GO

『これは、僕の恋愛に対する物語です。』


このセリフをご存じですか?映画『GO』で使われるセリフですが、この映画を僕はとっても好きです。
5回は見ました。
内容はともかく、窪塚かっこいいし柴咲かわいいからですw




そして、これは、僕の読書に対するブログです。
読書から始まって学ぶこと、考えることの大切さを知り、その結果学んで考えるために、読書に終わる予定です。


そしてこの流れで僕は読書が好きになり、それからまぁまぁ読んでます。
ここ3年間は、繁忙期を除いたら1日2冊くらいです。


読書メーター
頼政・T って名前なので、友達申請してください。全部ではないですが、読んだ本を更新したりしています。


何故読書に対する記事を書こうと思ったかというと、一つ確信したからです。

読書に対する感想ってあると思うんですけど、「読めてない人」って大抵最後の章の感想をその本の感想として書きますね。
皆の感想を見て思いました。


本を1冊として見ていません。
前半の部分は記憶に残っていません。


何故そうなるのか考えてみると、それは「筆者は結局何を言いたいのか」。それを意識していない。
抽象化能力の欠如にあると思います。

章は横の繋がりがあるはずです。
その感覚が分かっていないのです。


ここまで真上から目線でドヤ顔で語ってますけど、僕もたまにこれしますww

読んであまり面白くなかった本って、感想書こうって気持ちにならないじゃないですか。

でも感想を書くってのが義務みたいになってるときもあったので><
よくない傾向です猛省((+_+))


また話がズレましたが、筆者の力量で章の横の繋がり
が分かりにくい時もあると思います。
筆者自体が、自分が何書いてるかテンパってる時もあると思います。
そういう時は、筆者は『最後に』とかでちゃんと述べています。
「以上、私は~について述べたが」
「私の主張は一貫して~だ」

こう書いてるときは怪しいっすねw読者がバカなのか筆者がバカなのかわからなくなりますw



僕が1番美しい文章を書くと思う作家は外山 滋比古さんです。
『思考の整理学』で有名ですが、今ちょうど彼の本読んでます。(たぶん5冊目)
内田樹さんは抽象力の高い文章を書くのが有名で、彼の本も「横の繋がり」を見極める目を養うためにはピッタリでしょう。

とりあえず入試頻出の作家は良い訓練になります。


もっともっと本を読んで、語れるようになりたいです。


『広い世界を見るのだ』(映画『GO』より)
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CHANGE

今回のタイトルはカッコよくしてみました。
全部大文字にしてるトコあたりのセンスに気づいてほしいなww←

さて、何故こんなテーマにしたのか。
過去の僕の記事見つけて気づきました。
「あれ、文体変わってるwww(僕はやっぱり堅い系なのはイヤなので草生やします)

最初は常体、次に敬体。
今気づいて言い訳も兼ねてブログ書きます。

人は変わるってことです。
これも「人間の論理の前提」です。

まず外部環境が昨日とは違う。
それに対する自分の対応も勿論変わってくる。
さらに自分自身の内部環境の変化も起こり得るわけです。
「やっぱりこっちの考え方のほうがいいんじゃないかなっ」って思いなおすこともありますよね?
今日の自分は昨日の自分と同じな訳がないです。


意思決定の際の自分の論理が「昨日と自分と変わってないはず」という前提から出発すると、弊害をもたらすと思います。
それは思考停止です。
常に考えることが求められる時代」で、「1番やってはいけないこと」。
それは思考停止だと僕は思います。



自分の中でのルーティンはただの思考停止につながることが多いのです。

ふと振り返り、俯瞰的に自分を見る機会を作りましょう。

今行なっている毎日のルーティンを振り返り、ベターはないか?
(ちなみに思考停止関連で書きますが、ベストって表現も思考停止に陥りやすいです。「これ以上はない」って決めつけちゃうから。未知の可能性も含めて、ベターって表現にします)



刻々と変化する外部環境。(特にネットというインフラは人類の進歩をかつてなく進めました)
それに対応する力は必須です、資本主義をわたり歩く上では。
「あれ、気がついたら自分だけ放置プレイ・・・」
こんなことにならないように、常に変化には敏感に。



元プロ野球選手・名将ノムさんは言いました。
「1番アカンのは鈍感や」(すいません、方言はアレンジっすw)
鈍感って言葉はズルい気もするけど、確かに「考えようとしない」って定義で捉えると、その通りだと思います。




また、アンテナをたてろ、とはよく言われますがそれは変化に気づけってことですよね。
ここで気づくだけじゃあかん。
「何故変わったか?」
これを繰り返す

前後を把握する

モノの流れを知る

社会の仕組みを知る

一般教養

この論理的思考も大切だと思います。


最後に。
有名な本「チーズはどこへ消えたのか」
この本の示唆も同じだと思います。
世界は変わる。人も変わる。それに気づきなさい。

こんな遅い時間に寝てもへっちゃらな身体に変わっていることを信じて寝ます。
マジヤバイ起きれへん。

僕の論理

以前の記事で、「人の論理」を理解しよう、と言いました。
何故どういう前提から、そのような意思決定を行うのか。

そして僕の論理として考えたのは、「自分は無知・バカ」だという前提から論理が繋がっている、ということです。
ハッキリ言って僕は一度も自分を頭がいいとは思ったことはありません、ガチでwww

草生やすところが(www)自虐的で痛いですが、ガチで頭よくありません。
考えてみてください。
何故僕はブログを書くのか?
このブログの目的の1つめは、アウトプットのためです。
今僕はこんなことを書いているよ、ということを未来の僕へ発信して、批判されたいのです。
「不特定多数への発信」は無知の露呈でもあります。
定期的な無知の露呈は、非常に刺激的です。
文章を考えてみるとリアルタイムで、あるいは後から振り返り「マジばかだったな俺こんな表現すんなよw」とか思うことが多々あります。

でも無知を隠し逃げるようにするよりかはベターだとは思いませんか?
無知ゆえの、バカ自覚ゆえの自己投資です。


論理の前提が「無知・バカの自覚」であるということは、他にも長所があります。
例えば吸収力
自分はいろんなこと知らないからこの人の話はタメになるきっと!一生懸命聞こう!
って流れは想像できますよね。
僕もこうなれば良いんですが実際どうなんでしょう笑


それに僕自身「バカで忘れやすい」という前提から人一倍のメモ魔になっていると思います。
個人用作業マニュアルたるものは、毎日莫大な量で増えていくばかりです。

でも僕はそれでいいと思います。人間は本質的に不完全で、記憶力も大したことないんです。

以上述べた部分は僕自身の行動論理のメリットです。

デメリットも自分なりに考えてみました。
それは、自分の可能性を過小評価する、ということです。
潜在能力にブレーキをかける、ということです。

例えば野球。このピッチャーの球なんて打てるわけない、って打席にたつと、まず打てません。
こんなもんか・・・って感じで気楽にいったほうが結果的に打率はあがるでしょう。

これが脳の使い方にも応用できると思います。
こんな問題解けるわけないやっ
俺なんて偏差値50の頭だし東大生に勝てるわけないやっ
こう考えてしまえば結果も見えてきます。負けです。

僕自身東大生と戦わなければならない真剣勝負を経験しました。
結果はあとほんの少し3点!ってところだけど敗北しました笑(さりげなくの惜しかったアピールがまた痛いw)

でも非常にいい経験だと思います。
自分なりに「無意識の自己制限」を解除する方法みたいなものを見つけることが出来ました。



そしてこの時僕は思いました。
東大生の論理ってなんだろう?
それは基本的に「エリート意識」だと思います。
日本の看板を背負う大学の最高峰。
日本の将来が僕たちにかかっている。
自分の思考を持ってすればどんな問題も解けるはず!

どうでしょうか?これも「学習へのインセンティブ」となっている点では僕の「無知ゆえの論理」と同じではないでしょうか?

学習への意欲、モチベーション。学ぶ上で一番重要な部分ですが、両者にはこういう差異がみられます。
しかしお互い「学ぼう」とするモチベーションを高めることで、少なくともその点では評価されるべきだと思います。

この文脈で語ると、1番怖いのは、無知な人がエリート意識を持つことですね。

エリート意識のデメリットは、ご存じのとおり「自我が強くなりすぎる」ということだと思います。
人の意見を聞かずに、自分が1番と強く思い込みすぎてしまう。
こりゃあかんっすwww


ふざけすぎました。
皆さんの論理は何ですか?
どういう前提からどのような行動をしますか?
自分の行動の指標となっているラディカル的要素を探してみてください。抽象度高い文章ですね、3年前の僕はこういう文章が大嫌いだったので書き直します笑(因みに、学者は自らの知性を誇ろうとするのでこんな難しい文章・表現を散りばめるのです=学者の論理。僕みたいなパンピーからすれば内輪ネタやって何がおもろいんやろ・・・とよくムカつきましたが、今となってはその気持ちもわかります)

簡単に言うと、どうしてそんな行動をするのかその分岐点を考えてみてください。
面白いと思いますよ、自分の研究という点では就活にも使えるのではないでしょうか。


以上、僕の仮説でした。
3年後には「よくこんな未熟な文章かけたなー///w」って照れてる自分に期待したいと思います。

教養のための論理的思考

今回は意味不明なタイトルをつけてみました。
僕にとっても意味不明です笑

僕は、一般教養とは、「社会の仕組みを理解する」ことだと思っています(何度も書きましたが)
さらにそこから発展して、「社会の仕組みを理解する」ことは「当事者・内部組織の論理を理解する」ことだと思っています。

抽象力が高すぎると意味不明ですね。
では具体的に。

彼女・彼氏と別れる理由で多いのは、「価値観の差」というものがあります。
お互いの価値観が違ったのでしょう、すれ違いです。
そもそも価値観ってなんでしょうか?(←論理的思考Lv.1)
「個人が重要だと思っていることの認識の差」だと僕は思います。

つまり価値観の違いで別れるってことは、「私、こんなことに興味があるんだよ」「俺、そんなことよりこっちの方が重要だから」ってことでしょう。
この対策としては事前の説明でしょう。
「私はこういうことが好き。だからこんなことをするんだよ。」

気づいた人もいると思いますが、直前のこのセリフは「当事者の論理」たるものです。

1 例えばいつも寝ている課長。
2 イジメによる自殺をした、と報道されているのに調査などに消極的な学校。
3 口先ばっかりで何もしない政治家。
4 また不祥事を起こしたあの企業。

全て「叩かれるべき」ものですよね?
間違いなくマスコミは大好きなネタです、視聴率が取れますから。

ただし当事者、本人の「論理」、つまり何故そういう行動をしたか?を緻密に考えてみたことはありますか?

先ほどの批判の上から順番に。
1 家ではいつも深夜まで病気の両親の世話。認知症で夜も出歩く。
2 イジめによる自殺、という因果関係は不明で、実は両親による暴力がその子供にあった。
3 「得票」のためには口で、当選後、議員という身分を守るためには保身に身を捧げるというのが政治家の伝統であった(そうあってほしくはありませんね)
4 この不祥事も前の社長のせいであって、前の不祥事と原因は同じなのに何度もしているようにみえている
という仮定があったならどうでしょう?
接し方・対応も変わってきますよね。
一律にあいつは悪だ、と決めつけるのはその時点で思考停止です。
相手の論理を考え、自分と意見が合わないのはどの部分に相違があるのか。
もちろん世の中に「正義」という確固たる概念が存在する時点で反対の「悪」という概念も存在しうると思います。(もちろん個人の主観に依存しますが)
ただし、悪にもそれなりの理由がある、ということです。
安易は人格攻撃もやるべきではない。
何故そのような人格になったのか。そもそも「社会制度」がおかしいからではないのか?
内部ではなく外部に要因を見つける、これがとるべきアプローチでしょう。


怒りっぽい人っていると思いますが、この考え方をするだけで改善するのは間違いないと思います。
「前のトラックおせーな、とっとと走れ」→トラックのタイヤを見てください。細道など、幅いっぱいをギリギリ走っています。運転は非常にうまい人が多いんです、運ちゃんは。それにトラックは「会社の看板」を背負っている場合が多いです。
「またこの話かよ。うっせーな上司。」→それ程あなたに伝えたいことなのです。こうまでして伝えたいということは他に取り方があるのではないでしょうか?

以上、これは僕の一般教養に対する仮設です。

わかりやすく言うと

この組織に属する人はどういう考え方を持って、その組織はなりったているのか。
こんな行動をする人はどんな理由でその行動をしているのか。
↓抽象化
個人のインセンティブ・行動の意思決定要因を緻密に分析する
ことにより
社会の構造・仕組みが見えてくる。

ここまで仮設を立てたうえで気づきました。
世間一般では、それが「思いやり」と呼ばれていることに。
思いやりを持て、ってそういうことじゃないでしょうか?
一般教養を持て、と同義なのではないでしょうか?
一般教養という概念は思いやりという概念さえも包括するものなのではないでしょうか?


あくまでこれは僕の未熟な論理的思考の帰結であり、仮説です。
皆さんはどう思いますか?

極右のススメ

いきなりこんな挑発的なタイトルで、「何だこいつ極右か」って思ったかもしれませんが説明させていただきます笑

昔から思想には「レッテル」が貼られてきました。
右翼vs左翼って構図。聞いたことがある人はほとんどだと思います。

一昔前までは、おおまかに資本主義=右、共産主義=左って構図でした。
今は複雑な政治事情もあり、しかも僕はこうやって無理やりレッテルを貼るのは好きじゃないので一概には言えません。
ただ、このタイトルで言いたいことは「資本主義の構造」を考えよう、ってことなのです。

どんな定義を皆さんお持ちですか?「頑張ったやつが富を手にする」端的に言うとこんな言葉ではないでしょうか?
それも資本主義の1面であり、僕が考えてほしい部分であります。

経済学の本を開くと、資本主義については長くダラダラとした説明があることも多いです。
未来永続的な余剰の生産を可能にするシステム、功利的主義的な論理で1番効率的に「幸福」を分配するシステム。
制度的に考えればその通りだと思います。経済学的な見地から物申すと。

しかしここではそんなことは言いたいのではありません。
「頑張ったやつが富を手に入れる」
それの制度がベターであることは歴史が証明しました。
そう、共産主義の崩壊、資本主義の勝利です。
「貧しい人達がかわいそうだから、平等にして皆が仲良く暮らせる社会をつくろう」って思想より、
「そんなのイヤだ!俺は自分の欲望のために他人を犠牲にしてまでも這い上がることの出来る方がいい!」って思想のほうが勝ったのです。
それ程、「人の欲望は強い」ということなのではないでしょうか?
歴史の証明、それは他己的ではなく利己的、つまり人は他人のためではなく自分のために生きるものという証明です。

あくまで自分の生活のために、少しでも楽になるように、少しでも富を得たいがために名誉を得たいがために人は生活する。
少なくとも日本は今そういう制度を採用しており、みなさんもこんな弱肉強食世界を生きていかなければなりません。
一回極右に浸かってみたらいいと思います。思想そのものを勧めているのでは決してありません。
生きるインセンティブ」のためです。
常に学び、考えることを求められることを理解してもらうためにです。
やらなきゃやられるってどういうことか。
丸一日寝転がってTVを見て、何も生産しなかった日も振り返ればあるでしょう。
そんな時には「あれ、ここって共産主義国家だっけ?」って自問自答すれば良いと思います。

ってこんな言い方すれば、「結局思想統制じゃないか!資本主義推してるし!」って思われる可能性がありますからエクスキューズとして。
その上で、「資本主義制度」を理解したうえで、「選択」すればいいのです。
そこまでやるのしんどい・・・自分は中の下の生活でいいからあんまり激しいのはイヤだ、とか。
資本主義は「選択する自由」もあります。


最後にもう一度。
学生生活が終わると同時に、或いはモラトリアムを挟んで、社会に出ることになります。
いきなり資本主義の舞台に放り出されることになります。少なからず「学び、考える」という絶え間ない作業を繰り返すことになります。
その点については、覚悟しなければなりません。

読書のすすめ

まずは知識の習得という観点から考えたい。
どうやって知識をつけていくべきか?

僕はこの答えとしては「読書」が優れていると思う。
ある人(著者)の集大成,何百時間もかけて作ったものが,100円単位で購入出来るし,環境が良ければ無料で借りることが出来るのだ。
最近はネット環境の良さもあり,ネットというインフラ上で「知識」を手に入れることも出来る。

しかし僕はあまりこれに依存すべきではないと思う。
理由としてはそのネット上の知識が断片的であるからである。
本の上では定義も「文脈」の構成要素の1つとして扱われる。
文脈の1つとして述べられるから,理解しやすく頭に入りやすい(→知っている人は知っていると思うが,エピソード記憶として位置付けられやすい)

つまり,ネット上の浅い文脈の上では,言葉を理解する上では本には必ず負ける。


また、読書といっても,僕が読むべき本は学術書・実用書等ノンフィクションだと思う。小説などフィクションよりかは,少なくともそちらを読むべきである。
その理由としては,思考過程を考えることからの帰結により導けられる。
ある物を生産するために考えるということは,創造力が必要である。クリエイティブな思考ともよく言われる。
ここで僕が重点を置くのは,思考の前提となる知識についてだ。

例えば現在の経済システムは欠陥がある!もっと良い制度を考えよう!
って時に,①そもそも経済システムとは?②どんな歴史があり③それぞれのメリットデメリット
など知らなければ,何も分からないだろう。

【思ひて学ばざれば則ち殆ふし】
ということわざもあるように,もし思考の前提となる知識・根幹の部分がしっかりしていないと間違った回答をうむ確率は高くなる。
例えば論理もそうだ。間違った前提からの帰結は,間違っている。


ノンフィクションを数多く読みこなす
これが僕がオススメする読書である。

また、さらに応用としては「筆者を相対化」出来れば素晴らしいと思う。

この筆者は思想はこっちよりで、こんなことを言っている。
この筆者は綺麗な文章は書くが、残念ながら論理に欠陥がありすぎる。

以上のように筆者を分野ごとに評価できれば、その分野をマクロ的な視点から見ることが出来ているからだ。

そのためには、とりあえず一つの分野と決めたなら10冊は手にとり読んでみよう。
すると大体同じことが述べられていることにも気づく。それがその分野の論理である。
こうやって社会の仕組みを理解していくものだと僕は思う。
縦じゃなく横のつながり。
これも意識すれば、自然と「学問横断的な思考力」がつくと僕は思う。


社会学のススメ

何故、社会学を僕はススメるのだろう?
実際、僕は大学では経済学を専攻していたし、社会学は一般教養でも習ったことがない。

全ては図書館から得た知識であり、独学である。

そこで社会学の可能性を見出した。

学問には様々な分野がある。
まず分けられるのが自然科学と社会科学。
そして社会科学の中でも法学、経済学、政治学、行政学、哲学、社会学etc
大学でも新たな学部は創設されているし、数えればキリがないかもしれない。

学問を学ぶ上で僕が重要なのは「マクロ的な視点から相対化」することだと思う。
この学問は大体社会のこの部分を研究していて・・・と緻密に分析していくと、そのような学際的な視点も出来るようになるだろう。
そのためには、各々の学問を抽象化する能力が必要である。学問を学ぶに至って、「今は自分はどの部分を勉強しているか」を常に意識することが必要である。
要は、各々の学問の思考過程を使い分けることのできる能力
そしてこれも一般教養の一つだと僕は思っている。

学問は思考力を鍛えるものだ。考えるための、解を求めるための道具だ。
学問を学ぶことは思考を鍛えるという武器を持つことに他ならないと僕は思う。

その上で、社会学の役割を考えてみよう。

社会学とは、「人、及びそれが構成する集団・組織の成り立ちを研究する学問」だと僕は定義している。

そしてそれらを研究するために必要なのはズバリ「マクロな視点」である。
社会を抽象化し、人々はどのようなインセンティブで行動するのか?そこに合理性はみられるか?
規則性は?

そして社会とは~という帰結を考える学問ではないのだろうか?
ある意味で、社会学は社会科学分野の学問(上記)を包括している。
政治も経済も社会の構成要素の一つであるし、ミクロに捉えたものではないだろうか?

以上今の僕の仮設である。

「社会の成り立ち」を知るために非常に有用なのが社会学だと思う。(あまり学問に有用という言葉は用いたくないが表現力の乏しさゆえに)
社会の仕組みを考えるためには、「社会を上から鳥瞰的にみる視座」が求められる。
まずはこの点を確認するのはどうでしょうか?

一般教養とは

一般教養とは,社会の仕組みを知ることとも言い切れると僕は思う。

社会の仕組みとは何だろうか?
例えば憲法後半の「統治」理論を勉強すれば面白い。
三権分立から,それぞれの組織に対する定義・根拠等を述べていて,この部分を学ぶだけでも社会の仕組みを知る上では一助となり得るだろう。
経済制度を勉強し,資本主義とはどのようなものか?金融制度とは?それを構成している銀行の役割は?
これらを知ることは間違いなく社会の仕組みを知るために必要だ。

しかし,僕はそれだけじゃぁいけないと思う。

というのは,社会を知るためにはそれを構成する者=組織内部の論理まで知る必要があると思うからだ。

例えばマスコミたたき。ここ何年かだろう,マスゴミという言葉も生まれた。マスコミに対しての不信感もあり,「もっとマトモな番組を流せ」という言葉はよく聞かれる。
ただ考えて見て欲しい。
「何故この番組を流すのか?」

マスコミは営利企業である。利潤を生み出さなければ企業として存続出来ない。cfゴーイング・コンサーン
ではマスコミにとって利潤を表す指標とは?
それは「視聴率」である。

そう,視聴率が取れるから報道するのだ。
いくら自分が批判したって,低レベルな番組が流れてるなーって自分で思っても,他人は見ているのだ。
これがマスコミの論理だと僕は思う。

2つめの例は企業の不祥事などについて。
何故,企業は不祥事を起こすのか?と考えたことはあると思う。
一般的な回答としては「利益に目がくらんだ結果,法を犯した」とかが多いんじゃないかな。
僕はそんな単純なものじゃないと思う。

例えばこう考えることも出来る。
「実務に適応していない,一昔前の法律が悪い」と。
法律の解釈も複雑である。法律学ではたくさんの学説があるが,それはつまり法律の文言に対し色々な受取方があるよ,ということである。
そんな不親切な法律に対し,自分の主観で合法と思っても,検察に違法と言われたら違法だ。
脱税などもこの流れで生じるのだ。認識の違い,ともよく言われるが,法律の解釈に必然と差は生まれてくるのだ


以上例示してのは組織の論理である。
学問的に考えると意思決定のためのインセンティブといえるだろう。

このような複雑なインセンティブが絡み合って社会は構成されている。
よって,社会問題も複雑なものも多くなる。
善悪二言論で語れるものはそう多くはないはずだ。

先ほどの話と関連させると,テレビではこのようなyes,noで討論している者が多い。極論合戦。多分討論している本人も知っていると思う。こんな簡単な問題ではないよ,と。
しかし視聴者がそれを求める。劇場型なパワフルな議論は見ていて面白い。
これもマスコミの論理の1つでは無いだろうか?

