大学生と出会いました

先週の週末、良い(←自称)出逢いがありました。

日曜、淀川河川敷でBBQするために集団グループで待機していた所、
偶然同じ時間に横でも大学生グループが集合していました、BBQのために。

そして、きっかけはこの一言でした。
「どこの大学ですか?」
大学生グループと勘違いされたらしい!
それにしても大学生!
26歳にもなり勘違いされちゃいました!
メチャクチャうれしかったです^^笑

ともあれ、その大学生が素晴らしい。
STUDY FOR TWO
って団体で活動してるらしいんですが、こんなに大きく綺麗なWEBサイトまである団体を今まで知りませんでした・・・。

まぁ加入してるだけならともかく、会話してても彼が非常に輝いてみえましたね。
有志ある若者、彼のような人をずっと待ってた気がします。
1年生で大学入ってまだすぐなのに、ちゃんと団体活動の細部まで調べてある。
活動状況から設立者まで。
本当に素晴らしいですね。


僕は大学生1,2年生のころはずっと麻雀ゲームバイトをしてました。
廃れてましたね><
だからこそ、正反対に生きる大学生(1年生)の姿を見てやる気になってきました。

とりあえずFaceBook繋がって、これからの作戦を考えることにしました。

彼は他にも社会人との交流会も企画しているみたいです。
僕も是非是非大学生と話をする機会が欲しいです。

ドヤ顔で社会人とは・・・っていうのを伝えるためじゃなくて、
ただ昔の自分に後悔しているから同じような人生を送る人を少しでも
少なくしたいんです。

若いうちの人との出逢い。
これは宝物だと思いますね、特に同じ「大学生」ではなく違う組織に属する人。

勘違いをして話かけてきてくれてありがとう。
一期一会とは言いますが、この出逢いを特に大切にして輪を広げていこうと思います。

人と繋がり、人を繋げる。


p.s
最近ハマってる言葉があってずっと意識しています。

"open mind , high spirit"

少なくとも自分が人と繋がるために繋がろうとするために、最低限備えなければいけない姿勢だと思います。
ホントに良い言葉です。
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人との繋がり(W杯)

前回の記事の続きみたいになります。



人と人を繋がる、繋げる。。
そんなことを考えてたんですが、タイムリーなネタが提供されました。
それはワールドカップです。
渋谷でまたパーリーしたらしいですねw
負けたのにお祭り騒ぎ。
鳴り止まないニッポンコール。

昔はこんなのなかったんですがね、いつからこんな盛り上がるようになったんでしょうか。


僕は、やっぱり「人は何らかの共通の価値観で繋がりたい」って潜在的な欲求を誰しもが持っていると思うんです。
大衆的な同じ認識、自己承認の欲求。

高度経済成長期は「アメリカへ追いつく」ってのが人を繋げていた共通の価値観だと思います。
少しでも日本を恵まれた国へしたい。
社会制度の基盤にはそんなイデオロギー的な何かがあったんだと思います。
思想風に言えば、「大きな物語」ってやつですかね。

今はそれが喪失し、特に若者を支えているのは何も無い、って言われる時代ですね。
何に頼っていいのかわからない、どこに向かっているのかわからない時代。

逆にそんな時代だからこそ、何か「キッカケ」・イベントがあれば爆発的な力を産むんじゃないでしょうか。
ありあまるエネルギーを使う場所をずっと探しているんじゃないでしょうか。

そんな気がしてなりません。

ネトウヨって言葉も少し前に出てきた言葉ですが、よく耳にしますよね。
これも「愛国心」の延長上、ポジティブに捉えるとそう位置づけることも可能じゃないでしょうか。
社会基盤は揺らいでいるが、「日本」という国自体は明確にわかりやすく「存在している」。
その存在を認識でき、共有できる。
この論理でネトウヨは影響力を持つと思うんです。
似た価値観のもと、言論が言論を支配していく過程。

こう見ていくと、絶えず「自分の味方・仲間」を見つけようとしているのが顕著な現代の日本の若者像ではないでしょうか。
根本的な精神の基盤がないゆえに、この流れも加速していっていると僕は思うのですが。

何度も言っていますが、
結婚して、
車買って、
子ども産んで、
家買って、
そんな「普通のサラリーマン」の人生を追い求める若者は少なくなってきています。

選択肢が増えただけに、逆にあがいている、苦しんでいる、そう僕は感じます。
自由ゆえの束縛って表現が適切ですかね。逆説的。
僕の考察というよりか、読最近む本には大体このような事が書かれているんですね。。。

