庭の状態で子供の人生も絞られてくる、そう思います。
高学歴の両親を持つ子供はどんな職業に就くでしょうか。
母子家庭で育った子供は、逆にどうでしょうか。
これは偏見でも何でもなく統計学的にも明らかですよね。

子供は生まれてきて学生生活を終え社会に出ますが、その方向性自体もある程度「定められている」。
運命、とまでは言いませんがそんな仮説は立てられると思います。

それに対し現代声高に叫ばれている「自己責任」論。
自分で選んだ結果だろ、責任取るのは自分だ。

この安易な発想は非常に危険だと思います。

明らかに相対立する意見ですよね、「運命」論 VS 「自己責任」論。

で、結論なんですけど、結局僕は選択自体妥協を意味するものだと思うんです。
いかに大人になるまでに、社会に出る前に「選択≒妥協」をしてきたか。

選ぶ機会があった、と自負できでるような環境を作れるか。
ワンフレーズでいうと「機会平等」を保障せよ、ってなっちゃうんですかね。

どれだけの選択肢があり、そのたびにどれだけ妥協してきて僕はこんな大人になった。

それをちゃんと自分で認められる人って、第三者に対し嫉妬、妬みとか持たないんじゃないですかね。
個々の選択権を担保する。
ほんの少し生きやすい世の中になるんじゃないかと。



サラリーマンは朝早いからもう寝なきゃいけないんですよ、、、。
いいよね、自分でやってる人とか気ままなフリーターは。
って皮肉でも何でもなく本心を述べた所で寝るとします。

僕もサラリーマンには選んでなったという自覚はありますので・・・。

zzz
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司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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