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読書について

このブログは2012年11月に開始されてから毎月欠かさず更新続けることができています。
それは僕の誇りだし、このブログ自体が僕の魂のようなものなので、魂の火をともさぬように継続していくつもりです。

このブログ以上に続けているものがあります。
それは読書記録です。

読書メーターというサイトで、2011年11月29に登録してから、2,833日が経過しました。
読んだ本は979冊。1日あたり0.35冊という換算です。

今では勉強の合間を縫って、1月4,5冊程度の読書ですが、特に大学卒業から2,3年間は毎月20から30冊ほどは本を読んでいました。時期により小説読んだり新書や学術書読んだりと決まってはいませんが、本を読み続けています。

だんだん、わかってきたことがあります。
本を読む人の特徴①栞が好きorこだわりがある

紅茶を飲むのが好きな人がカップを好きになるのと同じように、本を飾るものが、非常に気になってきます。
栞はその一つです。
お気に入りの栞を忘れたら、すごく悲しいのです。
新しく本を読み始めて、栞が無いのに気づくと、うろたえてしまいます。

同じ意味合いで、本のカバーが気になります。
あれ、これ誰が描いたのだろうか、とても素敵だ。

伊坂幸太郎氏の本のイラストが、とても気になった時がありました。
そして「夜は短し歩けよ乙女」を読んで(見て)、表紙がとても好きになり、中村祐介さんというイラストレーターを知りました。
さらにカスヤナガトさんも知って、タイトルや内容より絵を見て買う買わないを決めていた時期もありました。

少し話が逸れましたが、本を飾る栞・イラストにこだわる読書家は、非常に多いように思います。


本を読む人の特徴②図書館に詳しい
本は買うだけでなく、借りて読むのも読書の醍醐味です。
本を借りる場所、図書館について、読書家は精通しています。
僕も転勤族だったので、いろいろな図書館へ行きカードを作ってきました。

僕の最初の想いでは、小学校の図書室です。
キツネ山の夏休みって本を借りて、衝撃を受けるほど感動したのを、覚えています。
それ以降、大学書の図書館では朝から晩まで籠っていた日がありました。
そして社会人なってからは、地元の小さな図書館へ何度も足を運んでいました。

大阪、東京、いろいろな図書館を尋ねました。
図書館というのは意外と個性があって、外観からして全然違うものです。

最近はオシャレなデザインの図書館が増えているように思います。

今使っている図書館は社会人席ってのがあって、これが静かで非常に居心地が良いのです。
静かな環境で本を読める。
愛読家にとって、これ以上の至福の時間はありません。


本を読む人の特徴③旅先に本を携行する
隙間時間には、本を読みたいものです。
特にのめりこんでいる小説があるとすれば、すぐにでも続きを読みたいのです。
一ページでもいい。続きを読みたいのです。
電車に乗るときには必須です。小さなバッグを持っているとすれば、そこには必ず本が入っているのです。


ぱっと思いつくのはこれくらいですかね。
今から10年後、2000冊の本を読み終わったころには、新しい読書家の特徴を見つけていると思います。


継続こそが力だと信じて、読書だけは続けていく予定です。
最後に、最近読んだ本で特にいいと思ったものを挙げておきます。

「カラフル」っていう森 絵都氏の小説

「世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事」

以上。
ビールを飲みながら、村上春樹氏の小説を読む。
これはまた、たまらない至福の時間がやってきました。
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また一つ、正解を知る

大人になるということは、一つ正解を知ること、といえるかもしれません。
こんな場面ではどのように振る舞うべきだ。
こんな挨拶をするべきだ。
そんなことは言っちゃだめ。
こうすると「デキル人だ」。

ってこんな感じで、一個一個評価され、それをクリアしていく。

でも、この正解って何なんでしょう。
それは、言い換えれば「多数派が肯定する言動」であると思います。

社会の中で生まれたルール、儀礼作法など慣習があり、それは「社会の多数派」が生み出したものです。
もちろん合理的な理由はありますが、視線から話すときのタイミングの取り方、相槌の打ち方まで、そこには「正解」があるように思います。

この正解は〇や×で表すことのできるようなものではなく、相対的な「是」です。
あくまでも、多数派が生み出した相対的な評価です。
よって、いわゆる「正解」とは違った言動をしたからといって、失敗とはいえません。
多数派が間違えていることもあるのですから。


