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科学が支配する世界

プロ野球を見ていました。

上林のライトスタンドへ大飛球。
判定は、ポールの外。
特大ファール。
審判団が再度ビデオを確認し、「目視」により判断した結果です。

30年後(←だいたい)の野球は、変わっていると思います。
アウトの判定、セーフの判定はもちろんのこと、ストライクボールの判定からインフィールドフライの判定まで、コンピューターで行っている近未来を想像しています。

選手はスパイク・グローブにミクロのセンサー内蔵ICチップをセットし、どのボールにも同じくその処置が施されています。

勿論、各ベースにも。
内蔵されたセンサーにより、打者の一塁到達と野手からの送球到達の早さは容易に比較できます。
打者の背、ホームベースからの立ち位置でストライクゾーンが決まり、そこに投げられたセンサー内蔵のボールがバーチャル世界の中で軌道を描きミットまでおさまり機械的にストライクボールの判定がなされます。


こんな世界、イメージできませんか。
面白くないですか。
それとも、ある意味公平なので大賛成ですか。

それとも、そんなのありえないって思いますか。

これは僕が想像する近未来です。

サッカーやバレーでも既に始まってますよね。
ゴールしてるかどうか、コートに入っているかどうか。
コンピュータにより判定され、それにただ従う。

いわゆる人為的な要素を極力なくし、機械的に算出された”解”がすべての世界。

個人的には、野球の領域でも、できるできないの話はクリアしてて、どこまで本気で、いつからやるかって次元まで来てる話だと思います。
ビデオ判定も導入され、過去の映像を目視し検証する方法がとられました。
しかしまだ目視の段階です。ビデオという機械は使いながら、人が判断しています。

『ジャッジするのは人がやるのが一番だ』って意見はもっともです。
「神の手ゴール」的な間違いもあるし、そこがまたロマンだ、っていう意見もあるでしょう。

ただ、オートメーションってのはやっぱり時代の要請で、コンピュータがジャッジするってのがいつかは来るもんだと個人的には思います。

だって、『コンピュータのジャッジに対する不満』って、ないですよね。
あぁ。やっぱりファールか。コンピュータがそう言っているのなら仕方ないや。
で終わりますよね。

どういう理屈でどんな計算をしてその結果が出たのか、気にしません。
結果が出たなら、それを信じる。
あえて言うと 神 みたいなものですよね。
根拠なき信頼。

それで公平にジャッジできるのなら、誰も不満に思いません。
審判のせいで負けた、なんて誰もいうことはなくなります。

決して遠くない未来にこのようになっているんじゃないでしょうか。
私見ですが。



さらにその先の未来も想像してみると、個人的に進歩・発展する余地があると思う領域は
「遺伝子」です。
どこぞのアニメではありませんが、かつもちろん生物学的な問題も抱えているのは承知していますが、そして道徳的にこんな発言が許されるのかは深く考えずにいいますが、
危険な遺伝子
ってのは存在を証明することが可能ではないでしょうか。

・20人殺害の容疑がかかっている元看護師
「自分が勤務のときに亡くなると、家族への説明が面倒だった」

・祖父母殺傷の中3少年
「迷惑を掛けないように、自分の家族を先に殺そうと思った」


こんなWeb記事もありますが、あえて無教養な言葉使うと「そんな考えはふつうしないだろ」って人たち。

アドレナリンの分泌により興奮が導かれるように、
特定の神経物質の量と人間の身体的な症状との関連性が判明してきている以上、
特定の神経物質の量と人間の特定の思考経路の関連性もわかってくるんじゃありませんか。


もっと端的にいうと、俗にいうサイコパスって人たちは、特殊な思考経路がある前提として、特殊な遺伝子を持っているのはないか。


それが判明したとして、だから彼(彼女)は危険だ、なんて言いたいのではありません。
それが判明したとして、どんな一番いい社会参加の在り方があるのか、それを十分に議論できるだけの土台が必要です。


