読書録 「社会を変える」を仕事にする

はっきり言って、ノンフィクションというかドキュメンタリーというか自叙伝的な本を読んで、
泣いたのは初めてのような気がします。

そこまで、インパクトがあり、感銘を受け、考えさせられる一冊でした。

「病児保育」問題を解決するための、社会起業家としての筆者の生きざま、経験を書いたものですが、
「成功の裏には努力があるんだな」って言葉を薄っぺらく感じるくらい、
深く真剣に考えて、行動してきたその姿勢について、感激しました。

僕も恥ずかしながら、なんとなく「社会を良くするってどんなことが出来るんだろう」とか考えてみたりはしてるんですが、
はっきり言ってそのレベル。
具体性に欠ける。
とりあえず何かしたい。
考えてみる。

そんな浅い考えしかもっていません。正直。


ただ、興味深かったのは、筆者・駒崎弘樹氏は、まず「病児保育」問題を解決しようとしたのではなく、
まず「NPO」という形を選んでから、そして社会的問題の一つである「病児保育」を選んだこと。

この順番は非常に大切なような気がします。


ちょっと前の記事
でも書きましたが、稼げる力を持ってる人が非営利事業を営む。
これって、”合理的”ですかね?

多分、これが合理的とみなされる社会は遠くないうちに来ちゃって、
っていうかこの考え方を採用せざるを得ない限界まで社会は進んでしまって、
逆に言うと「行政」「起業」だけの力じゃ社会はもたくなると、僕は思います。


この利他的な行動こそが合理的だ。

それが叫ばれる日はまさにこの筆者たちによって作られるようとして、
それに頼るしかない社会はすぐに来る、そんな気がします。



虫唾が走る って言葉は僕自身あまり使いませんが、ただ、この本を読んでて、
数々の行政(公務員)の対応については、はっきり言って虫唾が走りました。


「あなたがNPO活動してこっちはたくさん電話を取らなきゃいけないから迷惑だ」的な
発言をした係長は、はっきり言って公務員失格です。
正直驚きました。
地域住民の窓口を行ってる職員が、この態度は許せない。

他に必死に働いてる公務員に対して失礼だし、
一人のせいで”公務員”全体の信用は失墜するんだなと思いました。




僕個人的にも、「稼いだら勝ち」っていう発想はあまり好きじゃありません。
経済格差も広がりビジネスでも投機的な事業が行われる。
金じゃなくて、肩書きでもなくて、考え方、ロマン、人そのもの。

読書録からはかけ離れましたが、
この本は読んでよかったです。おすすめします。
「社会を変える」を仕事にする: 社会起業家という生き方 (ちくま文庫) 駒崎 弘樹著 
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疲れた時にはたくさん本を読んだり

一応趣味聞かれたときに読書って言ってるレベルに読書は好きで、定期的に本は読んでいます。

読書メーターやってて、
読んだら更新はしてるんですけど、改めて見返すと、記録をつけ始めて5年弱。
一日平均は0.5冊ほど。
2日で一冊になって、昔に比べればだいぶ減った事に気づきました。

で、なんか、気が病んでる時って、小説って凄い栄養剤になるんですよね。
もう、本当に仕事が嫌になったとき、だいたい読むのは小説ですよねw

なんか、現実逃避に最適というとか、逃げる先は、僕にとっては本の世界であったりします。

ノンフィクションは、それはそれで学ぶことは多く、とっても勉強になります。
でも、それだけじゃ足りないってことに、今頃感じるようになってきました。

今週末では、
MISSING
とか
舟を編むを読みました。


良い本ってのは、世界が拡がりますね、本当に。
今自分が生きている世界、考えている領域、視える空間ってのを、
ことごとく否定するもの。
それが小説だと思います。

「仕事ばかり考えなくて良いじゃん、そんなに力まなくても。
こんな考え方も生き方もあるし気楽にいけばいいと思うよ」ってのを提案してくれる媒体。


本当に助かってる感はありますね。
特にこの一週間は、風邪で倒れていたこともありw

こうやって、”思考の次元”を変える事って、物凄く重要な気がしますね。

いつもいる着地点と違う舞台で”考える”。
ちょっと旅行行きたくなるようなあの感覚。

少なくとも、人間ってのは、”変わらず”を是としながらも、”非日常”を感動する、そんな我儘な生物だと僕は思います。
いつもと同じが楽ですが、たまには違う感覚を欲する。

