新しい 「働き方」 ~クーリエジャポン~



突然ですが、明後日土曜、クーリエジャポンって雑誌があるんですけど、そこが主催してる朝カフェに出席することになりました。

ちょっと前も全く別のイベント「読書会」ってのに出席しましたが、土曜の朝から活動しているサークルとかが多いんですね。
感心笑

金曜土曜と飲み会に挟まれますが、頑張って出席しようと思います。


で、このクーリエジャポン。
出席するからには・・・って帰りに梅田紀伊国屋で買ってきました。

雑誌の内容としては今日のブログのタイトル通り、「新しい働き方」を提案しているものなんですね。

例えば最近はやり(?)の週3休日、月収15万。
組織に属さず個人で「家を貸す」稼ぎ方 などなどが紹介されていました。

脱会社化。
この流れは間違いないとして、どのような働き方があるのか。
ひいては新しい資本主義ってどんなんだろう。
こんな事を考えさせられました。

パラレルキャリア特集も雑誌の中でやっていましたし、なんとなく僕自身にマッチするものなのかなぁ、
定期購読しようかなぁなんて思ったり。
ビジネス雑誌コーナーにありましたが、どちらかというとあんまりビジネスチックな本ではないですね。
脱ビジネス、という表現もある意味的を射ているかもしれません。




ただ一点、留意するべきだと思うのは今の「脱サラリーマン化」の流れの傾向として「ファッション感覚」っていう要素があると思うんです。
そう、高度経済成長期の脱サラと同じ流れで。

カジュアルなスールで遅めの出勤、綺麗なオフィスで企画打ち合わせ。
ランチは外食、ゆとりのある勤務体系。パソコンはmac笑。


こんな先入観があるのは僕だけでしょうか。

少人数でベンチャー立ち上げる場合も↑こんなゆとりのある「オシャレな」就業。
これを僕は連想しちゃうんです。


この流行に文句をつけようとかいう気は全くないんですが、流行なんで廃れる事もあり得ますよね。
この流行が定着し「新しい働き方」として脱カイシャ化の帰結になるのか。
そしてその可能性は。

それも含めて、土曜日勉強してこようと思います。

明日は金曜日!
おやすみなさいzzzzzzzzzz
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肩書 と 語られる内容 【言論の自由】


今、様々な肩書が蔓延しています。
○○学者、ブロガー、批評家、作家、思想家、
もっと実務的な肩書になるとアナリスト、弁護士、あと資格を挙げればキリがないでしょう。

今日考えたのはこのそれぞれの肩書で語れることの出来る内容、その制限についてです。

昼のワイドショーでも、或いは本一つとってもそれぞれのその意見を述べる人の肩書をもって、
その肩書による論考というものが行われていますよね。

では、その述べる表意者・発言者によって語られる内容は制限されうるのか?
ということを考えたんです。

僕は現時点では、この問いに対してyes と返答せざるを得ない状況だと思います。

何故か?
視聴者・読者は肩書をもとにその人を判断し、内容を吟味する。
マスメディアの在り方、及びそれを含む言論界の状況としてこんな現状になっていると思うからです。

要は、肩書の設定により発言者も無意識のうちに語る内容が制限させられている。
「この立場からはこんな事しか言えない」

ある組織に長く属する人、役職で行動する事を求められる人ならば想像つくでしょう。


あるセンテンスがあるとしましょう。
このセンテンスを読んだ人はまず何を思うか?
「これは一体誰が、何の目的で言った内容で、何を言おうとしているんだ?」
じゃないですかね?
僕は少なくとも1つのセンテンスに対しても、「この一文はステークホルダーの一員としての言論である」、
という前提で対応する傾向に気付きました。

肩書きに左右されず共感されるセンテンスがあるとしても、残念ながら現在の言論界はコンテンツ勝負、というわけにはいっていない。
誰がそれを言うかによって支配されていると思うんです。


以上の考察を踏まえた上で、ですが2点。

①僕は今ブログで感じた事、思った事をつらつらと書いていますが、これも僕自身どの肩書を採用するかによって
変化がありうる、
ということです。
経済評論家、と肩書を変えると今日のこんな記事なんか書けやしません。
アマチュア・ブロガーという抽象的すぎる肩書だけに許してくださいw
僕だけの話でもありません。
各界の著名人。
どんな肩書で何を述べているか。
言論内容と肩書の相関関係は。
考えるに値すると思います。