今日の結論:
「プレ 科学が支配する世界」で生きていく上で考えないといけないのは、技術的には可能だが、あえてそれをしない選択を選ぶ、戦略的不作為


人類の発展・人々の幸福・科学技術の進歩。
抽象的で難しいテーマですが、自分の頭で考えて生き抜こうと思います。

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所有のリスク

ちょっと前の記事で、これからしっかり考えていかないとね、的なことを記しましたが、今日もちょっと考えたことを書きます。

巷ではよく言われていると思いますが、日本は”災害大国”であります。
特に今年は地震から台風から、天災により非常に大きな被害を受けています。

そして言いたいこと:所有のリスク

例えば台風21号により船が関空橋にぶつかり、二次被害が広がりました。
損害賠償請求するのかは不明ですが、もし「所有者責任」により被害額を補償するのなら、全額補償する余裕が一企業にあるのでしょうか。(勿論保険も考えないといけませんが)

はたまた台風により家屋も浸水して家電に被害を受けたり、車が使い物にならなくなったりと、金銭的な被害は大きいはずです。

”保険に入っているから”で済まされるのならそれで終わりですが、毎月いくらの保険料を払っているのでしょう。

個人的に、家や車など、「持ってて当たり前」のようなこの感覚に非常に違和感を感じます。

人生でも大きな買い物は、十分に吟味を踏まえた上で買わないと、損するだけです。

個別に言うと家買うリスクってのは、天災はもちろんのこと、”変なお隣さんリスク”(これは意外に大きいし、決定的だと思いますが)や、他に”住んでみて感じた瑕疵”など、気に入らないことは数あります。

こんなはずじゃなかった、しかし買った後ではもとには戻りません。

確かに、買うことで、所有することで満足し、その満足感に付加価値を与えるとするならば、コストを払ってでも満足を手に入れるのは合理的です。
そして、その満足感ってのは特に僕が住んでいるような田舎では「見栄をはる」行為につながります。

大きな、BBQスペースできる庭付きの家、7人乗れるような大きく綺麗な車。
そんなにいる?って疑問視するレベルをたまに目にします。


特に考えられないのが、当たり前のようにローン組むこと。
家なんて35年ローンですよね・・・。

ちゃんと吟味検証を経て結論に至ってるのか、凄く気になります。
余計なおせっかいですがw



僕は車(中古)も一括で買いましたし、家も長年のローン組むことは考えていません。
ローンって借金ですよね、利子付けて返すんですよね、利子ってローン組まなければ払わなくて良かったお金ですよね?

個人的には利子は1円たりとも払いたくありません。

特に大きな買い物もこれから増えていく中、ちゃんと考えて本当に今必要なのか、買う必要があるのか、
って問いは自分に繰り返すようにして、当たり前のように損する人間だけにはなりたくないです。


お金の管理を見直す。
これも人生の節目で確認しなきゃならないことだと思いました。







神社でのお祈り


宗教ってのは偶発性を馴致させる装置」 というのは、以前本で読み心に残っているフレーズです。
確か、宮台真司氏の言葉だったような記憶があります。

世の中、理不尽なコトだらけです。
若しくてガンに罹患。
交通事故で家族を失う。
産まれた時から非五体満足。

”なんで自分だけ”
その問いをずっと続けながら生きていく人って、少なからずいると思います。

なんで自分だけなんでしょう。
理由なんてあるのでしょうか。

ここで前世の行い、なんて言われたら何も言い返せませんが、
どれだけ理不尽に自分にだけつらいことが降りかかっても、必死に生きていく。
ってのが一応の答えだと思います。

僕個人はこういう悩みはありませんが、いつそれが身に降りかかるかわかりません。
特に家庭を持った今。
自分のことだけを考えて生きていけばいいわけではなく、これからのことを考えると不安でたまりません。


そして表題に戻ります。
「宗教ってのは偶発性を馴致させる装置」
であり、よって”なんで自分だけ”の解決方法が、神社でのおいのりだったりすると思います。


僕もジョギングコースに、神社があるのでたまに入ってお祈りします。
子供が産まれる前なら「無事産まれますように」。
司法試験予備試験直前では「試験で自分の力が出せますように」。