生きていく中でたくさん「正解」があるとしましょう。
それを知るってことは、多数派が肯定するような行いをすることに他なりません。

多数派がやっている行為は正解だから、その行為を行い、承認欲求を求めるのです。
他人から認められるために、一つ一つ「正解」の行為をしていく。
それが社会といえるでしょう。


でも、その結果個人は同質化されます。
皆が同じようにふるまって、相互に承認しあいながら、変わり者を排除します。


この過程で、思考プロセスまで同質化が求められます。
『この場合はこうやって考えるものなんだ。』

みんなが自分と同じような人だったら、安心だなぁ。
これが、没個性化です。


しかし一方で、人は複雑であり『他人と違う』ことにより他者から承認を求めようとする場合もあります。
特に中高生の頃の思春期は、この思いも強かったでしょう。
僕も、自分は特別だと思っていた頃もあった(中二病)し、かめはめ波の練習も何度もやりましたww

残念ながら、僕に特殊能力はついてないみたいです。

このように、「自分は他人と異なる」ことをさらしながら、場面によっては一つの正解を好む。
こんな特徴があるように思います。






人間の本質って議論もまたいつか考えてみたいのですが、今日言いたいことは、僕個人の実感でもありますが、正解を知ることは、思考領域が狭くなる、っていうことです。

イノベーションってのは他人と違う思考過程を経るからこそ生まれるものであり、同一の思考プロセスで生み出されるものは、結局皆が考えていることに他なりません。

必死で勉強して時間をかけて考えても、思考プロセスが同質化された以上、「多数派が考えるもっともな解」が導きだされて終わりです。
無から有は、そこに生じないと思います。


知識を身に着けて社会のルールを知って礼儀作法を知ってコミュニケーションを知って、たくさんのものも失ったように思います。

自分で言うのもなんですが、よく僕は常識がないといわれてきましたw
確かに皆がフムフムと理解する内容でも、腑に落ちず何で何でと聞いていたように思います。

「いや、常識やんw」
何度もこの指摘を頂いたように記憶しています。

でも本当に自分の頭で理解できるまで、僕は納得していませんでした。

それが理解できるようになり、色んなことを身に着けました。
大雑把に言うと賢く社会で生きていく術も、20代のうちに色々教わったように思います。

万札しかなく、お釣り3000円がもったいないながらも泣く泣く意地を張ってお釣りもうえぇで!という経験。
言いにくい上司への悪い報告も、雑談を交えた直後にさりげなく機械的に伝えることですんなり終わらせることができたという経験。
親しき中にも礼儀あり、というように、サラッと言っちゃったけど友人・恋人を傷つけた一言。


絶えず反省を繰り返し、大人になるために成長していく。
その過程はもちろん人間にとって必要です。


でも、僕自身の想いとして、例えばこのブログを書き始めた6年以上も前。
何も知らなかったけど、何でもできるような気がしていました。
あの時のギラギラは、もう残ってないように思います。
いや、またどこからか湧いてくるかもしれませんが、根拠は何もありません。

知ることが増えて、できることができるようになって、できることを知って、結果できないことを知りました。
どんな人がこの世の中にはいて、どんな人のようにはなれなくて、でもあの人みたいにはなれそうだ、と自分を相対的に見れるようになりました。


知るってことは、ある意味つらいことなんでしょうか。

この問いの答えを、「知る」ときも来るのでしょうか。

予備論文から一か月

令和元年度予備論文式試験から1か月が早くも経過しました。
出来たことは次の通り。
・論文の再現答案作成、伊藤塾の講評講義視聴
・民法改正対策講座視聴
・民事実務基本書読了
・問題研究刑事訴訟法(計48問)終了

おおよそ予定通りこなせました。
10月10日に伊藤塾の奨学生試験みたいなのがあるので、受験科目である民訴、刑法を今から解いていきます。
問題研究を、それぞれ1周回す予定です。
また、できれば司法試験の講評講義も視聴したいので、今年度の問題を自分で解いてみようと思います。
最終的には予備の次に司法試験も待っているので、特に分量の違いを意識して、自分で解いてみてゴール地点を再確認しようと思います。


