現代社会学に対する今の僕の認識

将来振り返ったとき,「アホだったな俺w」って言えるように,一旦ここで現代社会学に対する僕の認識を言葉で表してみようと思います。

社会学の重要な考え方の1つに,個人の主体性の裁量,ってものがあると思います。
どういうことか。
つまり人は意思決定を行い,様々な行動を起こしますが,それは「100%本人の決定によるか」。
或いは「社会の制度的な側面により,その意思決定は押しつけられたものか」。って論点です。

社会主義国家があるとします。
人々の格差は存在しません。
それだけ働いても給料は一緒です。
じゃぁサボろうって思いますよね。
社会主義という制度ゆえにサボるというインセンティブが働きます。

逆に資本主義国家ではこんな発想おきません。
弱肉強食の世界。
金のためなら何でもするぞ。
何でもする,つまりモラルが問われる事案が多くなる,っていうことです。

親子論に関しても言及できます。
幼い頃に親の愛情(≒ヘーゲル的な「承認」)を与えられずに育った子供は非行に走りやすい(という定義が真だとします)。
これも制度≒周りの環境に依存する場合です。
僕が不良なのは親のせいだ。
この論理にどう対応していくのでしょうか。

人々の行動も,このように周りの環境・制度によって決定されてるっていっても言い過ぎじゃないと思うんです。


そして,上記の「このように周りの環境・制度によって決定されてる」ってことを,思想家,哲学者は「大きな物語」と呼びました。

大きな物語・・・東浩紀さんも,よく使うフレーズです。



結論です。
今現代では徐々にこの大きな物語(≒人の行動の背景にあるバックボーン)というソフトウェアが解体されつつある。
資本主義という差異化によって。



まだ不完全な論理ですし,あくまで現時点での発展途上仮設です。


それゆえにより抽象的な表現しかできません。


ではこれからどうなっていくのか。
「行動の理由」がなくなります。
動機の軽薄化,と宮台さんは呼んでいます。

何故こんな犯罪を少年がおかしたのか。
理由なんてない(バックボーンがないから)。
そんな時代の到来です。


よく読みながら解釈が間違ってる気もしてきましたw

思想論って難しいけどおもしろいですね。
精進精進・・・
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人の行動を科学する

最近読んだ本の傾向として、行動経済学とか、社会学とか、統計学とか、そういった分野が多いです。

そういった分野とは何か。
端的に言うとインセンティブって言うんでしょか。

人は何らかのインプットがあり、アウトプットがなされます。

この際にどういう理論でインプットからアウトプットまで辿り着くのか。
それを最近メチャクチャ考えてますw

これも前回の記事と関連している内容になりますが、
人の合理性にかかわる問題です。

分かりやすい例を挙げます。
モノを買うとき、勿論買うものが安いにこしたことはありません。
安ければ安いほど購入(予定)者の効用=満足度は高まり、需要も高まるはずです。

しかし、統計的な見方からいうと、上記の理論(同じ質ならば、安い方が売れる)は適切ではありません。
何故ならば、消費者はある程の閾値を超えた値下げをされた商品と、ほぼ同じ質であろう他社製品とでは、他社製品のほう=価格的に現状維持のほうを購入する、という実験結果もあるからです。

こんなものスズメの涙レベルです。
他にも人の合理性をもっともっと否定してる実験結果はたくさんあります。

人の判断って厄介ですね。
複雑ですね。
とても機械では理解できないでしょう・・・。

ここから本題です。

今僕が着目してるのは、「社会システム理論」的な発想です。
ぶっちゃけ僕自身あんまり社会システム理論って定義わかってないですけどドヤ顔で言いますw

要は、「人の思考(=意思決定)過程なんて複雑きわまりないんだから、人がどう判断するか(=内在的要因)とかよりも、それを囲む周りの環境(=外在的要因)が変化するとどのようなアウトプットを人はするのだとうか」って考え方です。

つまり人の非合理性も含めて、因子を入力すれば結論が得られるってわけです。

例を挙げましょう。

アメリカの最高裁の判決を調べて、どういうときに違憲判決になりやすいか、を統計学的に調べた学者がいました。
そして、相関関係を見つけました。その因子としては、陪審員及び被疑者の肌の色etc 3つ位あったと思います。
つまり、被疑者の肌の色は黒である→yes no というふうに質問に答えていくだけで、より起こりやすい結果が浮かび上がるということです。

僕の表現力がないためうまく説明できませんが、「過去に学ぶ」ってことです。
莫大なデータから相関関係を見つけ出し、それを定式化する。
人の主観は一切介在しません。より客観的なデータのみから、こうすればこうなるという方式を作り上げる。

今企業でも顧客管理の際にビッグデータというものが使われているとよく聞きます。
人の嗜好を管理するものです。
人々の嗜好≒意思決定要因=インセンティブと、上記の「人の意思決定法則」というものがわかってくれば、これ凄いですよね?
売れる、売れないって判断を自動的に機械がやってくれるんですよ??
『統計学的には(=過去の事例を参考にすると)、この消費者はこの価格までならこの商品を買うだろう』的な部分を機械が勝手にやってくれるんですよ?