②ネットの可能性、についての言及です。
ネットでの発言って肩書は「ネットの住人」になりますよね。
僕もそうですw

例えば僕がもし仮に万が一素晴らしい記事を書けたということがあってもそれがシェアされるでしょうか?
残念ながら可能性としては非常に少ない。

そう考えると、不特定多数が入り混じれるネット界。
この中で語られる内容ってどれほど有効なんでしょうかね。
純粋にコンテンツで勝負する場。
「知のプラットフォーム」をネットの中で、発言者の肩書無しで構築するのはそもそも可能なのでしょうか。




最後に。
スケールを大きくします。
上記の文脈で考えると、言論の自由って現在日本では憲法でも保障はされてはいますが、
無意識に個人の中で制限されているもの、
といえるのではないでしょうか。
何を言ってもいいが、この立場からはこんな事しかいえない。
コミュニケーションを行ない、語り合う中で無意識にそれを刷り込まれた。
簡単な例→政府を批判出来るのも、一国民という立場で可能になる。
では、他国の政府を批判しますか?
それは自分に実際の利害が無いからですか?地球・世界規模でみるとあり得ますよね。
批判する「資格が無い」「立場じゃない」と刷り込まれているからではないですか?


というより、一個人として自分をどの立場に設定するかにより、言論する内容、
ひいてはその前提となる思考まで制限されているのではないでしょうか。
=「僕はこの内容について考える立場に無い。」
これは思想の自由って領域にももしかして絡んでくるんですかね。



無意識の自覚。
最近はフロイト・ソシュール関連の本を読み漁っているのもあり、言論及び思考様式について考えてみました。

なかなか深く考えちゃったので今日なかなか寝れませんw



明日も雨っぽいですが頑張りましょう^^v
お疲れ様でした♪

コミュニティ の 作り方


人を繋ぐ、繋げる。
この手法についてずっと最近考えている気がします。

何度もこのブログでも言ってきたと思いますが、
この人的ネットワーク、人の繋がりを担保出来る社会じゃないと
個々個人としても極端な言い方をすれば人格の崩壊を招くと思います。

見ず知らずの第三者との関わり具合、
未知への領域への接触度、
これが人々に「公共心」を与えるものである
、と僕は思っています。


ただ、少なくともこのまま個人が資本主義制度の中に組み込まれて
人格が「機会化」されていく、っていう方向は避けがたい、とも思っています。
家族の崩壊、「カイシャ」の崩壊。

日本という国民国家を支えてきた基盤の崩壊。
少しずつですが個人は孤立化されていくと思います。

ただ歴史が今のこの社会制度を支持しているため、これを覆す、なんてことはまず不可能だと思いますし、
社会制度そのものも今の民主主義により出された答えなのでとやかくいう気はありません。

大事なのはまずその方向性を認識するということだと思います。

個々の孤立化は避けられない。
ではその代替装置として何を機能させるか・・・
といったらやはり別のコミュニティ、その答えが出てくるでしょう。


その際に活用されるものとしてまず挙げられるのがネット。


SNSとかもやってない人がいない位だと僕は安易に認識しているんですが、
でも結局SNS、ネットでの繋がりってリアル・ Face To Face でコミュニケーションするためのツールの一つであり、
有効性を考えると「手段」で終わってしまうものだと僕は思い始めました。


オフ会、というのも多々SNSで企画されていますが
そのオフ会では逢った瞬間、或いは逢う前から共通の話題が設定させられている。


初めに
「見ず知らずの第三者との関わり具合、
未知への領域への接触度」っていう表現を僕は使いましたが、
その意味(異文化交流度)ではネットにも限界はあると思います。


価値観が乖離されている人々同士が出会う瞬間、
そしてその人達がコミュニケーションを行なったときに初めて
その場が「公共の場」となり、
民主主義を発達させるものだと思うようになりました。