こうやって考えると、何が正解で何のために何をもって生きているか本当にわからなくなりますね。

僕自身も、体調が回復してまた明日から本腰入れて勉強するぞって気合はようやく戻ってきました。

生活する”次元”ってのを意識的に変える。
それがサラリーマン的なリフレッシュであって、栄養補給であって、スタミナ回復であって。


あと、個人的にめちゃくちゃ好きなのが、
たまに乗る新幹線の中。
ボーっと窓越しに景色を見ながら、無意識に色々考えてる。
こういう無意識にボーっとできる場所ってのも、生活するには必要な場所、な気はしますね。


もう少し小説を読んで、日曜の夜を噛みしめながら、寝るとします。
良い夜を。

経済学で学んだこと

今法律家を目指してはいるところですが、僕はもともと私大経済学部の卒業です。

なぜ経済学部かというと・・・なんとなくって感じです。
偏差値的に、こんなもんか的な発想で、そのま4年間、経済学を学びました。
大学生の時はずっと遊んでて、本当に経済学を勉強してのは大学3年生の終りからです。

ただ、勉強にハマってしまってからはずっと図書館にこもって、ずっと本読んでました。
今でも衝撃を覚えてるのが、『ヤバい経済学』『人は意外に合理的』、この2冊を同時に読み終わった感覚です。

前回の記事でも、
人の合理性について考察したみましたが、そもそもの考えのスタートがこの本たちです。

何をもって合理性とするか、何が合理的なのか、
本当に、どっぷりハマった2冊です。

この2冊から「人の行動」に興味を持ち、社会学を(もちろん独学で)勉強し始めたのが4年生になってからw

まぁ色々ありましたが、やっぱり学問の本質は、「学んで考える」って人間の素晴らしい特性を顕著にしてくれる、
最高の手段だと思ってます。



ちょっと脱線。
まぁ例えば今も僕は法律を少なからず扱ってて、そして法律家のプロを目指そうとしてて、経済学って、どんなところでいかせるのか。何を学んできたのか。


私大経済学部を卒業して、法律を学んでる人がいれば誰しもが思いつく質問だと思いますが、これについて考えたいと思います。

そもそも、僕が考える経済学の特徴は・・・

『人』個人への着目 です。


社会科学の中で、ここまで「人」単体に着目した学問は無いと思います。
例えば
社会学は「社会を人のつながり」について、
文学は時代と環境、そして人と文体について、
政治学は社会と政治について、
行政学は国家制度とその限界について、
哲学は『何を持って生きるか』について
そして法学は・・・法体系の理解と価値観について、
学問を学べば多様な考え方が身に付きます。

ただ、それも「制度論」だったり「社会単位」での理論だったり、
人間の個性に着目してる学問、というよりも人間の個性を研究対象としてるのはやはり経済学だと思います。


上記の、僕が読んで電気が走った(!?)2冊も、そういう本です。
インセンティブについての研究。
人の意思決定回路の検証。
それが経済学の本質だと思います。


マクロ経済学とか、ミクロ経済学についても、特に公務員試験を勉強する中でいやというほどモデルについて
勉強してきたけど、そもモデルの前提となる「人」個人、単体。


「何でそれを選んだのか」
この質問をできるのは経済学だと思います。



特に弁護士は個人の人権保障を擁護するっていうのは使命の一つです。

経済学を通して「人」に対する着目の重要性を学び、人の”思考”について考え、 commit , connect の大切さを知り(過去記事)、ダイレクトに繋がることができる。


