FC2ブログ

社会をよくしたいって言うけれど

僕はこのブログでも、漠然と”社会を良くしたい”(前回の記事でも”みんなハッピーにしたい”なんて言っていました)と言っています。


直観として、そんな感覚はあります。

簡単にいうとお世話になったから恩返ししたい、って感じで、その意味で「ノブレス・オブリージュ」って言葉もブログのタイトルにしています。

でも考えたところ、結局、社会を良くしたい、とは言うけれど、結局「良くなった」ってのは個人の主観の問題である。
つまり個人を幸せにすることが、社会をよくすることにつながる。



というような、アンサーにたどり着きました。

まぁ当たり前かもしれませんが、少し自分の考えに、具体的な意味を見出すことができました。

社会ってのは個人の集まりであり、個々がみんなハッピーであれば、社会もハッピーである。
「この世に絶望している人」を少しでもすくなくできれば、人と人との関係はよくなっていき、社会全体としても住みやすい、生きやすいものになるのではないでしょうか。

「この世に絶望している人」を少しでもすくなくする、つまり言い換えれば他人に対し、「社会に希望を見出す」人を少しでも増やす。

この世は、素晴らしい。

そうやって皆が生きていれば、どんなに素晴らしいか。



そう、やっぱり個人として、結局できることは限られている。

身の回りの小さなことから、身近な人に対して、”与えていく”。



ちょっと、カッコつけすぎかもしれませんよね、社会を良くしたい、とか。

色々考えて色々分かってきたつもりではありますが、泥臭く、しかし粘り強くコツコツとやり続けてきた人が、何かを成し遂げている。

いきなりトップダウンで結果を出せる、この世はそんな構造にはなっていません。


ある人を幸せにする。

何かの形で、助けてあげる。

それがまわりまわって、自分にかえってくる。
その好循環があるとしなたなら、それこそ”社会がよくなった”瞬間でしょう。


だからこそ、逆に言うと、日ごろから他人への接し方は気を付けないといけません。

感じ悪くしちゃうと、その人も別の他人へ同じような接し方をしちゃって結局巡り巡って自分に返ってくるかもしれない。
つまり、悪循環。
でも、今の日本は、皆で皆の首をしめあう、こんな状況になっているようにも思います。


許容と、承認。肯定。
ひとつの善意で、皆の満足。

そんな好循環。


簡単に聞こえるけど、とっても大変。
単純そうで、とっても複雑。


ひとる言えるのは、こうやって色々考えて、自分の言葉で表現していく作業は、間違いなく自分のためになる。

そして、自分が「良く」なれば、間接的に社会に「良い」影響を与えることができるかもしれない。

その可能性を高めている。
それだけは、確実に言えます。



スポンサーサイト

桜のシーズンです。

桜が咲いてるのをみて、綺麗だと思いました。
思わず写真を撮りました。

今日の風でだいぶ散っちゃいましたが、とってもきれいでした。

桜は、とっても綺麗です。


でも、こうやって美しいなぁって感じてて、気が付いたんですけど、桜が綺麗、って心から感じたのは、2,3年前からだったように思
います。

大学生の頃は、新歓コンパとかで花見も毎年やってたし、ずっと見てきたつもりなんですが、このシーズンになったな、なんて思うことはあっても、綺麗、美しいなんて思ったりはしませんでした。


じゃぁ、なんで今、感じるようになったのか。
それは、「自分が視ることのできる世界の範囲」ってのが限りあることに気が付いて、無意識に、今見てる光景が美しいものだ、ってことに気が付いたから。そう
思えてなりません。


というのも、たぶん、学生の頃ってのは、「これから視ることのできる世界」ってのは無限であり果てしなく、希望もあふれていて、昔から視てきたものに対して強く反応することができなかったのだと思います。

でも確かに振り返ってみるとその通りで、学生の頃は、新しい世界を見たくてうずうずしてた。
一人で外国に旅にも行ったし、色んな光景を見てきて、色んな人と出会って、色んな刺激を受けてきた。