閑話休題。このような複雑な社会構成を理解するために,一般教養を学ぶのだ。多種多様なインセンティブで成り立っている社会。
ある論理には相対立する論理もある,ということである。
叩かれている方、弱者側の論理も考えてみるべきだ。
この組織は存在が悪、この事件はこっちが悪かったなど決めつけるのは思考停止だ。
「あの企業、また不祥事かー」って瞬間には思考停止に陥っている可能性もあるのだ。

以上,一般教養を学ぶ意味を考えてみた。

次回社会学のススメ。

ブログの方向性

自己紹介をここでします。初めまして、TJです。

ブログを始めた理由の1つ目は、アウトプットの場に活用させようと思ったからです。
知識も詰め込むだけじゃぁ役に立ちません。
定期的な発信の場が必要です。
後から見返して、いかにこの頃の自分が未熟だったか確認するための無知の露呈の必要性も感じました。

2つ目の理由としては、出来る限り「学ぶ」ことに対する自分の考えを多数の人に伝えたかったからです。
というのも、僕が20歳くらいの時、勉強する、学ぶ為に何をすればいいかわかりませんでした。
【読書 大学生】とか、【大学生 勉強】とか検索したりしたけど、ピッタリするサイトはありませんでした。
だから、このサイトでは「学問などを学ぶ必要性」「何をどう学ぶか」など、自分の思っていることを伝えていこうと思っています。


3点目の理由としては、是非僕より若い人達に「一般教養」という定義を確認してほしいと思ったからです。
僕はちょっと「学んで」みようかなと思ったときにネットでWikipediaを見たり、図書館で本を借りてきたり、新聞を買ったりして、思ったことがあります。
何書いてるか、内容はわかるけどだからどうしたの?この情報って重要?
ってことです。
例えば日経を読み始めた当時、サッパリ意味が分かりませんでした。

「なんでこの記事がトップなの?景気が悪い、ふーん、だから何?インドがアツいんだ、へぇ~。で?」

学問も勉強し始めたとき、「だから何?」って違和感しかありませんでした。
意味あるの?単位取れればいいんだろ?みたいな。

大学生は特にこのような僕の経験はありませんか?


学問も難しい専門用語とか並べて「内輪ネタ」みたいいなってじゃないですか。
それが許せなかったんです。僕はムカツきました非常に笑

何故わからないのか?→これも一般教養が自分に足りてないからなのかな・・・→じゃぁ一般教養って何?

これはレベル1の論理的思考ですが、この流れは非常に重要です。
何故ならば僕はこの「一般教養」という定義は物の考え方から知識のつけ方、そして最終的に社会の仕組みまで内包するもの、と思っているからです。
新聞を読む力も、学問を理解する力も、立派な大人になるための最低限の能力。
それが一般教養です。

一般教養という定義、安易に捉えていませんか?大学講義でも一般教養(略してパンキョー)というのはありますが、僕のイメージとは少し違います。
もっと奥深くて、幅広くて、魅力的なものです。
僕はこれを確信して以来、人生の目標=一般教養の習得 と設定しています。
某著名学者も、一般教養=社会の仕組み=究極の習得目標 と設定していました。
この大切さを感じてほしいのです。

赤文字ばかりで見づらいですが、それ程この部分は僕が重要だと思ったので色変えました。

このように、①自分のためのアウトプット②学ぶインセンティブをつける③一般教養の習得
が、主にこのブログの目的です。

一緒に考える機会を作りましょう。

test

テストです。

てs

てs



プロフィール

WIPA

Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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