学生のうちに

いやー年末は忙しいですね。
3日まで休みです、同窓会等今日からオフ無しで飲みまくりで嬉しいですがお財布が気になりますw
諭吉3人の予算ですが多分無理っすわw
そして久々の更新・・・。

ずっと僕は大学生の頃から考えていました。
何を今したらいいのか?と。

たくさん遊べっていう人もいますし、学生だから勉強しろって人もいます。
勿論楽なのはたくさん遊ぶことです。

僕も3年生までは結構遊びましたw

それからはたくさん勉強しました、とっても・・・。
大学受験もあまり勉強したとは言えなかったので、それから就職するまでは人生で1番勉強した期間だと思います。

今振り返るとちょっと遅かったかな、とw
最初はwiki眺めて勉強してるつもりでした。
そんな断片的な知識、何個集めてもあまり意味はありません。

一般教養、社会の仕組みを知る。
これが学生生活で求められていることと言い切れます。
cf過去の記事


今からでも決して遅くはないと思います。
社会という枠の中で、横の繋がりを意識すること。
企業研究の前には業界研究が必要ですね。
この業界ってのを知るためにもとても有意義だと思います。

そして前提の知識をつけてからになりますが、1番重要なのは考えること。
何故の追求からの論理的思考。
学生時代に求められるのは、このクセをつけることだと思います。

そして考えながらしゃべれるようになること。
この力は面接で問われます。
僕も社会人になってだいぶ思考と発言の同時進行は出来るようになったと思います(以前に比べてですが)

これは練習してないと本当に難しいです。
僕はこれが出来ていなかったのでいつも何言ってるかわからないって言われてました乙w

よくコミュ力って言いますが、この能力も包括されていますよね。
簡潔に要点だけを押さえて伝える能力。
そのために抽象化コレが必要なのです。

要は考えながら喋る力ですね。論理的に。
社会に出ると上司との会話もこの繰り返しだと思います。

僕も精進していきたいと思っています。
まだまだ力が足りません。
study,study,and think...


今年最後の更新かもしれません。
ブログ見てくれた方ありがとうございました。
来年も見てください。
今更ですがブックマークはしましたか?w

個人的にも来年は勝負の年(単身生活最後の年w)になるかもなので、勝負の年です。
頑張りまーーーーーーーーーーーす!
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抽象化

タイトルの言葉もよく僕がブログで使う言葉です。
抽象化能力、これはとても重要な力だと思います。

僕が思う抽象化能力とは、「重要な点を浮かべる」そしてそこから一見関連性のない分野でも、「共通点を発見する」能力のことだと思います。
何故この力が重要か?

まず一つ目は今の時代は情報が溢れすぎているから。
情報の洪水の中で取捨選択を強いられます。
その上で重要なキーワードを拾っていくのは効率的だし、必要な能力です。
全ての情報を吸収することはできません。
「コアな点を読み取る」
これも抽象化能力ではないでしょうか?

2点目としては、自分の考えの整理に有効だから。
人間の脳には処理能力にも限界があります。
そこで必要な能力が抽象化です。
要は「簡単な言葉で再定義する」ということ。
それにより思路が整然とします。
論理的思考も簡単な定義の組み合わせだと僕は思います。



文章を書くときは「抽象化」→「具象化」という流れで書く人は多いでしょう。
この時の抽象化の際には、対象のどの側面に焦点を当てるかで言葉が変わってきます。
自分だけの言葉を持ってる人って、この意味でもこの抽象化能力が高い人だと僕は思います。

コアを抜き出し、再定義。


話すのが上手い人って簡単で誰にでもわかるような言葉を使いますよね。
それも自分なりに解釈し、再定義しているから。

この誰にでも簡単な言葉で伝える力こそ、論理的思考の蓄積であり、抽象化が問われる能力だと思います。



今回の記事はよりその抽象化力、が問われる内容にしました。(一応したつもりですw下手ですみませんw)
読むのに時間がかかる文章ってのも、大体この能力が必要ですよね。
具体例豊富でスラスラ読む文章もいいですが、トレーニングの為にも、思考を鍛えるためにも解釈が難しい文章を読むのは必要だと思います。(以前も述べましたが内田樹さんの文章は抽象化度レベルは高いです。)

文章を読んでいても行間を読む、というこの能力。
「コアはどこだ?」って常に疑問に思うことで鍛えられると思います。
常に要約する。
文章だけじゃありません。
友人を一言で紹介しなさいって言われたら抽象化出来てないと難しいですよね?

エレベータースピーチってご存じですか?
同じように、30秒で商品のプレゼンをする練習だそうです。
エレベーターで上司と逢った時にやるらしいんですけど、日頃から鍛えてないと難しいですよね><


以上、抽象化、について。
賢い人って皆この能力は兼ね備えていると思います。
ビジネスとかでも先見性が必要(商品開発等)とか言いますけど、成功は社会を抽象化して方向性を論理的に示した結果だと思います。



僕もバカなのでw是非このような能力はつけたいです。
今年もあと少しですけど頑張りましょう~~~~~~~~~~~~~
^^v
study
study
study......

教育・学問の対価

さすが年末ですね、仕事も忙しくて久しぶりの更新・・・泣
多分年末年始はあんまり更新しないですw

眠いのでさっそく本題。


時間対効果、費用対効果、効率・・・
このようなキーワードは僕のブログでも何度か出てきましたが、インプットとアウトプットに着目したものです。

知識型社会に突入するにつれ、上記のキーワードはさらに重要になってきます。
一定の時間でどれだけの成果を求められるか。
どれだけのストックを積み重ねられるか。


今日は、今紹介した反対の考え方を勧めたいと思います。
コスパ、効率といった指標でみるべきではないもの・・・。
その一つに僕は学問が挙げられると思います。

今大学で人気なのは「商学部」「経済学部」、或いは国家資格を得ることのできる他学部だそうです。
社会での即戦力になる、といった点では上記の学部は非常に優れています。
実務の部分を大いに勉強させてくれます。

つまり、「実務的」な知識をつけることのできる学部を受験者は志望し、企業もその部分も求めているのです。

僕は、この流れに反対します。

実務的な能力のみ兼ね備えた人って「教育」の目的だと思いますか?
貸借対照表が読める、TOIEC900点とれる、六法暗記してる・・・。
この能力は教育の目指している能力でしょうか?

そもそも学問に対価を求めるべきではない。
僕はそう思います。
費用対効果のみに着目すると、文学部や神学部など存在意義は薄れてしまいます。
残念ながら両方ともすごい勢いで消滅しているらしいですが・・・。

僕が考える一般教養の範囲の中では、実務的な側面など中心となる核のまわりの薄っぺらい表面です。
しかもすぐ剥がれちゃう・・・
費用対効果追求型思考の究極は自己中心型の功利主義的考え方になると思います。

非常に合理的だが常に機械的な判断により成り立っている。
人間っぽくないですよね。
社会構成の一要因になっていると考えると、怖いですね。

学問を学ぶ理由って何でしょうか?
「考え方」を学ぶためですよね。
知識を知って、理解した!ってことじゃないんです。


知識に対する接し方、それを教授してくれるのが学問だと思います。





ちょうどさっき4冊程「実務的」な本を読み終わりました。
今から読む本には『知の考古学』や『選択の自由』があります。有名なので知っている人もほとんどでしょう。
エグい量なのでビビってますww
自分に対する激励(!?)もこめて、今日のテーマにしました。
気合入れて高いハードルを越えていきたいと思いますw

本との出逢い

こんなお恥ずかしいタイトルにしてしまいました//////

ちょうど最近ビビっとくる本との出逢いがあったので。

以前の記事をお読みください。

ちょうどこの記事を書いたあとに読んだ本に、繋がりがあったのです。
この本です。


細野真宏の数学嫌いでも「数学的思考力」が飛躍的に身に付く本!細野真宏の数学嫌いでも「数学的思考力」が飛躍的に身に付く本!
(2008/09/01)
細野 真宏

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まず結論から言うと個人的に非常に良い本です。
抽象的で申し訳ないです。
少なくとも「僕の仮説をより強くしてくれた、考え方が一致する本」とでも言えますか。
しかもとてもたくさんの方から読まれている。
一気に3時間位で読んじゃいましたw

この本で述べられている「全体像から把握。断片的な知識はそのパズル」って部分。
うまいこといいますねw
僕は「マクロから~」とか言ってたんですけど・・・。
他にもこの本には巧みな表現がたくさんあり、僕の文章作成能力、表現、ボキャブラリーの少なさを痛感しました。
ここまでわかりやすく、誰に対してでも受けいられる表現を出来るようになりたい。
切実にそう思いました。


話は変わりますが、本には2種類あると思います。
1つ目は、おおかた既に知識としては知っている内容だが、それを「違う表現」で表してくれる本。
2つ目は、まったく知識の前提がない未知のレベルを書いている本。

このどちらにもカテゴライズできない本は、読む価値がありません。
既に知っている、表現も知っている。じゃぁ何をその本から吸収するのでしょうか。

既知の事実に対し、「違う表現」で表せるのは何故でしょうか?
それは抽象化による差異です。
自分が抽象化して得た表現と、違うベクトルで抽象化した結果です。

またわかりにくい表現かもしれませんが、例を挙げます。
人生とは、遊びである。
人生とは、苦しみである。
この表現の差異も、「人生」を抽象化して自分なりに得た結果でしょう。


今回の本も読んでみて、僕なりにたくさんの表現を覚えたつもりです。
自分の伝えたいことを表す方法として。


最近は「当たり」の本が多いです。
良い本読んでる時こそ、僕は多読的読み方、といいますか、その本を置いといて違う本を読んでしまいます。
読書へのモチベーションを維持するために、無意識に行っているのかもしれませんね。
一気に読んじゃうと勿体無い気もします。
今も何冊か「寝かせ中」ですw

尊敬している外山滋比彦さんも、こんな読み方するということを最近本で知ったので、安心ですw
それにしても外山さんはムチャクチャ綺麗な文章ですねw
『思考の整理学』でも有名ですが、お手本にしたい文章です、あれは。
彼はネタとしては「グライダー」と「カクテル」を多用しますね。
って筆者紹介していたらだいぶ長くなりそうですので、ここまでにします。



最後に自分なりの本の読み方(良い本こそ寝かせる多読術)を書きましたが、
こんな記事を書いて、すぐ後に読む本に偶然こんな読み方について書かれている本に出会う。
しかももっときちっとした論理構成で深く書かれている。
これも本との出逢いの一つですね、意外とよくあるんですよね、自分の仮説が強みを帯びる瞬間です。
打席でスライダー待ってて、見事にインハイ甘いところに来た、みたいなもんですw



では、今から寝かせていた本たちを起こしていきたいと思います。

メルマガを通して

毎日読んでるメルマガがあります。
最近のそのメルマガのネタは、宣言からの「逆算志向」についてです。

まず、公の場で大きく宣言すること。
ex)私は5年以内に起業して社長になります
すると、宣言することにより逃げられなくなり、気が付くといつもそれを達成するために何をすればいいか、
そう振る舞えばいいか考えるようになる。
よって目標が到達される。