分かりやすく言うと、毎日が斬新だった。

その斬新でめまぐるしく毎日が更新されていく日々の中で、「毎年見れる光景」ってのは興味がわかなかった。


でも、あるとき、「視れる光景」ってのは限りがあることに気が付いた。

色んな経験をしてきて、毎年見てきたものでも、「これは、とても美しい」と感じることができるようになった。

ある意味で”天井が見えた”。
その中で、今見ている光景がどの位置にあえるのかを、感じとれることができるようになった。


それだけ、じゃないでしょうか。



極端に言うと、『毎日が更新されなくなった』。


同じ毎日を過ごす中で、感動のベクトルが変化した。


桜は確かに毎年咲きます。

そういうと、毎年視れるものです。



でも、いつも見る風景の中に桜が咲いてて、それがいつもの毎日に彩りを与えて感動する。


こうやって考えると、人間が感動する仕組みって、よくできているな、と。
決して人生に飽きないように。

無意識に”相対評価”をしてて、感動できることになっている。

30歳になって、こんなことに気が付きました。



なんでもない光景に、感動する。
心が揺れる、ざわつく。


そんな経験、ないでしょうか。




震えるほどの感動も、変わらない毎日を過ごしていても感じることがある。



桜を綺麗と感じることのできる嬉しさと、今日書いたように、”無意識に自分が視ることのできる世界を知ったうえで、上限のラインをひいて、相対評価した”結果=更新されない毎日になってしまった悲しさを両方感じながら、桜が散るのを見守るとします。


結局自分って何がしたいんだろう

僕は、このブログの最初の記事で、こんなことを言っていました。

”理由の1つ目は、アウトプットの場に活用させようと思ったからです。

2つ目の理由としては、出来る限り「学ぶ」ことに対する自分の考えを多数の人に伝えたかったからです。

3点目の理由としては、是非僕より若い人達に「一般教養」という定義を確認してほしいと思ったからです。”

あぁこんなこともずいぶん昔に書いたっけなぁなんて思い出してみましたが、
あれから6年以上たって、
「結局自分って何がしたいんだろう」
なんて考えるようになりました。


何か抱える違和感。
言葉にはすんなりとできないけど、何かが不満で、何かをしたくて、何かに抗っててもがいてて、何かを探し続けているこの感じ。
このパワーの源は、ずっと書き続けてきたこのブログにあります。
もう何年も書き続けてこれた。
積み重ねてきた、自分の思い。
それを、自分の過去のを、裏切りたくないし、「初志貫徹」ではないですが、はっきりと感じた強い違和感を大切にしたくて、それを温め続けてきました。

でも、結局自分って何がしたいんだろう?

無理やり見つけ出す必要はないかもしれませんが、30歳という区切りで、考えてみました。

で、問いに対する結論は今のところ、下記のとおり2つです。

まず①困っている(特に大学生)を助けたい。

僕もこのブログで何度も書いたとおり、みんな必死に、あがいてもがいて生きていると思うんです。
そんな人を、助けたい。
何か、手を差し伸べたい。

一例ですが、
自分が大学生であったときに、「何かしたいけど何をすればいいかわからない」との理由でさまよっていた時期がありました。
もしそんな大学生がいたら、「今は必死に学問を学びなさい」と伝えてあげたい。
その気持ちです。

でも結局僕が大学生に伝えたい想いはそれで、それをたくさんの人に知ってほしい気持ちはあります。
「資格の勉強」や「英語の勉強」、「就活のテクニック磨き」も重要かもしれませんが、大学は学問をするところです。

知識をつけるところだけじゃない。
これから社会人に出て、膨大な量の情報量に直面する中で、それに対してどう対応していくか。
考え方、その姿勢を学ぶ場所です。

だからこそ学問つまりは”考える”場所である大学は非常に貴重であり、答えのない問いに対してたくさん考えて、
そんな問いはこの社会に無数になる、ってのを理解できれば、それこそが学問のゴールでもあると思います。

今の大学生の現状は、詳しくは知りません。
ただ、「小手先だけの知識習得」や「就活攻略の方法論」に固執していませんか。

本人の市場価値が、上限100のスキルレベルのうち、30から50にあげるのは、大学の本質ではありません。
上限100を、1000にも10000にも高めるのが大学の役割です。


たくさん考えてたくさん考えて、たくさん議論したいな、なんて思っています。

今でも布団に潜り込んでソシャゲしながら、麻雀しながら、あるいはテレビを見ながら
「このままじゃダメだ」
って思ってる大学生はいっぱいいるはずです。

そのエネルギーは計り知れないものです。
ぜひそのパワーの使い道を伝えてあげたい、力になりたい。
その思いです。




そして②みんなハッピーにしたい

小学生でもこんな文章書かないぞっていう指摘をいただくのは承知ですが、ほかに適当な文章が見つかりませんでしたw
まぁ他の言い方でいうと、「しがらみのない社会にしたい」「このギスギスした社会を変えたい」「感じる生きにくさを除去したい」
なんて言い方になるんですかね。

日本って、幸福度低いって言われていますよね。
これは想像ですが、島国日本の国民性「ムラ社会」から他者に対する承認欲求が強く、他人の目を気にしがちってところがあるんではないでしょうか。
仕事をししても常に100点を目指す。
定時で公共交通機関はきて当たり前。