こうみると、本当に僕って都合いいな、なんて思ったりますが、
祈りって結局のところそういうものではないかと思います。

こんなこと書いてると紙神様に怒られそうですが、
”なんで自分だけ”って問いに対して”祈りが足らなかったから”なんて答えで
納得させてくれたり、
ちょっといいことあるとお祈りのおかけだと思ったり、
人間ってのは「よくわからない」のを一番恐れる生物だと思っていて、
「よくわからない結果」に対して必死に因果を求めようとするものだと思います。


身近なところは
・なんで今日は調子悪いのか
・懸賞が当選しちゃった

なんてところから、すぐ神に頼ろうとしていませんか。

お盆の墓参りもそういう性質を持っているかもしれません。


ただ脆く弱い生き物である人間は、何かに頼らずに生きてはいけません。
身の回りで自分の力ではコントロールできない現象が起きたのなら、それは神の仕業でしょう。



何かあると頼るべきは神であって、
祈りで報われるならそれが正解で、
その意味で本質的に都合いいものだ、
ってことを言いたかったのが今日のハイライトです。


こんなこと書いちゃって、
悪いことが自分の身に続くと、この記事消しますw


すいません、そんな発想も都合のよさが出ちゃってますw



Life is Fantasy

30歳にもなって、ちゃんと自分でこれから考えていかないとな、なんて思います。
気が付いたら40歳、50歳、60歳、自分の人生は終わりです。

人って、40歳を過ぎると自分の人生が有限だってことに体力的にも精神的にも気が付くみたいですね。

仕事だけ必死にやって、組織に尽くすだけ尽くして、定年を迎えるっていうの。
昔のいわゆる”モーレツ人間”ってこんな一生、仕事するのが大好きな人には目標としているかもしれませんが、
僕のイメージする一生ではないです。

もっと好きにいろんなことを自由にしたいです。
弁護士になりたいのは、自由になりたいからです。

って脱線しそうでしたが、上記のとおり一番怖いのは”何も考えず気が付けば今”って人生。
そうならないように、分岐点でしっかり自分の居場所及びこれからの方向性に対して思考する必要があるように思います。


そして思ったのが、やっぱり人生を楽しみながら乗り越えていくって考え方。

モーレツな仕事人間ってのは時に身体を壊します。
メンタルの病、鬱病などで長期休暇をとっている人ってすごく多いですよね。

強すぎる責任感ってのは時に害なのです。
過剰な組織・職場への尽力は自分にとって悪影響を及ぼしたりします。

親になって子育てもそう。
これからわが子をしっかり成人するまで育てるってのは本当に怖いですよね。
何があるかわからない世の中。
本当にいろんな不安を考え込んでしまいます。

そこで、悩まないようにする方法
100点ばっかりではなくていいじゃないか。

”Life is Fantasy”
どうですか?w

ファンタジー。
良い言葉ですよね。
スッと背負ってるものが軽くなった気がします。

そう、奇跡の連続でこうやって生きているんだしこれからも奇跡の連続だ。
何も100点を取り続ける必要はなく、この幻想世界で自分なりに楽しめたら100点だ。

と同時に、皆ファンタジーの中で生きている。
皆自分の世界を生きているんだ。
自分に対してみる目なんか意識する必要がない。

ってこの考え方、どうですか?
少しふざけてるかもしれませんが、結構考えてこの結論です。

自分で言うのもなんですが僕は他人に比べて責任感が強いと感じています。
任されるとやらなきゃいけない。

この考えって非常に怖いですよね。
日本人の特徴・真面目。
そこに責任感がプラスされると、それは非常に高いパフォーマンスを発揮できるかもしれませんが、
逆に言うと鬱病への入り口です。

自分で抱え込まない。
適度に頑張る。
自分だけでやっているんじゃない。

そして、どうせ、今の職場はやめるしw

そう、言い聞かせるコトバを考えていました。

ゴロも良いし、
”Life is Fantasy”
とりあえず、この感じで進んでいこうと思います。

自分のペースで、時に本気出す。
まぁ所詮幻想なので、そこらへんは力を抜いて、なんてね。


秋の夜長の、雑感でした。

論文書いてて

論文はとりあえず量を書くのが大事だと思いますが、今はまだ型を覚えながら、書き方・よく使うフレーズ・表現などを使えるようにコツコツやってるところです。

来年に本当に予備試験合格するつもりなんですが、
7月までに論文合格レベルにもってく必要があります。

今が10月下旬。
あと9か月で、7教科すべてをレベルアップしなければいけません。

合格体験記なんか読んでても、やっぱり重要なのは”試験のための勉強”をすることですよね。
法律・法学そのものに興味は出てきますが、そこの知的好奇心はほぼほぼに抑えて、ある意味うまく妥協しながら、進んでいかないといけません。

論マス一通り終わってはいますが、今は再度論マスを解いています。
憲法からです。
ある程度テーマによって書き方は固定されてくるパターンもあるので、それを一つずつ抑えながら、過去問に対しては書けるようになると同時に、合格者の思考経路ってのを強く意識していく。

分岐点があるとして何をもって何故そっちを選んだか、合格者ならどうするのか。
どこに書き方の工夫をする余地があるのか。

ってのを意識しています。

前にも書きましたが、とりあえず年内が勝負です。
あと2か月少し。
71日。

全教科終わらせて、年明けから答練開始。

そのスケジュールでいけるよう、ちょっとしんどいですが頑張ります。




目標が、その日その日を支配する



オリンピックのボランティア

オリンピックのボランティア って、したい人います?w

いやなんでいきなりこんなこと言ってるかというと、結構今話題になってますよね、オリンピックのボランティアが足りないって。

自分でも感覚的に、なんか積極的に参加したい、とは思わないなぁなんて思って、でもそれってなんでだろうって考えてみました。

今語られてる文脈ってのは、「オリンピックのボランティアを無償で行わせるのはおかしい」ってことですよね。

オリンピックを開催するにあたって必要な労務の提供。
それを返礼なく無償でやらせて当たり前。
募集人数も非常に多い。
この『若者を中心に、ボランティアを募集したらオリンピック関係だし無償でもたくさん集まるだろう』って考え方がが非常に気に食わない。
そう、感じているんです。世間は。

僕もこの感覚と同じです。
貴重な自分の時間。それを提供してもらって当たり前って考え方。
それを無神経というか配慮が足りないというかは置いといて、そんな考え方が根底に感じ取れるので、積極的にやりたいとは思わないでしょう。

少なくとも、日本国内での「ボランティア」って概念は、他国の事情はよくわかりませんが、限定されると思うんです。
つまり、ボランティアが肯定される場面ってのは、「無償での役務提供」全般ではなく、そのうち『特定の困っている人(例えば被災者)を助けるのを目的とした行為』だと思うんです。

なんでそういう空気が醸成されてきたのかは別の機会に考えようと思います。
ただ、困ってる人がいれば、見返りを求めずに助ける。
シンプルに、これが日本人の考え方です。
それに対し、例えば大学生がこんな会話をしているとします。
「イベントスタッフ、ボランティアでやってきた!マジ有意義だったわ!!」
「え?バイト代でないの?」
なんか、自然ですよね。

なんで無償なの?
お金出ないの?
その基準って、困ってる人がいるかいないか、の判断じゃないでしょうか。


だから、ボランティアって言葉は使っちゃだめなんです。




単語自体に違和感を感じ、反感が出るのは分かっているから。

じゃぁ、学生などの若者たちが積極的に手を挙げてくれる方法は何だろう。

多分、目指すべきゴールは「W杯日本戦終了後の渋谷スクランブル交差点」であり、「第100回選抜高校野球で金足農が決勝進出を決めた直後の秋田県内全域」であり、「プロ野球チーム広島カープが優勝した際の商店街(今年の盛り上がりはそこまで?)」じゃないでしょうか。