このような文脈で、社会の中でも、不確実性(フランクナイト的な)は、どんどん低下しているって言えると思います。(自信ないので小文字w)



まぁでもこうしてる間にも統計学的・回帰分析的なアプローチで数々の法則が見つけられているんですねー。
「こいつはpm23時付近にブログを更新する。よくネットで調べものをしながら行うようだ。この時間帯にネット麻雀の広告を載せれば必ずクリックするだろう。」的な。(僕ですw)

「こいつは○○県○○市に住んでいる。年齢は○歳。職種は○。この地域のこの年齢のこの職種の人は大体8時に入浴する。風呂上りに体重を測る人は多い。肥満者が多いこの地域では、体重計を降りてガックリ肩をうなだれてる状態でリビングに戻ってくる。ネットを開いてまず広告にダイエット関連のものがあると・・・効果的であるのは間違いない。よってこの時間帯には痩せるグッズの広告を。」的な(これやられたらヤバいw)


どうなっていくんでしょうかねーw
なんか今日はダラダラした文章になっちゃいました反省泣

とりあえず参考文献です↓


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おやすみーー

合理的とは?→社会の設計

今僕が興味を持ってる分野があります。
最近読む本もこの分野ばかりです。

どの分野かというと,行動経済学,人の合理性について考えさせる分野です。


現代の経済学でモデルとなっているのは経済人。意思決定の際,瞬時に効用と損失を割り出し,常に最適な解を求め行動する。まるで機械です。
勿論これは現実に即してはいません。
人は常に合理的な判断や出来ません。
よく間違えたり,或いは非合理と分かってて自らその行動を選んだりします。

ここで疑問点が浮かびます。
そもそも合理的って何でしょうか。
=イコール利己的ってことでしょうか。


今の僕の考察としては,現代思想として,或いは行動経済学の台頭という形によって「本来の人」=利己的という図式は否定されつつあります。
80年代に新自由主義が一世を風靡したとき,そのモデルとなったのはアダムスミス的な利己の追求でした。


しかしそれは資本主義の暴走(金融危機参考)といった形で否定され,今は第3セクターが注目されているようにいかに利他的インセンティブを組み込めるか,これがずっと研究されています。

言葉を変えると共存の社会。
支え合いの社会。

人と人を繋ぐのが思いやりであり,それは真に利己的な行動からは生まれません。


このように,性善説ではないんですが人は利他的要素も理性という枠組みの中で生まれもっているものだと僕は考えます。
返却性を否定する真の贈与的なやつ。

つまり僕が言いたいのは利他的行動・無償の愛(アガペー?)も合理的行動の範疇だと思うんです。ずっとこれは否定されてきました。
その点もふまえてインセンティブ設計すべきです。
政府も財政圧迫。また市場も完璧ではないって否定されました。
こんな今,改めて利他的要素を含むインセンティブ設計が求められています。


持続可能な社会制度をつくるには,上記の理念なしでは無理だとも僕は思います。上記の理念,そう「人の思いやり」って部分です。


だいぶかみ砕いたから、もう説明はいらないと思いますが念のため。
「他人の為に行動するって人も多いんだから、そのような活躍しやすいような社会にしよう」

現在、全てこの流れといっても過言じゃありません。

トレードオフ

ブログを書く上でのトレードオフ(?)を発見しました。

ある程度のテーマは決まっている。それについて書きたい。
しかし「ある程度」しか決まっていないので、掘り下げて書くことはできない。
内容も自信を持って良いもの、といえるものは「ある程度」の理解では書けない。

そうです。
量をこなすってことは質をおろそかにしやすいってことです。
最初の方に書いたブログは、ぶっちゃけ自信ある内容のものばっかです。
ずっとため込んでたもの・・・懸念したてものを吐き出した感じですから。

だからこそ新しく書く記事では、昔のより優れている内容という保証することはできません。
勿論今PCの前で腕組みして考えながら書いています。
ただ常に過去より質的に良いものを提供するのって無理ですよね。
たまには曖昧な論理構成であったり、内容が一貫していなかったりと、することもあると思うんです。



例えば著名な学者がいます。よくTVに出る人。
この人はどういう考えを持って、どういう思想をしているのかなーって思っても、なかなか分かりにくいことありません?
その人のWikipediaを見ても、長々とややこしい話ばっか・・・><
twitterとか見ても、時事テーマに対しての言及。