何が言いたいか端的にまとめるのも難しいんですが、
「人それぞれ考えて人生送ってるんだよ」って事じゃないですかね。

各々生きざまがある。
色んな生きざまを知って、その最小公倍数を見つける、模索する。


住みやすい社会の作り方、ってこうやってやるんじゃないのかな、って考えるようになりました。



眠いので寝ますzzzz

明日も天気良いらしいので、公園で読書をする予定ですw
最近は哲学者・鷲田清一にハマっています。

深い本を読む場所というのは、本当に静かで薄暗い位のカフェが最適ですけどね。
火曜 祝日の過ごし方っていうのはよくわかりません。

芸術とは 「右脳的思考」


私事で恐縮ですが、、

今日まで1週間、3連休もはさんで夏休みをいただいていました。

たくさんのものに触れ、感じ、思い、考え、経験させられた非常に有意義な期間でした。

特に今回考えさせられたのは、タイトル通り「芸術」に関してです。

なんていうんですかね。
今までの僕は、
とにかくたくさん本を読んで、たくさん情報を吸収し、考え、言葉にし、
自分のものにしていこう。
その結果アウトプットして何らかの形で社会に還元出来ればいいな、みたいな事考えてたんですね。

文字で人を動かせられる、社会を変えられると。

ただ、やっぱり限界はあるんですよねw
それに方向性に違和感がある。


人を動かす、社会を変えるものって『ストーリー』を持ってるものだと思うんですよね。
歴史の中で蓄積されたストーリー。

それってやっぱり文字のみだけでは語ら得られないもの、だと思うんです。


大きなビジョンがありその道を歩む過程でストーリーが出来上がり、それを傍観者が評価する。
断片的なセンテンスをつなげてみても、それがいくら非常に内容として優れたものでも限界があります。


で、芸術。
ストーリーの塊、といえるんじゃないでしょうか。
何故この作品が評価されるのか。
作者、作品がもつストーリー。

要は「全体性」を担保したい、って言ったらいいんですかね。

でも単に絵を見始めた、とかそんなんじゃないです。

ユックリと考えるクセをつけるよう。

この空間。
この世界。
この次元。

いつもと同じ。
でも少し立ち止まって自分の在処を俯瞰してみよう。

僕はこういう意味で芸術ってフレーズを使いました。

右脳で考えよう、って事ですね。
直観。
それを出来る限り言葉にしていく。

センテンスからセンテンス(左脳的思考)だけではなく、これからは
フィーリングからセンテンス or フィーリング(右脳的思考)。

なんていうんですかね。
「僕」という発展途上の作品は今までモノクロ世界で生きてきたんですけど、
これからは色合いのある世界を見ていこうみたいな感じです。


直観的に「イイ!」と思ったものを大事にする。
それを積み重ねる。

非常に脳にもよさそうですよね。

生活の質、といいますか。
それを見直していこう。
違う自分が見つかりそうです。

とにもかくにも、この連休は自分の「思考」全体を見直すキッカケでした。





休みに一体何があったのか?

大好きなカフェで朝からモーニング。
静かな空間に、陶器の響く音。
そして函館の綺麗な海、澄み切った空を見て八ッとしたんですw

あっ、こういう事か、みたいなww

語彙が少なくてすみません。

生活の質を高めていき、
思考の次元を高める。


そのツールとしての、自分の中の芸術性に対する感度。
これを高めていこう。


本読みながら寝ます。
おやすみなさい^^v


本を読むこと


最近、また読書熱が再発してきました。
いやー面白いですね、読書。

大学3年位の頃から学問に関する本を読み始めてからというもの、
読むジャンルは圧倒的にノンフィクションです。
実務的なビジネス本・自己啓発本というより、もっと直球の学問って本が好きですね。

【参考】僕の読書メーターです

色んな本を読めば読むほど書いてるんですが、価値観を変える・拡げるためには
○人と逢う
○旅に出る
○本を読む

この3つしかない、ということなんですね。。。

よって最近、天気もいい日が多いので昼下がりの公園、とかで読書してますw

結構いるんですよね、公園で本読んでる人。
どんな本読んでるのかチラっと見ながら、
子供の元気な遊んでる声を聴きながら
少しまだきつい日差しを浴びながらの読書。

ぶっちゃけ素晴らしいですw

いつものカフェで、というように行きつけのカフェを作る作戦もありますが、
今僕が探しているのは本を読める場所。
色んな所で本を読み、
色んな環境で違う読み方をしたいと思っています。


私事ですが、今日から夏休みです。

午前中で今日の予定を済ませて、
昼からは中之島の公園まで行って本を読んできましたw

最近の気候はメチャクチャ過ごしやすいですよね、僕が一番好きなシーズンです。
家でこもるのももったいないと思わせてくれるような気候。

明日からはプライベートで東北・北海道に旅行に行きます。
少し早めかもしれませんが、秋を見つけてこようと思います。

では、今日はおやすみなさい^^v

プロフィール

WIPA

Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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