これと似ているもので、『予言の自己成就』って言葉が心理学(社会学?)の分野であります。
小さい頃から夢は大統領と決めていた。
すると、実際なれた。

この理論、僕は信じてます。
大きな目標を作ることって大切ですよね。
まず自己投資の質が変わってくる。
時間配分も考えるようになる。

僕が1番アカンのは、「暇だなー」って考えることだと思います。
ここまで時間が最大の希少価値になった現代で、このような考えをするべきではないです。
もっとアクティブに、追われる位がベストなはずです。


そして本題。
今の僕の目標としては、肩書き取得の為の行政書士合格(2013年11月)と、司法書士合格(2014年6月)、あと1日2冊読書です。
でもこれも大きな目標の為の一環です。
それは情報発信者になることです。
パンピーなんて誰も相手にしませんw
発言内容が注目されるためには、パンピーを脱しなければいけません。
ブログやHPの閲覧者、本の読者もいちいち内容をチェックしてからこの筆者は本物だ、なんて思いません。
まずは肩書きから。
目標達成可能で最低限の肩書きは司法書士だと思ったので、設定しましたw

そして、上記の情報発信者とは・・・

毎月1万人に読まれるHPを27歳までに作ります。
30歳までに書籍出します。
いつもなら重要な部分は赤色大文字ですが、今日は遠慮しました。
こんな謙遜的(?)態度じゃダメですねww←
以上。

ボッチの効用

今日は以前書いた記事を発展させます。

時間の質をあげるためには、能率的に行動するには、環境の希少性を意識すればいいって内容でしたね^^

では、「さびしい」という感情について考えてみたいと思います。
特に最近は人肌恋しい季節ですね、そろそろクリスマスがなくなるスレが乱立する頃でしょうか?ww

12月21日以降も地球は滅ばないということが証明されたみたいだしwww
クリスマスはきっとやってきますね。


まず何故人はさみしいと思うのか?
それは人が社会的動物だからである。
では社会的動物とは何か?
人との繋がりがなくては生きていけない動物である。

ゆえに、人が人と逢いたい、接したいって感情は普通だと思うんです。
いつもたくさんの人に囲まれている人ってうらやましいですよね。

では、一人の時間というのは極力避けたらいいのか?
反語的構造です。
僕は自ら作ってでも確保するべきだと思います。
ぼっちこそ、最高の自己投資の場だと思うからです。

誰かといないと集中力がもたない、勉強できない人ってまわりにけっこういますよね。
本当にそうならば、大いなるデメリットです。
集中するための環境を作るコストが多すぎる。


自己投資(勉強)は本来一人でするものだと思います。
あえて難しいレッテル貼りますが、「成功者」はすべからくボッチ耐性を兼ね備えた人だと思います。

一人の時間を負と思わず活用する。

これは歴史の偉人は皆実践してきたことではないでしょうか?
人は圧倒的に多人数でいるより、一人の時間が多いと思います。
「一人の時間でしか行えないこと」を考えてみるべきです。


また付け加えると僕は決して人的ネットワークを否定しているわけではありません。

叩かれまくっている「天下り」の唯一の弁解もこれですし・・・。

それでもそれ程大きな効果があるのでしょう、人的ネットワークは。

僕の考え方としては、自己投資ゆえのネットワーク、と言ったらいいでしょうか。
考え方が浅い人のまわりになんて誰も集まってこないでしょう。
それに対し確固たる思考(ダンコだる決意じゃなくてw)を持っている人のまわりには人は集まります。
自分の知的生産のために役立つからです。
人に逢うことを自己投資の一環とみなしている人々の集まりこそ、最高の生産工場となるでしょう。

それに、僕も基本的に飲み会は好きですw
基本的に断りません。
1人ばっかってものキツいでしょう、ガチボッチになっちゃいますww
そもそも人に逢うことにすべて理由を求めると、なんかシビアになってきますよね。
まるで機械です。
人間味ってのは紆余曲折や遠回りに対して感じるのではないでしょうか?




将来家庭も持つと今これほど望んでいる誰かといる時間が強制されます。
だからこそ、一人の時間が有り余っている「今」こそ自己投資の場です。
何よりも大きい制約である「時間」の使い分け、現代ではこの能力がもの凄く求められていると思います。
常にレバレッジを求めましょう。

組織の論理 社会の論理

結論をまず端的に。
組織の論理が社会の論理を超えるとき、その組織の存在は社会にとって非常に危険である。

まぁまぁ抽象的ですが、なんとなくイメージ出来るんじゃないでしょうか?
例えば会社単位での犯罪。
自分の会社の論理を一方的に(従業員などに)押し付け、それが共通の価値観として組織内で成立してしまう。
汚職などが常習化する流れは以上のようなものだと僕は思います。

それを食い止めるためにも、常に「社会的要請」というのを考慮しなければなりません。
コンプライアンスという言葉も流行ってますが、それはこの立法を通して社会の要請を意識するためだと思います。


今、世界でも紛争はたくさん起こっています。
例えば宗教問題。
たくさんの人が犠牲になってきましたが、今現代でもリアルタイムで関係ない市民まで殺されています。


「何故、分かり合えないのか?」
それは
対立する相手の論理が分からないからです。
すぐ感情的になる人ってこのような論理的思考がたぶん弱いんです。
すぐ怒り、自分の気に障っている部分の根本的な部分について思考するのをやめている。

何度も僕が言っている「一般教養」とは、社会の仕組みを知ることです。
勿論、宗教問題を真に理解することも一般教養を得るために必要です。
故に、すぐ戦争だ、ケンカだっていう人って教育である程度改善できるとも僕は思うんです。


自分の意見が相手とあわないこともある。
だから殺す。
それが世界で行われています。

「自分の考えを構成する論理は社会に適合するか」
この考え方は一般教養習得に不可欠です。

論理的には正しくても、社会で認められてもらえなければいけません。
社会に適合する範囲内で自分の考えを持つことが必要なのです。


なんか滅私奉公的発言が多いんですが、少なくとも社会を構成する一員としてはそうあるべきでしょう。
無駄な争いを避けるためにも、ラディカルなところでの相互理解が必要。


一番簡単な言い方で表しましょう。
相手の言い分を理解する、ってことです。
少なくとも相手の言い分が社会的に認められるものならば、考えてやる必要がある。
ゆえに、「社会的是非」ってのも考えておかなければならないのです。
その「社会的是非」ってのも、社会の論理で構成されています。


社会の論理を学んだ上で、どう自分は意思決定を行うか。
どのように自分の論理を構成させるか。
この重要性に気づいてない人が犯罪を起こすものだと思っています。

社会の危険因子の一員とならないためにも、一般教養の習得は必要なのです

以上今日の仮説でした。
よく仮説って言葉使うことけど、あくまで発展途上アピールなのでご了承願いますww
間接的な未熟アピールですw
これを結論にして思考停止もしたくないし・・・

民主主義

また選挙関連の記事を書こうと思います。

日本って民主主義ですよね?
国民が選挙で選んだ政治家が政治を決めるってことになってますよね。

じゃぁ民主主義の反対に属するものって何でしょうか?
それは官僚統制とか、そういった類のものになりますね。
一部のエリートにより国家が運営される。

この2つ、どっちがいいのでしょうか?
民主主義=善って決めつけていませんか?

例えば新興国などでも、民主主義の基盤が確立されようとしている国がいくつもあります。
アウンサンスーチーとかっで有名なミャンマーもそうですよね。
でもこんな国って「教育」ってインフラが整備されていません。
そのような国の場合は官僚統制の方がいいかもしれませんね。
人を選ぶ目ってのが養われていない、政策の「意味」を理解することが出来ない国民がいる状況では、民主主義は機能しにくいのです。


そもそも民主主義もけっこうエグイもんですw
国のすすむ方向性が間違った><ってなっちゃったら、責任は国民にあるという言い訳もできますし。
政治家を選んだ国民が悪い、この論理です。
この意味で僕は民主主義は究極の妥協だと思います。
国がどうなってもしらねーぞ、制度上そうなってんだから後は君たち次第だ、って形でしょう。


今日本国憲法は硬性憲法となっています。
憲法改正には非常に高いハードルをクリアしなければならない。
理由も色々ありますが、その一つに民主主義の不完全性が言えると思います。
どういうことか?
要はある時代に無能が集まって、憲法を悪化ばかりさせないようにするための保険です。


民主主義は国民に「考える」ことを求めます。
思考停止ばかりの国民では良質な民意など成立しない。
大多数の思考停止国民によって、国益が失われる可能性もありえるのです。
しかし責任をとるのは国民全体で。
このようになっては、一部のエリートもヤル気なくなりますわなw


日本ではどうでしょう?←これが本題です
良質な民意が機能していますか?
選挙の有権者に資格を!って議論も出てきてますが何故だがわかりますよね?
「日本の民主主義は危機に瀕している」
って言葉も目にしません?僕はよく目にします。

民主主義の質が悪いと法律の執行官・行政部門(=公務員)は不満を覚えます。
(変な政治家ばかり当選・・・こんなのが国民の代表者か・・・)
その結果行政は混乱し、国民は「国」に対して不満を覚える。
(また公務員がやらかしたのか・・・今日もマスコミで取り上げられてるし)



この負のサイクルは僕の日本国内での民主主義に対する仮説です。

昨今の政治家叩き、官僚叩き、その問題の根源としては国民に帰属するって言えないでしょうか?
「考える」ことをやめた人たちに選挙権を与えるべきではない、けっこうシビアな意見ですが上記の論理ではそれは正当化されますね。


考えてみましょう。
民主主義の可能性を。

政治ー経済

選挙も近くなってきたので、それ関連の記事を書こうと思います。

まず質問を端的に。

どの基準で票をいれる政党を決めますか?

政策個々に着目?
それとも好きな人がいるから?

いろんな理由はあると思います。

でもぶっちゃけ政党の選択基準ってよくわかりませんよね、僕もそうでした。
勢いあるんじゃね、この政党?
みたいなノリでした。思考停止のダメダメ人間でした泣

でも特にアメリカイギリスは顕著なんですが、選ぶ基準は主に1つだと思います。

それは、「大きな政府」か「小さな政府」か、ってことです。
この言葉も聞いたことある人は多いでしょうし、知ってるよそんなもんwって言われそうですが
僕はこの経済学の中でも主要なテーマである相対立する論理を勉強したときうぉーってなりましたw


具体的にこの2つの論理を説明すると、大きな政府、とは
税金いっぱいとるけど社会保障は充実させますよ。

小さな政府、とは
国がでしゃばりすぎないように、主に規制を緩和して市場に任しましょう。
税金も少なめにします。

って言えると思います。

ビジネスマンや投資家などたくさん稼ぎたい人はそりゃ儲ける障害である規制をとっぱらって小さな政府を求めるし、
自分が失敗しても国が社会保障のような形でサポートしてくれるほうがいいなぁって人は大きな政府を求める傾向はあります。

日本ではなんかわかりにくい構図になっていますが、
上述したように顕著な米英。
アメリカでは、小さな政府志向は共和党、大きな政府志向は民主党。
イギリスでは、小さな政府志向は保守党、大きな政府志向は労働党。

オバマ大統領は民主党であり、増税をして社会保障を・・・って流れです。

一応日本では小さな政府は自民党、大きな政府は民主党(?)ってことになるんじゃないでしょうか。
(民主党の政策には一貫性が見られないので?つけました)

ちなみに大きな政府をさらに大きくしたらどうなると思いますか?
大きな政府の帰結です。
それは共産主義、ってことですね。
市場の範囲を0にして、全て政府が管理する。
崩壊しちゃいましたね^^;w
だからといって市場だけでは、ちょっと前のような金融危機が起こる。
適切な政府の介入は必要なのです。
この話はもーーーっと深いと思いますがここまでにします。


ここまで紹介したのは経済学の中で相対立両方の論理。
このそれぞれの論理を学ぶとだいぶ日経新聞も意味がわかるようになってくると思います。
少なくとも以前の僕みたいに「は?だからどうしたの?何でこの記事が一面になるの?これって重要なの?」って思うことは少なくなると思います。

でも、このように大きな単位に着目することって、非常に大事です。
最初から政策個々に見てっても、よくわからないことが多すぎると僕は思います。

マクロからミクロ。

この流れはめちゃくちゃ大事だと思います。

いわば「ミクロを構成するマクロの論理」
その小さな事柄はその分野の中でどう捉えられているか。

どういう論理でこの政策が生まれるのか。
もともとの出発点は何か。

ここを強く意識することにより、政治ー経済を見る目は養われると僕は思います。


今日紹介したのは政治ー経済分野をよりわかりやすくするための考え方です。
僕はここから入っていきました。
と同時に言葉として整理してみました。


選挙が近いから、ということで述べてきましたが諸事情により今回僕は初めて選挙にいきますwwww
近くの公民館までレッツゴーw

再定義

こんにちは(*^。^*)

今日のタイトルは難しそうにしてみました。
「再定義」
要は、ある事柄を自分なりに考えてみるってことです。

僕はこのブログでも何回か論理的思考の重要性を指摘しました。
何故ならば「新しく何かを生産するためには論理的思考が必要」だからです。

一般教養+論理的思考の繰り返しにより仮説が生まれ、それをその仮説から新たな思考が出来るものだと僕は思うからです。
ここまで文が抽象的すぎますね、僕もこんな文章読んでてもムカつきますw

なので具象化↓

例えば、論理的思考って「AとはBだ」、そして「BとはCだ」よって「AはCだ」みたいな流れじゃないですか。
A→B→C。
そして僕が思うに重要なのはBの部分。

この定義の仕方により論理的思考の帰結(Cの部分)は変わってきます。

以前の記事でも、成功の定義について考えました。

もし、「成功とは金を手にすることである」ってことだったら、「ゆえに、たくさん金を持ってる彼は成功している」
もし、「成功とはできるだけたくさんの人に注目される(有名になる)」ってことだったら、「金欠な彼でも、影響力ハンパはないし成功している」
もし、「成功とは幸せな人生を送ることである」ってことだったら、「幸せ」の再定義が必要になります。


このように、論理的思考に再定義は不可欠なのです。
既存の定義から出発しても何も生まれません。
その前提では、過去の人がずっとそうやって考えてきたことであり、「新しい生産」とはみなされません。


たくさんの知識を合わせて、「~とは~だ」って自分で考えなおさなければいけないと思います。

何度も言いますがその前提となる知識が社会の仕組みを知っていること、一般教養ですね。


ここで注意しなければならないのは「定義が間違えていると論理も狂う」ってことです。
論理的思考力のある人は、前提が間違っていてもそこからどんどん論理が成立していきます。

国家転覆を狙ったオウム真理教も幹部は秀才の集まりでした。
「思考力」も間違えて使うととてつもない負を生み出すものだと僕は思います。

そしてさらに犯罪者は、一般教養あるいは論理的思考、どちらかが欠けたものだと僕は思います。
両方かけている場合も勿論ありえます。

ゆえに、自分の「生産力」を高めるためにも、間違えた方向へ走らないためにも、「一般教養」「論理的思考」どちらも必要なのです。


今回の記事は「再定義」について述べましたがそれは論理的思考を飛躍させるための手段です。←重要
目的ではありません。
自分なりの定義を考える・・・簡単そうで難しいですね><
僕もよく考えます・・・生きるとは・・・幸せとは・・・哲学っすねw
でも良い頭の訓練にもなりますし、是非一緒に考えてみましょう^^

認知係数

『バカの壁』って本読んだことありますか?
ベストセラーですね。
あの本でよく使われる言葉に「係数」があります。

僕なりに解釈してみましたが、係数とは認知係数のことであり、認知とは「自分の思考範囲に属するもの」の一つとして捉えることだと思います。

よって、壁をとっぱらえってことは、「思考の範囲」を広くしろって言い換えることもできると思います。

ブログを書き始めて、家族の崩壊に対する考察など、自分なりにしてみました。
その結果僕に新たな認知係数が追加されたことに気づきました。

「未婚の50代は結婚についてどう思うか」って記事を自然と熟読していたのです。
記事も興味深かったですが、もっと興味深かったのは自分の「無意識の興味」。

元々ある程度その分野に興味はありました。
つまり認知係数は存在したが、非常に小さな値だった。
しかし自分の中で思考→仮説っていう作業をとおして認知係数は大きくなった。

いわば深く考えれるようになったってことです。

養老氏が言いたかったことはこの認知係数をできるだけ大きな値で、たくさん持てってことだと思います。

そしてそこから僕が言いたいのは、「最低限の認知係数を取得すること」こそ、「一般教養」だってことです。


さらに、この論理で一般教養を得るためには、自分なりの知識インプット→思考→仮説って流れが必要だっていうことも言えます。



元々無関心なことに対しては、「考える」ということをしない。
興味関心のあることには自然と目がいく。
僕も麻雀とか、野球とか、読書、そういった類のものや他には航空業界(仕事柄w)の記事はチェックしてしまいます。

もし自分が保険屋さんだったら保険業界あるいは金融業界まで目が行くし、TPPなどの時事ネタでも関心があるものは記事を読んで考えるって作業を自然としてるでしょう。



では認知係数を大きくするためにはどうすればいいか?
それは上記の知識→思考→仮説っていう流の繰り返しです。
その上でも自分がたてた仮説が確信に至る瞬間が僕はあると思います。
それは読書です。

1つの分野の本を3,4冊も読めば仮説が思い浮かんできます。
「結局この分野ってこういうことじゃない?」というような。
それを検証するためにまた読書をし、確信を得るのです。

僕もこういう経験が何度かあります。
その時は意外に感動しますww
やっぱりそうだったじゃん!ってw
一気にその分野に詳しくなった感が出てきます。
でも読めば読むほど俺まだまだなぁ・・・って思っちゃうんです泣


最近は1日1冊しか本読めてません。
時間は余ってるのにまだまだです泣
もっと本を読み、幅広い一般教養を僕も習得していきます。

能率的

自己投資をしている人にとって、或いは組織に属する人にとって、絶えず目標の設定ー達成という作業は求められます。
自分のスキルをアップするということは、目標達成能力が必要なのです。


ここでまた「フレームワーク思考」をしてみましょう。

目標を達成するためには、そのための作業を「質」と「量」からとらえることが出来ると思います。
勿論1番良いのはたくさんの時間集中して作業をこなせること。
つまり莫大な時間の中身を良質にすれば効果は大きいでしょう。

ここで、タイトルには「能率ー効率」とありますが、それは上記のことについての僕なりの考察です。

「量」に着目するのが「効率」であり、「質」に着目するのが「能率」だと思います。

ゆえに能率的かつ効率的なインプット・学習方法を求めるべき、と言い換えることもできるでしょう。


今日はさらにここで「能率」にについて考察したいと思います。
ちまたでは「効率本」というのはうじょうじょあるが能率本は少ない。
※インチキ自己啓発本は1冊としてカウントしません

能率的=質を良くするためにはどうすればいいか?

まず重要なのはパッシブではなくアクティブな態度だと思います。
やらされる3時間より、自らやる1時間って言いますよね。


では何からアクティブな態度・積極性が導かれるか?
僕が思うのは「環境の希少性」だと思います。
「環境」というのはここにおいて時間、場所などを含みます。

「今この時間・・・この場所で勉強できる自分がどんなに幸せか><」
「ここでしか勉強できない!今しかこんなにできない!もったいないもったいない!汗」
なんて毎回思えたらどんなに集中できるでしょうか?

まぁこんなハングリー精神豊富すぎる人はまずおらんでしょうww


しかし、この状態により近づけることはできると思います。




ビジネス雑誌とか見てて、「成功の秘訣は何事もラッキー☆今日の自分はツイてるって思うことです」って
ドヤ顔メガネハゲ頭でコメントしてる人とか見たことありません?
これは成功者の格言です。自分が1番大事だと思うことは、「何に対してもツイてるって思うことだ」って言う人がいるんです。


これに対しどう思いますか?
「へぇ~そんなに楽天的に生きれねーよ。いろいろ苦しいしw」って思いません?
僕はそう思いました。
元々日本人は悲観的な国民性を持っています。(それゆえの高度経済成長を遂げましたが)
その日本人特有の性格に対して反対のことをやれって言ってるわけです。
ムチャっしょwww

でも上記の格言は、そんな表面的な捉え方じゃダメだと思います。

1歩進んで、何故楽天的に考えることが出来るのか?って考えましょう。

僕はその理由は「足るを知る」って言葉にあると思います。
これは僕が好きな言葉です、とても。
足るを知る→充足を知る→現状のまわりの環境に満足する

「現状のまわりの環境に満足していれば、自分に降りかかる様々な事象に対しポジティブに捉えやすい。それを人は楽観的と呼ぶ。」ってことです。



でも、足るを知る=今に満足するってムズいよねーって思いません?
僕はこの言葉を知った当時思いました。

ならば逆に、「足らずを知る」ことが出来ればいいと思います。
今の時代この日本で生まれたことがどんなに幸せか?
何をするにも選択の自由は担保されます。
歴史を勉強しててもこの時代地獄やなーとか思いませんか?
今の国際情勢ちょっと勉強しただけでもわかると思います。


僕は大学在学中一人暮らしをしていましたが、今は実家生活です。

昼飯も、おかんが弁当作ってくれてます(ガチww)
でも一人暮らしを経験したからこそ、この晩飯も昼飯も作ってくださるという環境にはとても満足しています。
今が当たり前じゃないんです。
「足るを知る」ためには「足らず」を知る必要もあると思うのです。