刑訴はやればやるほど力がつくようなので、全科目のうち、刑訴から解き始めました。
捜査・捜索・逮捕あたりの論点は大体間違えずに拾えるようになったと思います。
一方、伝聞証拠から始まり証拠については要復習です。
理解度が十分ではありません。

Aランク以上の論パも大体覚えることができていて、マイナー論点もひねり出し方は大体イメージできます。

ただ、今年度の予備本番で出てきたような実質逮捕の論点が論マスを眺めていても、ピンポイントで出てくる部分は無いようなので、個別に復習をしたいと思います。


次は、苦手な民訴です。
書き方がよくわかっていなくて、複雑訴訟も知識が十分でなく、民訴は嫌いです。
ただ、今回の予備論文では1問、2問目とも使う条文がズバリ当たっていたようで、現場思考に間違いがなかったということで少し自信になりました。

問題研究を全部解いて、しっかり条文をひいて、基本の知識をしっかり身に着けるとともに、民訴の考え方というものを理解しないとだめです。


簡潔に中期計画を示します。
・10月10日までに、民訴・刑法の問題研究を1周ずつ解く
・併せて論パも覚える
・司法試験の問題を解き講評をみる

以上です。暑い日が続きますが、頑張りたいと思います。



必ず、来年には合格します。

エネルギーの使い方

エネルギーの使い方。

人は誰しもエネルギーに満ち溢れていて、それをどうやって使おうか、絶えずその向かう先を見つけているような気がします。

例えば大学デビューして見た目も変わり、性格もガラっと変わった昔の友人。
勉強ばかりしていたのに商社マンになってからずっと遊んでいる彼。
いきなりヨガにはまり会社を辞めてヨガインストラクターになった彼女。
そして特定の宗教にのめりこみ、日々布教に努める人。

振り返って、僕自身が一番エネルギー持ってた頃は大阪でいた頃で多分24歳くらいのときです。
仕事も全力でこなしプライベートも読書会での出会いや同年代の友人との出会いなどすべてにおいて楽しかったころで、
何をするにしても楽しかったように覚えています。

まだその頃は「何ができないか」を知ることもなく、まるで自分には無限の可能性が秘めていてなんでもできるように感じたこともおあったように思います。
そう、このような「自分ならなんでもできる」と思える時期ってのは、誰しも経験するように思います。

もうそれが中高生の頃で終わった人もいるかもしれない、大学で散々遊んで十分満喫してエネルギーを使い果たした人もいるかもしれない、そして社会人になってから、30代から波に乗って40代でエネルギー全開になる人もいるかもしれない。


個人によってもちろんその波は異なりますが、例えばの話ですが今テレビとか出ている著名人って「昔いじめられていた」って告白するような人が多いような気がしませんか。偶然でしょうか。いじめられていたから有名になれるのでしょうか。
僕はそう思いません。
純粋にその人が魅力的だからです。
そこに、人としての需要があるからです。


僕が言いたい一つの法則は、「楽しいといえる青春を送れなかった」という自覚がある人ほど、後から凄いエネルギーを使って加速しフルパワーで力を発揮していくということです。

極端に言うと、必死に失われた時間を取り戻そうとしている。
過去に強い後悔があるほど、人生の帳尻合わせをするためにあがき、もがき、行動する。


色々な人を僕は見てきましたが、間違いなくこの傾向はあるように思います。

中高生の頃勉強もできてスポーツもできてモテていた彼はあまり目立たなくなったね、っていう意見があるとすれば、
それ以上に目立ってなかった人がより目立つようになった=強いエネルギーを発しながら突き進んでいる。
そういうことじゃないでしょうか。


さらに極端に言うと、
結局のところ、嫉妬・妬みのパワーは計り知れない。爆発的な破壊力を持つ。
ってことです。

ルサンチマンこそが、生きる源といっても過言ではないでしょう。


嫉妬・妬みから努力し富と権力を手にし、結果として弱者を見下す。
そんな人には、なりたくないですね。

周りの環境に感謝して、社会に還元できるようになりたいです。
社会的地位や身分は伴わなくとも、小さな力でも社会に影響を与えることはできます。

それが、僕が考えるノブレスオブリージュです。
プロフィール

WIPA

Author:WIPA
司法試験予備試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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