つまり、「他人から承認されるため」に、「自分に必死」すぎて、逆に「他人を思いやる余裕」がなくなっていると思うんです。

少しの不満があっても、少し時間をかけて想像力を働かせてみましょう。

このブログでも何度も書きましたが、犯罪者に対する考え方。
罪を犯した人を切り捨てるのは簡単です。
悪、ゆえに罰する。
シンプルで、わかりやすい。
今の厳罰化の風潮は、この考え方です。

しかし、そんなに簡単ではありません。
本質的に、人は、社会は複雑です。


立ち止まって、深く考える余裕が、今の日本にはないような気がします。


みんなハッピーにしたい。
それは、「承認」、「許容」です。


お互いを認め、許すこと。
それができれば、ギスギスはなくなるし、生きにくさは感じなくなるし、みんなハッピーになると思う。


他者から評価されるために100点を取り続ける価値より、自分で満足できる80点に価値を見出す。

そんな、社会にしたいです。
そのために今自分ができることは?

残念ながら、思い浮かびません。
ただ、今はそれでいい。
この気持ちを、持ち続ける。
時が来るまで。

このミッションを達成するためにまず自分がすべきことは、長々とこんな記事を書かずに勉強して、司法試験に受かることですw

ということで今日はここまで。




社会人の若くして掲げた『自分がしたいこと』ってのは、だんだんと社会人を経験することで『できないこと』が分かってきて、いつかは『したかったはずのこと』になりかねません。
できるかどうかは、やってみないとわかりません。

だからこそ『自分がしたいこと』ってのは繰り返し掲げる必要があると思いました。

年度末ということで 「飛躍」

残念ながら書き始めてあと2分。
年度末中にこの記事を書き終えることはできなさそうですが、社会人っぽく、ここで清算。

自分にとって30年度は、「継続」し「成長」できた年度だと思います。
2児の父親になり育児にも積極的に参加し、自分でいうのもなんですが結構なイクメンです。
5時半過ぎには家に帰るので、それから寝るまで1日4時間は育児参加できています。
これが毎日、となるときついですが、ほどよく妻も実家へ帰っているので、全力に育児に取り組んだ後は休憩して勉強して、という良い循環があるように思います。

子どもが増えたというのは自分にとって環境が大きく変わった要因の一つであります。
もちろん自分のしたいことなんか出来ない。
それどころか妻との事務連絡の会話さえ遮る、それが子供というものです。
とうてい、子供がいる横で勉強なんかできるわけがありません。
参考書に落書きされるか、ボールペを取られて遊ばれて、それで終わりです。

このような環境でも、勉強はずっとやってきました。
今の経過でいうと、論マス答練を解いているところです。
憲法と行政法は終わって提出しました。
今、民訴を解いています。この後会社法、刑法刑訴、そして民法を最後に提出して、終わりです。
5月31日までが添削日なので、民法は短答受験後に解くことになるかもしれません。

5月に入ると、いよいよ直前なので総復習が必要です。
記憶の再整理。
覚えるべき数字のインプット。
やるだけやって、試験に挑みます。
3回目なので、答練は必ず受かる必要があります。
本当に、結果を出すってのが今年の目標でもあるので、答練は、合格します。
じゃないと、ずっと結果ついてこないのは、本当にキツイです。。。


コツコツと勉強ができ、論文を自分の力で書けるようになり(まだまだ及第点には及びません)、ゴールがうっすら見えてきました。
ここの問題ではここの論証パターンを使ってあてはめて、っていうように、解き方がわかるようになってきました。
これが、成長を感じる理由です。
昔は、本当に1行目の「1 設問(1)について」で、ストップしてましたw

何が聞かれてるのかさえわからなかった。
それが、何を書くべきでどこがキーポイントになりそうで、どういう事実認定をしていけばいいのかが、わかるようになってきた。

ずっと勉強してきて書き続けて、「継続」し「成長」できた年度、それが30年度としたいです。

31年度では、こんな言葉恥ずかしくもありあまり使いたくないけど他に思い浮かばなかったから、「飛躍」。
勉強が理解できてきたら、ずっと継続してたら一気に解けるようになるあのグラフのように。

※頑張ってお絵かきエディタ-で作成してみました。

基礎をさらに固めて考え方を定着させ、知識もストックしていく。
論証など一日1個暗記を目標にして、どういう場面でどれを使い分けるのかも常に考える。
そして、司法試験、予備試験はあくまで試験である前提で、いかに合格するかを意識する。

質×時間

この方程式の中で今自分が何をすべきか最優先にしないといけないかの設定を正確にして、ゴールへ一気に近づく。
そんな意味で、「飛躍」。
そうすることにしました。


見ててください。今年度に、飛躍します。

プロフィール

WIPA

Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カウント^^
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR