マネー論


いつのまにか世の中での一般男性のステータスが年収で判断されるようになりましたw

若くして社長になり、例えば秒速でウン億円稼ぐ人がチヤホヤされるようになりました、
倒産する場合もあるみたいですがw

将来の夢、お金持ち。
就職したい業界:給料がいいところ。

こんな風潮ないですか・・・?

僕は一社会人ですが決して給料が多いとは思いません。
同級生とかで僕より2倍以上稼いでいる人も何人かいます。


良く知りませんが、
昔はもっと「分かち合えた」部分があったんじゃないですかね。
っていうのも、年収とかより、自分はこんなもの作ってるんだ、売ってるんだ、っていう所で
本人としてもやりがいを感じ、社会としてもそれを認め合えるような、っていうんですかね。

年収的にはアレだが、素晴らしい仕事。
それを社会としても個人としても共有できるような環境。
それが「一億総中流社会」の良い部分じゃないかと僕は推測しています。


(ここからの流れは分かりますよね。)


今はどうでしょう?

お金もちって何でしょう。

目的がお金を持つこと。

それが社会的に「善」とみなされている以上、個人としてもそのような人間が作られるのは仕方ないことだと僕は思うんです。
お金持ち=絶対的善。
それに皆が同意署名した結果、生きる目的がお金持ちになる人が量産される。


僕はお金もちを否定しているのでありません。(ここまで書いてたらそう聞こえますよねw)
お金を「ツール」として、自分の目標の一つの「方法」として使う、そんな人も多いと思うんです。
より大きな夢がありそのためにお金を稼ぐ。

ホリエモンもあれだけ叩かれていましたが、昔からロケットを打ち上げるっていうおっきな夢はあった。
そのツールとしてお金が必要。
ロケットを打ち上げるという最終目標が決して悪いものとも考えられません。




経済発展も一段落し、(経済的な意味合いでの)パイはなかなか拡がりません。
結局過剰な「金への執着」ってものはパイの奪い合いを加速させるんじゃないでしょうか?

生きにくいですよね、
僕はそんな社会イヤです、住みたくありません。
そんな社会を、世界を引き受けることはできません。
(前の記事参照クリック★


「お金」以外のどんな所で社会人は評価されるんでしょうか?
社会に貢献している、とかそんなんじゃなく「年収良さそうか、悪そうか」の肩書きで判断される傾向はないでしょうか?


今日僕が言いたいことって、
こんなに生きにくい社会になっているんだよ
って出来るだけたくさんの人たちに分かって欲しいんだと思います。
(何か上から目線っぽいですが僕がそう思ってるだけですw)


今、現在が当たり前じゃない。
どういう枠組みの中でどの方向へ向かっているか。
お金に対する態度。



以上、「マネー論」総論でした。

またいつか各論部分も考えないといけないですね、
多分「分かち合える、シェア出来る」みたいなフレーズを連発するんですかねw

明日から月曜、頑張りましょうーー^^v
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観念のセカイ

お疲れ様です。。。
さっき帰ってきてクタクタです・・・。

年度の始めって忙しいんですねww

今日もかっこいいタイトルにしてみました。
今まで僕がこのブログで語ってきたのって、いわば「観念のセカイ」での話だと思うんです。
パッとしない人も多いと思います。

僕もパッとしませんw

観念って言葉が意味するのは(無)意識だとか、思考とか、実際に人々が意思決定する際のバックボーン、
僕はその意味でこの言葉を選びました。

政治を語るのも良い、経済についてででもいい、
ただそれらを語る上で極めて抽象的であやふやな背景ってものがあると思うんです。

それを僕は語りたいんです。

「何をもって自分の意見をもつのか」
その根本的な部分です。

人の行動様式をまず否定することが始める。
行動様式ってのは決定付けられるものだ。(以前の記事でも書きましたね)

決定付けられる上で何を考えるか。
どう抗うか。

複雑に絡み合うイデオロギーの中で自分はどれを選ぶか。


いわば「総論」って部分ですかね。

いつか個別に各論を考えてみる必要もあると思っています。

○○問題って名称がつくものもゆえに(?)各論ですね。

教育問題とか、格差問題とか、雇用(労働)問題とか、たくさん日本は問題抱えていますよね。

まぁ簡単に解決しない問題だからずっと問題になっていると思うんですが。

それらを考える際のヒント、補助線。
それが思想であって、イデオロギーでもあって、
「観念的」なモノだと思うんです。

あえて再定義は避けたいと思います。
「確固たる言葉」として確立していないと思うんですよね、この次元の話って。



社会が抱える様々な問題。
「should」「better」ってフレーズを功利主義的に簡単に当てはめることは難しいですよね、
社会はこうすればよくなるって。そんな解決策無いって言いきってもいい。
個人的には「want」でいいんだと思うんです、
ただその「want」が皆にとって社会にとって良い結果を生み出せばなぁと、そんな個々の集まりで出来ている社会だったらなぁって思っています。


良き社会が良き人を作る。



僕の観念ってのはそういうものです。
現段階ではってexecuse付ですが・・・

繋がる≒与える


人間は本質的に社会的動物だ、そう言ったのはアリストテレスです。
本質的に人間は社会的、つまり社会の中で人と接することを生きる上での十分条件とする。

今もこのフレーズは変わってないですよね、
確かに人類は進歩しても、変わらず人間自体は他人の「承認」を得ることに幸福感を覚えます。


このようないわば「自己承認欲求」。
これは有名なマズローの欲求5段階説でも上位に位置するものです。

豊かになった社会は、いつでも安価で便利な「モノ」を手にいれることが出来ます。
相対的に、必然的に、「モノ」に対する欲求自体は薄れてくると僕は思うんです。


欲求の中でも「モノ」に対する欲求が薄れてくると次に来るのは自己承認欲求、
つまり他人から認められる欲求です。



人と繋がることを欲す。
これは人間の本能的心理だと思うんですね。
じゃあ他人と繋がることはどういうことか。
それは何に使うかわからないけど、自分のためになるかわからないけど、よくわからない部分をお互い与え合う」っていうことだと僕は思うですね。

よくわからないものを日々の生活の中で僕たちは与え合いながら暮らしています。
コミュニケーション≒贈与って以前の記事でも書きましたが、
似ているようなことばっかり言ってすいません。


ただ「孤立化」を求められる時代にこの繋がりの本質ってものを理解しておかないと、
より一層生きにくい社会になると思うんですよね。

資本主義プレーヤーとしては孤立化を求められても、
社会構成員の一人としては他の構成員と繋がりのある社会。

矛盾しているようですが、そんな妥協的和解案みたいなのしか方向性としてはないのかな、と思います。

すっきり解決する満点回答なんかありません。

ネチネチと、少しずつ良い社会に変えていきたいですね。

「世界を引き受ける」

カッコいいタイトルにしてみました。

最近は仕事が忙しいです・・・。
忙しい時ほど思考停止しがち、アウトプットは積極的にやっていかなきゃって思ってます。
ってことで更新。

「世界を引き受ける」態度。
これが僕が求めていた自分の像で、凄くしっくりくるなぁって思います。
最近読んでいる本の中に登場したフレーズです。

「世界を引き受ける」ことが一体何の意味を為すかはよくわかりません。
世界中の知を集約させる、とか世界を変えていく、とか意味合いもあると思うんですが、
どちらにしろ良い意味で使われるフレーズですよね。

広い世界の中でちっぽけな僕。
何の力もありませんし、あがくだけムダかもしれません。

ただそういう態度。
世界がこれからどう転ぶかわからない、ただ自分は世界が良い転び方をするように世界のために努力する、
非常に素晴らしい姿勢だと思うんですね。


ただ自分が堕落したくない。
世の為世間の為何かを成し遂げたい。

そんな気持ちは僕の中に大いにあります。
これを利他心、って呼ぶできではないと思うんですが。
世間のため、って意味合いでは利他的なのかもしれませんが、個人の満足度もそれにより満たされているじゃないですか。
少なくとも僕は満たされます。

『利他的』って他人のために自分を犠牲にして行動するって意味合いで使われていると思うんですけど、
よく偽善的な意味合いでも使われていると思うんですけど、
なんか違うなぁって思いますね。

客観的に(個人の効用を経済学的に)「数値化」すれば自分のために得にならない行動かもしれない。

ただそれが個人を満足させるかもしれない。

その場合『利己的』って部分とも重なると思うんですね。
客観的に見れば利他的、ただ主観的に見れば利己的。




社会のことはよくわからない。
世界のことはよくわからない。
ただそれを踏まえたうえで自分がいい方向へと変えていく。

そんなスタンスを僕は求めているんです。


自分が生まれてきた足跡を何か残したい、
ただ楽しいだけの人生より僕はもがいた上で何かを残したいんだと思います。

まぁ無理、とかの指摘もあると思いますがw
謙虚に毎日少しづつ、学んで考えることを繰り返すだけです。

「世界を引き受ける」事の出来るオトナになるためにはいくつかクリアしなければならない条件があると思うんです。

その条件を模索しながら、
「ただの社会人」にならないように抵抗し続けようと思っているところです。






やっと迎えた金曜日。
明日も頑張りましょう。
おやすみなさい^^

ソーシャル


以前の記事がまとめに載ったおかげで、最近の閲覧者が凄い人数で増えています^^
けっこう嬉しいものなんですね笑

載ったのは偶然ですけど、これからもコツコツ書いていこうと思いますっ。
最近は残業続きで今日家に帰ったのもついさっきです><
思考停止に陥りそうな環境の時ほど、ブログを更新して思考のタコツボ化を招かないようにしていかないといけませんね。


今日は「ソーシャル」について考えてみたいと思います。
元々「社会」って意味ですが、現在使われる「ソーシャル」ってフレーズはもっと広い概念だと思います。

人と人を繋げる枠組み・市場取引では行われない外部に位置する概念、とでもいえばいいいんですかね・・・。
難しいんですが、どちらかというと後者の「社会的問題を解決するため」に使われるフレーズのパターンが多いと思います。

ズルいですよね、「ソーシャル」。
なんか響きカッコ良くてポジティブ。
ただ僕はこれからはそんなソーシャルな時代が到来すると思うんです。


まずは先ほどの赤文字定義の部分の前者に関して。
今社会システム的には「人は個人で合理的に判断し最大のパフォーマンスを発揮する」ことを求められていると思うんです。重要なのは「個人で」って部分で、結局資本主義制度の末期はそうなっちゃうと思うんです。
ただ僕はこれから先、この末期への過程で崩壊すると思います。
あえて主語はつけません。社会システム(資本主義)自体が崩壊するのではなく、人々の心が、利他的な部分。(あやふやにさせてください)
内部からのパンク。
孤独を強制させられるのはイヤだ、社会単位で安定していればそれでいいんじゃないか。

思想は元来相対的なものです。
どっちに向かうか、という表現しかできないのなら、今書いたようなものになってしまいます。


皆で笑いあって生活できる世の中、人々は心の奥深くの中で結局これを理想としているんじゃないかと僕は思いますがw



次はさきほどの赤文字後者の部分に関して。
市場取引では行われない外部。
この説明は簡単です。

「市場の失敗」「政府の失敗」
これは経済学上の用語になるんでしょうかね?
いずれにも手におえない問題。
それを第3者が解決する、それだけです。

簡単に言うと、誰かが他人に自分の力を時間を、ほんの少し譲ってあげる。
力を譲るって表現は適切じゃないかもしれませんね、いわゆる贈与ってものなんですけど。



結局今日のブログもまとめると
「自分じゃない誰かと繋がり、その誰かと互いに与え合う」っていつも僕が言っちゃっているような内容になっちゃいましたw


忙しくて自分の事しか考える余裕がない時ほど他人に気配りしていきたいですね。
社会にとっては僕個人の忙しさなんか関係ありません。
それは僕の都合ですね。

明日は金曜!
ノビノビ・ハキハキ、頑張りましょう。



PS インフルエンザもまだ流行っているんですかね?
季節の変わり目です、しっかりうがいしましょう。
風邪ひいてしまった人も桜が散っちゃう前に治しましょう^^v
お大事に。
プロフィール

WIPA

Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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