経済学と法律・・・どんな関連性があるのか。。。
両者を『人』っていう共通因数でくくってあげて、
前者はプレーヤーそのもの、後者はステージ。
そんな事が言えるんじゃないでしょうか。



うーん。このよくわかんない感。
まだまだ思考の余地がありそうですね。

とりあえず、今回はここまで。

”合理的” と ”効率的”


今朝は出勤しながら、考えちゃいました。
”合理的”って言葉と、”効率的”って言葉について。

多分いい傾向だとは思うんですが、法律を勉強するっていうことって異なる価値観があることを理解することだと思いますし、
そしてそれを調整するもの、妥協の産物が法律であるってことにも気づいたし、そしてそのような効果を与える法律の各条文について、「そもそもこの条文の趣旨は・・・」って考えるようになりました。
AはBである。 この一文について、「そもそもAって・・・」というように、本質を考える癖がついたと思います。
考える前提を明確にする。自分なりの定義付けをする。これって、自分の頭で考えるためにも、凄く重要な事だと思います。


前置きが長すぎる気もしますがw
本題。そもそも論で上の2つの言葉について考えた所感。

これらの言葉を使う場面をまず考えてみましょう。
こんな一文ってどうですか。
「試験合格を目指すための、合理的な判断は、効率的な勉強をすること」
こうみると、”効率的”は”合理的”が内包しているもの、と考えられます。

少なくとも、この2つの言葉たちは、通常良い意味で使われますね。
では、”合理的”に考えて行動することは、『正しい』ことなのでしょうか。

この点について、例えば経済学部では、理論の前提として「”合理的”経済人」を設定しています。
『正しい』かはともかく、『自己の生存』を究極の目標にしたうえでの”合理的”な意思決定。これがモデルとされている像です。

ただ、学問の世界ではなく、この世の中で、この理論にどれほどの説得力があるでしょうか。
”合理的”だけが、すべてでしょうか。僕はそう思いません。
”合理的”のみが絶対的な善とみなされると、それは『社会の可能性』の否定としか言えない、と僕は思います。

社会の否定って言葉をどう意味で使ったとかというと、それは「人間性の否定」です。
人間らしさってのは、端的に言うと、『非”合理的”な行為』に他ならない。

ちょうどノーベル賞の発表がありました。
大隅良典栄誉教授の発言を引用↓
「1つだけ強調したいことは、必ずしもがんにつながるとか、余命(の延長)につながると確信して研究を始めたわけではない。基礎研究を、そうご理解いただければ」

何のために、誰のための研究か分からない。学問的渇望、知的好奇心の帰結が、ノーベル賞。
結局、一番効果があるのは、「自分のため」ではなく、「よくわからないが誰かのため」に自分の力を使うこと。
そう意味での未知の領域での進歩こそが、科学発展だし、イノベーションに繋がると、僕は思います。

この文脈で、残念ながら経済学はモデルとする「”合理的”経済人」と対象な人たちによって、作り上げられてきたといえるのではないでしょうか。(ちょっと言い過ぎ)


そして最後に。
経済学上のモデルの「”合理的”経済人」も、たまに間違えちゃうことがあると思います。
ちょっとしたミステイクではなく、重大な過ち。
それは、『人間の欲望は無限大』っていうことをリスクとして捉えられていないことです。
各個人の欲望が有限なら、それを満たす行為こそが、”合理的”だと思いますが、
無限な欲望を満たそうとすることこがまず不可能であり、アプローチを間違えると罪を犯すことになると思います。

海賊王に、俺はなる! でもなんでも欲望を抱くのは自由ですが、
足元を見ながら、この意味での『足るを知る』という言葉の意味に気づくこそが、
欲望を抱く上でのマナーのような気がしてきました。

「足るを知る」、ちょっと違う意味で使っていますが、昔のブログです、恥ずかしい文章ですねw




以上、今日の雑感。
プロフィール

WIPA

Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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