至る所でハイタッチの嵐。
応援歌は皆で熱唱され、抱き合う人たち。
不特定多数の、見ず知らずの人たちがつながる瞬間。
こんなにパワーあるんだな、って思い知らされますよね。



目指すイメージはそんなところ。
特にパワーを秘めた大学生とかは、力を発揮したくて、だけど発揮の場所・方法がわからなくて困ってるだけだと僕は思っています。
だからこそわかりやすく
「サークル」「コミュニティ」
といった形で提供してはどうでしょうか。

ボランティアなんて、「シューカツで使える感」丸出しの言葉じゃなくて、
参加するきっかけを作るには、優れているんではないでしょうか。

「サークル」「コミュニティ」。

どうでしょう。

結局人は、人と繋がることのできる共通点を求めているものだ、と僕は思っています。



結局ボランティアじゃなく、有償でバイト代的なものが出るオチになっちゃうのか、
少ないボランティアで頑張るのか、
あるいは目標値までボランティアが集まるのか。

今後の様子を見守っていきたいと思いますが、この問題には日本人の労働観、連帯感、いろんな部分で成り立っているように思えます。


やったらいけないことをしない

この社会で成功する秘訣は、端的に言うと「やったらいけないことをしない」事なのかな、っていう仮設を思いつきました。

というのも、まず考える次元を変えて、例えば今の会社で、組織で出世するためにはどうすればいいかって質問があったとして、
どう答えますか。

「あなたは〇〇をすれば成功する」って一文があったとして、何をイメージできますか。
巷にあふれている自己啓発本でも、結構こういう書き方してるのってありますよね。

ただ、しっくりこない。
具体的にイメージできない。
なら逆だ。

やったらいけないことをしない。
そして、やったらいけないことってのは、イメージできませんか。

例えば会社規模で考えても、
・無謀な事業展開
・長期的展望もない多額の借財
・思考停止の組織風土
・活気がない、コミュニケーションの欠如

あげていけば、たくさんあげられるますよね。
会社を存続させていくためには、そして大きくしていくためには、これらの列挙事項をしちゃだめなんです。一般的にですが。
会社がつぶれる理由ってのをあげていく。そしてそうならないために対策をとる。そうすれば潰れない会社になる。

成功例を研究し実践していくのもいいですが、失敗例をつぶしていくってのも非常に有効だと思うんです。

それは個人にとっても同じ。

例えば大富豪になろうとすると、そりゃ努力だけじゃどうにもならないでしょう。
だけどある程度の成功ってのを手に入れようとすると、まずは「失敗例」ってのを知るというのが一番実効的ではないでしょうか。

個人について考えましょう。個人の失敗につながる、一般的に語られる「悪しき習慣」をあげていきましょう。
・暴飲暴食
・タバコ
・運動不足
・朝食抜き
・ギャンブル
・睡眠時間不足
・非健康的な食生活
・借金
・コンビニで散財
・無駄な出費
・不清潔
・女性問題

などなど。習慣だけじゃなく広範囲にあげていきましたが、これらが一般的に語られるものではないでしょうか。


逆にこれらをしなければ、良いんです。

◎(二重丸)なんかいらない。×がつかないこと。


生きるコツってのは、こんなことじゃないでしょうか。
公務員の役人生活と一緒ですねw

人生では、多分究極の分岐点である選択をする機会が何回かあると思います。
自分の知らないうちに、何回か既にそれをしているかもしれません。
ただ、基本的な考え方がしっかりできていれば、きちんと自分でしっかり考えて答えを出していれば、複数ある答えの中から、
×を選択することはないんじゃないでしょうか。
結果としてはベストアンサーだったAを選ばなかった。だけど、一番選んだらマズかったCではなく、まだマシなBを選んだ。
それで、×回避です。

人生に対する姿勢。
最後はそれが、決めるのかもしれません。


列挙事由であげられる、やったらいけないことをしない。
そして、人生を決める分岐点である選択をする際にやったらいけない選択をしない。

ただ頑張れ!!!って言われるより、
こう考えると、少し楽になりました。

プロフィール

WIPA

Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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