だからこそ繋がる、繋げる場所を提供することが重要になってくるんだと思います。
繋がる、繋げる。
良いフレーズで気にっていますが具体性0なんですww

しばらくこのテーマで色々考えようと思っています、
おやすみなさい。

脱「階層化」

以前から何度も言っているかもしれませんが、これから個人単位で社会を生きやすくするためには、「階層化」って方向を離脱しないといけないと思うんです。
いわゆる「格差論」。
内容としてはこれに似ているかもしれませんが、僕がイメージしているのは「金銭的な、物理的な格差」ではなく、
個人が無意識に感じているような内面的な、「精神的な感情論」的なものです。
社会の中でのステータス、及びそこから派生する考え方そのもの、それを僕は階層化ってみなしています。

抽象的かもしれませんが、端的に言うと「大手企業に勤めている人がフリーターを見下す」見方のような感じですかね。
嫉妬、妬み。それは社会で生きる中で必然的に存在するものだと思いますが、それを「ステータス、肩書き」で判断されるような生きにくい社会はイヤですね・・・。


で、「脱階層化」論。本題。
異なる階層に位置している人、そのような認識を持っている人同士つなげるためにはどうすればいいのか。
そもそもその「はしご」ってどうやってかけるのか。
僕のそれに対する一応の回答は一言でいうと「コミュニケーション」です。
お互い分かり合えようと無理する必要はない。
ただこれまた何度か昔の記事でも書きましたが、「コミュニケーション≒贈与」だと僕は思っているので、
この行為自体が階層化を防ぐ一つの方法になると思うんですね。
「ただ意味も目的もなく話す」、この行為自体です。



人と繋がり、人を繋げる。
僕が想定しているのはパブリックな場所です。
パブリックといっても雑談レベル。
ただ私的な空間の中に公共性を担保する。
その過程で人格形成、「最低限、敬意をもって人と喋れるような人」が作られるんじゃないかな、とも思うんです。

なんか上から目線っぽく書いてますがここ最近読んだ本はずっとこんなこんな内容でしたww
ハンナ・アーレント参照、って言うとわかりやすくなりますかね。
公共性と私的空間。
社会と個人。



とりあえず僕の新しい仮説です。
「見ず知らずの人達とまず自分が繋がること、そして見ず知らずの人達同士を繋げること。」これが社会のためになるんじゃないかな、と思っているところです。
ただ人と繋がりたい、そのインセンティブ自体はどこにも転がっていると思います。
「ただ、なんとなく・・。」そんな人同士の繋がりが、社会を良くするのではないでしょうか。

個人で出来ること

過去の自分のブログ読み返したりしたるんですが、改めて思ったのはいわゆる「(社会)制度論」に言及する内容が多いのかなぁ、と。

そもそも僕自身、今の社会制度を変えようとか、そういった大きな次元で考えているつもりはないです。
そういう制度で生きる上で、何を考慮するべきか、これから社会は、人は、どうなっていくのか。
それを考えているつもりです。



このような抽象論・理想論を語ったところで何も変わることは無いでしょう。
僕自身の考えの整理って部分には与する点があるかもしれませんがそれくらいじゃないですかね。

で、このような抽象論を実社会っていう次元にプロットしたとして、個人で何が出来るのか、って事を今考えています。

それで得た結論としては、端的に言うと「道端のゴミ拾い」的な作業です。
的な が意味する部分としては、とりあえず地道で基本的な作業。
誰でも出来るし、いつでも出来る。
こんなトコから始まるんじゃないか、始めるべきなんかじゃないか、って思っています。

後は最近調べてるのがNPO的な組織の活動。
求職者支援とか、介護系、或いは教育セミナーのお手伝い、そして地域イベント主催など様々な活動を行っているNPOが関西にも多いみたいです。
とりあえず実際に「活動」する場所としてはそんな環境なんじゃないかな、って思っています。

誰でも出来る。
よって色んな人と繋がれる。
社会の「階層化」こそが社会の弊害となる、という内容の記事を以前書いた記憶もありますが、
この階層化を防げるのは異なる階層の人々と繋がる・繋げるって所にあると思うんですね。

とりあえず何らかの行動をしてみたいと思います。
最近はとりあえず暑いんで屋外汗かきながらはキツいですねwww


そういえば月曜から冷房入れ始めました。
クーラーがコポコポうるさくて寝れません・・・

そして気付けばもう梅雨。
忙しいですね><
今日もお疲れ様でした^^

プロフィール

WIPA

Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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