そんなのいいから、この人の「ポジション」を知りたいって思う時が僕はよくあるんです。

僕のここまでのブログは、主にこの「ポジション」を決めるものだったんです(自負w)。
「一般教養」と「論理的思考」で、モノゴトを多角的に見ようっていうポジションです。
また、他者の論理を受け入れよう、社会は複雑で一辺倒に解決できない問題があるんだよ、ってことも言ってきました。



たまに読み返しますが、ポジション把握という点では比較的わかりやすいと思います←


これが、時事的テーマにとっつくと分かりにくくなるんです。
「そもそもあなたの専門何なの?どの立場からどの点を捉えて昨今の問題に言及してんの?」
ってことを僕はネットで何度も思ったことあります。


僕は時事的テーマに触れません。
新しいタイプの居酒屋ではなく(笑笑)、新しいタイプのブログにして行こうと思います。

自分の考えを言葉ではっきりと表現できるようになってからですね。
それまでは知識のインプットの継続。
頑張りまーす!


ps バレンタインのチョコは今年は1個でしたww

セレンディピティ

タイトルの意味は,「ひらめき」の格好いい版です。
有名なアルキメデスのひらめき。
浴槽で「ユリイカ!」と叫んだそうですね。
(これはそうだったのか!ひらめいたぞ!って意味です)

このような偶然のひらめきって,どうやったら起きるのでしょうか?
というよりどのような状況でおきやすくなるのでしょうか?

その答えとして僕が思うのは,「懸念材料」です。

心配事,悩み事・・・いくつも抱えている人ほど,そしてそれらの問題に対し逃げずに立ち向かう人ほど,セレンディピティは発生しやすいといえると思います。

まずひらめきって,「問題に対する解決」っていう定義が出来ると思います。
では,問題とは何か?
これこそ懸念材料です。
たくさんの知識をつけ,自分で仮定,推論してみる。

そういった問題,思考過程の部分をたくさん持っていればいるほど,ひらめきは発生しやすいでしょう。


故に,この文脈で「懸念材料」を増やすべきだっていいきることが出来ると思います。
「常に何かについて考えている状態」を作る。
これは「より強度な思考」が求められている現代では,最適な環境だと思います。

僕自身も,幾つかの懸念材料はあります。
「富裕層になるためにはどうすればいいか,でもなったところで得るものはあるか,失うものは何か」
「社会の仕組みを変えるためにはどうすればいいか」
「将来立派なオトナになるために今どれだけ,どのような自己投資をすればいいか」
「この職場でやっていけるかw」
「どうしたらWikipediaに自分の名前が載るかw」

・・・等々まだまだあります。

皆さんもありますよね?
でも,それをたまに深く深く考えることで,脳の力は鍛えられると思います。
また,セレンディピティが発生しやすい状況になるともいえるでしょう。


スタートがなければゴールはありません。
同じく,問題提起がなければ解決はしません。
問題提起とは,問題意識によって起こされるものです。

では問題意識とは何でしょうか。

深い命題ですね。
これこそ僕が今考えている懸念材料の1つです。

数的センス

最近よく読む本の内容として、「数学力」「数的センス」関連が多いです。
偶然だと思いますが、もしかして無意識にタイトル選んでるのかもしれません><


数的センスって何でしょうか?

そもそも数字ってすごいですよね。
全人類統一言語なんですから。

哲学的な話になりますが、そもそも「言語」が存在する時点で、またそれが地域によって違う時点で「概念」の統一は不可能になります。

指示語も変わってきますし、言語の相違は思考過程まで変化させます。

しかし、数字ってどこでも絶対的な尺度がありますよね。


1は1です。
100は100です。

言語を数字を扱うように捉えると、あるいはそのような認識が可能になれば、それは世界で1番論理的な言語になるでしょう。
定義も明確ですから。


このような数字関連の本で共通しているテーマがあります。

僕が発見したことだけれど書いちゃいます。

それは「意識せよ」ってことです。
まだこの分野は5冊ちょいぐらいですが、全ての本に書いてありました。
違う筆者です。


身の回りに転がってる数字・・・。
意識すればわんさかありますw


特に最近僕が行っているトレーニングとして、フェルミ推定があげられます。

とっても面白いですし、論理的思考の訓練+数的センスを養う非常に優れた勉強法だと思います。

是非、オススメしちゃいます。


あと、これが言いたかったんですが、
結局数的センスとか思考力とかも、いわば論理的思考力の言い換えだと思います。
文章とかじゃなくもっと抽象的なイメージ力も含みます。


これも僕の仮説ですが、具体的な表現方法が見つかってません。


まとめ:思考過程を大切にしたいものです。
プロフィール

WIPA

Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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