思考は不可視

思考は不可視。

今更当たり前なことを何言ってんだって言われそうですが、これって結構決定的・クリティカルな要素含んでるんじゃないかって
考えてたのが今日です。
思考は見えない。
そりゃそうですよね。
他人が何考えているかは表情や言動から読み取るしかありません。
昔ドラマで見ましたが、サトラレとかあぁいう類でない限りは。

思考・人が考えている中身を見ることが出来たら、どうなっているでしょうか。
たぶん2000年前くらいに文明開化してるんじゃないですか?(テキトーw)
ただ、人間は他人が発する言語を聞き取り、目で仕草を見て理解し相手の意図することを考えたりしますが、
考えてることがお互いコトバにしないと伝わらないってのは仕様上のちょっとしたミスですよねw
脳科学が発展すれば思考同士でコミュニケーションできたりするんでしょうか。。
残念ながら生まれながら人間は”思考”だけじゃ相手に伝えることができない。
この前提で話を進めましょう。



もう一度、思考は不可視。考えるだけじゃ共感できない。
ゆえに、人間同士で意思疎通を行うための「非言語」による意思の伝達、および「言語」による伝達が求められるんです。


それが「見えない」モノであっても、「考える」っていう能力があるのは動物でも人間だけでしょう。
授かった力。
それによりここまで文明を発展させてきたといっても過言ではないと思います。

そして、
思考こそが社会をここまで育てた原点であり、共通の財産である。
個人として思考することこそが社会での価値である。
こんなことが言えると思います。


また、ここでいう思考も、これは表意を前提とするものではなく、
ただ純粋に考える。
言葉にするでもなく、絵でもいいし、デザインでもいいし、はたまた匂いでもいい。
こういう感触、感覚をイメージする。

たぶん、
深度のある純粋な思考ってのは、無意識にでも身体上で顕在化するようになっているんだと思います。
つまり、「非言語化」による意思伝達が行われる。
感じ取られ感じ取る。


そして最後に。
こうやって無意識のうちに伝達されあった「思考」の塊をストックする仕組み。
相乗させ、社会に還元させる形。

個人と社会って対立でモノゴトを考えたとき、一番重要なのはここなんじゃないかなって思いました。
優秀な人は自ら発信し続けます。

発信者による発信を前提するのではなく、小さな思考のカケラを集めた全体。
社会のデザインを考えるときに、ヒントになりそうなので今日ここに記します。

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”働く”。生きる目的。

何のために仕事しているのでしょう。

猛勉強の合間に、ふと考えたりすることがありますw


少なくとも働いている人には二種類しかいなくて、
生活するために仕事をする人か、
仕事は単なるツール、手段と捉えている人です。


少なくとも僕は後者でありたいと思っています。


・・・というのも、社会人の友人と会話をしていても、生きるために仕方なく働くって人が少なくないんです、本当に。
特に田舎のインフラ系や地銀なんてそう。
一回入社すると基本的に定年まで首はありません。

年功序列。
生きるために働く。
転職先もなし。

っていうパターンは少なくないはずです。

生きる目的が仕事ってどんな人でしょう。
よほど今やっている仕事が好きでたまらない人、転職に出会った人もいると思いますが、
そうではない人が多いと思います。

満員電車で押されながら
上司に叱られて
取引先に罵られて
帰宅していくサラリーマン像。
ある意味強くたくましく立派だとは思いますが、
仕事する目的が「生活するため」と捉え始めた瞬間、
仕事に対する態度は変わると思います。


なんとなく、わかりますよね、すがりついている人って。
組織内での政治が巧みな人。

個人的に一番嫌なタイプですね。

最近しっくりくる表現に出会いました。
「あざとい」人。
これが僕が一番苦手としているタイプの人間です。
自分の仕事を他人にやらせるのが上手な人、
巧みに逃げる人。


「やったもん勝ち」っていうのが資本主義の本質なら、
資本主義は今の職場を否定しています。
つまりやらなくていい、が善となる。
”暇”を好む。
結果としてどんな人が生産されるのでしょうか。
極論としては、与えられたタスクについて
「どうやったら早く終わらせるか」
ではなくて
「いかに他人に押し付けられるか」
「どうすれば自分がやらないで済むか」
簡単な理屈ですよね。



たぶん、僕もまだまだ人生未経験で浅い社会人生活しか送っていませんが、
やっぱり働くことって単なるツールで目的はそれ以外だと思うんですよね。
生きる目的。例えば”善き人”になるってのはどうですか。
昔の哲学者みたいな考えですがw


「働く」が目的になると視野はそれ以上広がりません。
会社っていう小さなコミュニティで一生生きていくだけです。



ブログを始めて3年以上たちますが、振り返って一つだけ成功したな、と自覚している点があります。
それは常に「社会単位」の目で物事を見ようと思った、そんな視点をつけようと心がけていた。
”会社”に染まるのに抗っていた。
抗う手段として、もがきながらブログに想いを綴り続けた。



決して職場の人も嫌いっていう訳じゃありません。
ただ、働くってなんだろうか、
そして今の職場の本質的な部分、仕組みについて考えてみました。



今までも、そしてこれからも僕は抗い続ける予定です。

ブログタイトル

ブログタイトル、変えてみました。
なんとなく。

ノブレス・オブリージュ。
意味は→(飛びます)
僕は全然高貴な身分ではありません。
が、ほんの少し考えてみることくらいできます。
教養としてのリベラルアーツを学び、感じ、
スタンスとしてノブレス・オブリージュっていう考え方を取り入れる。

本当に恵まれた環境で仕事ができています。
おいしいごはんが食べられる。
たくさんの本が読める。
おいしいビールもいろんな場所で飲める。
ぼーっとする時間もある。
少し考える時間もある。
そして受験生になることが出来た。

ここまでの幸福って味わえないと、今更感じました。
何一つ不都合なく生活できています。

ただ、この環境が当たり前ではありません。
恵まれた環境で社会について考えよう。
考えて考え抜いて、社会へ恩返ししよう。
金があるから、とかじゃない。
ただ物事を”考える”できる環境にいる。
「足るを知る」って言葉ありますが、今の、「どんな欲望も金でかなえてくれる社会」で生きる上で
重要な考え方だと思います。

ノブレス・オブリージュって言葉を自分なりに再定義してみました。
本来この言葉が持ってる「義務」とかそういうのじゃなくて、
社会への奉仕、思いやりの提供。
これからは、そんなスタンスにより僕たちが支えられて、逆に社会を支えたりするんじゃないでしょうか。

学び、考え、提供される教養。

ここまで言って、気づきましたが、
「知識の量」とか「考える力」とかそういった能力よりも、
生きていく『姿勢』が問われている時代な気がしてきました。

少なくとも僕は、多くない知識で、頭が良いとは言えない思考力で、
学び考え、アウトプットしていこうと思います。

プロフィール

WIPA

Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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