最後に簡潔かつ論理的にまとめたいと思います。

「足らずを知る」ことにより「足るを知る」ことができ、
その結果「環境の希少性」を認識することができ、
それが行動の能率的側面を高めることを可能にする。


震災後何度も、生かされてるな~俺って思いました。
五体満足で生まれてくるのも、憲法上様々な権利を保障されているのも当たり前ではありません。
ひいては社会の諸制度も、人類の悩みぬいた末の叡智の塊なのです。
経済制度も政治システムも法律というインフラも超高次元の妥協案。


以上今日思いついたホヤホヤ仮説でした。

成功を考える


一昔前では、成功とはほぼ出世を意味していました。係長、課長、部長という出世コース。その出世コースの中を歩んでいき、ある程度の地位についたものは成功とみなされる傾向がありました

出世とは何でしょう?
「ある一つの会社、企業の中で昇進していくこと」といえると思います。



ここまで定義しておき、現状の把握兼問題提起。

今日本で行われている変革とは、「日本型企業の崩壊」です。

(伝統的)日本型企業とは、①終身雇用②年功序列などの特徴が挙げられます。
そもそも、よく考えてみるとこの制度がいかにおかしいか気づくと思います。何故ならば会社の最大の資産である「人」という価値に対して、会社側・経営者から仕掛ける裁量権が少なすぎるからである。

言い換えると、優秀な人材を蓄えることが難しいからです。
何故?無能でも昇給させなければならなく、解雇が厳しく規制されるからです。
無能が残り、優秀な人材を雇用する余裕もなくなる・・・。
今ではその解雇規制も緩められ、企業側もしやすくなったけど莫大な退職金を積んで行われています。日本版ゴールデンパラシュートでも名付けましょうか。


金銭面からとらえると≒人件費として捉えると、伝統的な日本型企業の慣行というのはとてもリスキーだったのです。

ここまでの文脈で、「企業の中で従業員の地位は昔より不安定になった」と述べることが出来ると思います。

さらに、今は昔から行われてきた護送船団方式、株主安定策の見直しが行われています。
方向性としては既存の企業を優遇ではなく、新規企業にもチャンスをってことです。
これでは今の大企業も30年後にはわかりません。新規参入を許すということは既存の企業にとってはリスク他ならない。勿論経営不振、破産する確率も大きくなります。
その結果こちらでの文脈では「社会の中で、企業の地位は相対的に不安定になった」といえると思います。


現状の把握をまとめましょう。
社会の中で、企業の地位は不安定になっている、かつ、企業の中で従業員の地位は不安定になっている。
ここまでは一般論です。
誰でも知ってるし、思ってると思います。

そして問題提起。
昔の成功とみなれてきた「出世」は、今も昔と同じように社会の中で「成功」と認知されますか?
この文は反語を用いています。
よって上述の一般論に対し僕の仮説としては、「今は昔ほど出世は成功とみなされない」ってことです。

つまり成功を企業・会社の中で求めるのではなく、それらを包括する社会の中で求めるべきだと思います。



金銭的収入を得たい、名誉を得たい、有名になりたい・・・個人により成功の定義は違ってくると思います。
そもそも成功って言葉こそ主観に依存しまくりなので、成功論を語るのは難しいのです。


今回はそのような「成功」という言葉をあえて定義はしませんでした。
わざわざ成功という言葉を僕なりに解釈して主観をちりばめながら述べると説得力がなくなるからです。
(例)「成功とはカネである、よって・・・」
前提で論理に欠陥ありますよね・・・。


成功の定義は個人で決めるべきです。ただし成功自体を会社内で求めるべきではないってことを言いたかったのです。要は範囲の問題なのです。

では、社会で成功するってどういうことか?
この先を考えたことはありますか?


考察タイムのスタートと同時にお風呂いってきます。


考えるを正当化する

著名コンサルタント会社マッキンゼーでは,経営分析などに「フレームワーク思考」というものを使っています。大前氏の本でも飽きるほどよみました。

その上で働くということについて考えてみましょう。

働くためには,人は「脳」か「身体」のどちらかを使わなければなりません。どちらか一方,というのはありえません。用はその割合です。

主に身体を使った働き方としては,スポーツ選手や現場系作業員が挙げられます。

対して脳を使った働き方を考える前に,まず右脳と左脳を分けて考える必要があります。
右脳とは芸術など,左脳とは論理などで弁護士などが1番わかりやすいと思います。

そしてこう考えた中で,1番自分の生まれ持った素質に関係なく努力でどうこうなる,かつ相対的にも高収入なのは「左脳的」仕事だと僕は思います。


論理的思考の積み重ね,これがこの文脈で重要だと思います。

さらにここから,考える,とは主に論理的思考のことを表すことだと僕は思います。


運なしで成功するため(収入を得るため、名誉を得るため)には、論理的思考が必要。

「考える」を正当化するには、それなりの論理が大事なのです。

僕はこの大切さを本で教わりました。
ポジション的には「極右」の人です(少なくとも経済的な解釈で)
以前にも書きましたが、考えることを求められるエグさを思い知らされました。


また、1流のスポーツマンを見ていても、彼らはよく考えています。
天性の身体+思考力によってプレースタイルを確立しているのです。

結局僕は「考える」ということは「成功する」ための十分条件だと思います。


以上僕の仮説でした。どう思われますか?

タイムパフォーマンス



よく聞きますよね、コスパが~ってフレーズ。
コスパ=費用対効果。

例えば100円やるから迎えに来てって言われても車出す気にはあまりなりませんよねw
「コスパわりぃ~」って言います。
そんな時に不思議と、費用だけじゃなく人はある概念を意識しています。
それは「時間」です。

すぐ終わるんならいっかーみたいな気持ちありません?

僕はコスパ、費用対効果よりも「時間対効果」を意識するべきだと思います。

一つめの理由として、今から相対的に時間という概念がより重要になってくるからです。
時間は買えます、利便と同時に。(cf タクシー)
これを強く意識すべきだと思います。

この論理だと、結局じゃぁカネが重要じゃないかと意見もあるでしょうww


しかし、カネを稼ぐためには、時間が必要です、逆説的ですが。
それなりの自己投資が必要なんです。


若いうちは貯金などするな、という人はたくさんいます。
若いうちの自己投資が、何倍となって帰ってくるからです。

すきま時間の活用、とも言いますがそりゃ若いうちからしっかり勉強していた方が、明るい未来は見えるでしょう。


また、時間対効果が包括するものとして、「時給」の存在が挙げられます。
15分かけて10円安い食材を買いに遠いスーパーへ行く。
1時間では40円。
少なくともこの行動が合理的ではないです。

自分の時給を考えたことがありますか?
自分がもし超過勤務、残業をすれば1時間あたり何円ですか?

行動基準にこの考えはありますか?

今の時代、間違いなく1番大事なのは時間です。
何故ならばいわゆる知識型社会だから。



この論理を中間を埋める定義というのは、「情報は限りないスピードで生まれている」ということが言えるでしょう。

ネットで調べてもとても全ての情報をインプット出来ないでしょう。

少しでも効率よく、情報をたくわえ、思考に繋げる必要があります。

思考だけじゃ何も生まれない。
前提となる情報、知識が必要。
そのためには圧倒的に時間が必要なんです。

ゆえに、僕は「若いうちは自己投資しろ」って格言(?)も、具体的にお求められている力としては
「情報力」及び「その効率的な吸収の方法」だと思います。

「ある情報」を知って、「へぇ、そうなんだ」って態度が1番やってはいけない態度です。
「じゃぁこうなるな、何故ならば・・・」って考えられる基盤を持つ必要があります。


その基盤というのは「社会の仕組み」を知っているというつまり「一般教養」であると僕は思います。

以前の記事でも書きましたが、結局僕はこの根幹の部分を大切にしたいと思います。

思考のスピードを速くする武器としても、一般教養は非常に必要なんです。


寝ます。

合理性

二日酔いでまだ頭痛ぱねぇっす><

以前の記事でも書きましたが、今僕たちは資本主義制度の上で生きています。
そうすると、何らかのノルマを達成することが必然と求められ、そのために個人で目標を設定します。

営業で顧客ゲットするとか、プライベートな時間も活用して著名ブロガーになるとか。
そのインセンティブとしては、「金」か「名誉」のどちらかです。

そして、その個人が設定した目標をクリアするためには、自己投資が必要です。
例えば僕も行政書士、司法書士取りたいなーって思ってるけど、自分のプライベートな時間を割いてまでも勉強しなければなりません。
最高のパフォーマンスを求めるためには、自分の行動を逐一自分で監視し、「スキルアップ」のためにならないことは全てするべきではないのです。

ゆえに、いろいろな部分で活躍しているスペシャリストはいますが、僕が見たところその人たちってボッチだと思いますw


古き良き友人との絡みより、出世を狙う。
妻との時間より、残業しまくる。

ここで論理の対立が生じます。

遊ぶのが大好きな人からすれば、「そんなにたくさん仕事して、金儲けても使えなくね?wボチボチでいいじゃんw」
仕事・勉強が大好きな人からすれば、「人生とは自己投資ナリ!1分でも多く何かを学ばないと!!汗」

どちらでも良いと思います。
選択する自由はあるのですから。

1番してはいけないことは、「ずっと遊んできたやつがたくさん頑張って成功した人を批判する」ことだと思います。


成功した人には「へぇ君頑張ったんだ。大変だったね。失うものも多かったでしょ?」的なスタンスが1番だと思います。

逆に、自己投資ばかりした側からも、遊んできた側を批判する権利はありません。

「たくさん遊んできたんだねー。得るものは少なかったかもしれないけど楽しかったでしょ?」的なスタンスがいいでしょう。



以上合理性に対する僕の考察ですが、これは元々日本では発展してなくて、近代化するときに輸入された思想だと思っています。
そしてこの合理性の追求を目指すとまず何が起こるのか?家族の崩壊です。

だって、合理性を追求する人たちにとって、「家族の時間」って要らないじゃないですか。

近年、1流ビジネスマンや、まして女性までもが、結婚を望まなくてキャリアアップをはかろうとしている傾向があると僕は思います。
「合理性を追求する欧米的思想の輸入により、家族制度を崩壊させている」
この論理は僕の仮設ですが、方向性としては間違いないでしょう。

でも思うんですけど、ボッチってしんどいっすよねwww
特に老後。50歳代での自殺者は国内でも本当に多いんですけど、未婚者はさすがに不安ですよね?

食卓を囲んで笑える妻・子供がいないって・・・。





ちょっと長くなりました。
2日酔いがエグくて、「友人とお酒を飲む」ことに対する合理性から考えてみましたw
今日丸一日潰れたしねw

自己投資の時間と、遊ぶ時間。
このトレードオフってまじきついっすよね泣
プロフィール

WIPA

Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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