繋がり 「求め、求めあう」

いよいよ司法試験予備試験が一週間後に迫ってきました。
僕自身もラストスパートでやってるつもりですが、やっぱり難しいですね。。
あと1週間、全力で頑張りたいと思います。

試験合格はもちろん自分にとって今の大きな目標であるんですけど、あくまで生きていく上でのゴールではありません。
つまりは手段なのです。
僕にとって、そもそもゴールって何なのか、ふと考えたりもするんですが、
コレってのは出てきませんよね、なかなか。
それを見つけ続けるのが人生なのかな、なんて思ってます。

今の現段階で強いて言うのならあくまでゴールは「善き人格」の形成になるのじゃないか、と。
約一年前の記事でもそんな感じで書いてるみたいですね


そして色々な人にいい意味で影響を与えたい。
良く評価されたい。
たくさんの人から称賛されたい。
なんて言い方になるんですかねw

まぁこうやって考えてて気づいたんですけど、
「承認欲求」ってのは人により対象が変わってくる、ってことですね。

考えてみれば当たり前かもしれませんが、
家族から愛されればそれでいい。
職場の居心地が良く職場の人間から好かれたい
あるいは特定の誰かではなく、誰とは言わずに不特定多数から承認されたい。

誰しもこうやって、少なくとも必ず「承認欲求」っていうのは持ってて、
その矛先は人により変わってて、その相違による摩擦のっても、結構な確率で発生する気もします。


ハッキリ言うと「君から好かれたい」に対し、「僕が好かれたいと思っている対象は別にいる」みたいな。

そして僕はこの承認欲求の対象の相違ってのは決定的である、と考えます。

何故、どういう意味で決定的か。

つまり人は社会的に「どこか」のコミュニティで繋がりを持たなければいけないものであり、
誰かとつながっていることが生存条件であり、
繋がるというのは一方的な行為ではなく双方からのアプローチが必要である。
よってこの繋がる矢印が一致しないと、そのコミュニティは成り立たない。


この文脈で、
『求め、求めあう』事ってのは人間の本能としての行為であるが、
それは双方向性ゆえに時に失敗する。
そんなことが言えると思います。

こんな事書いてて思ったんですが、
人間の生存競争ってのは必死に誰かにラブレターを送り続ける行為みたいですね。。。
それだけ、「誰かから認められる」ってのは大変だと思いますが。


最後に。

あなたの承認欲求の対象は誰ですか。
身の回りの人ですか。
今は目の前にいないけれどもこれから発生するであろう不特定多数の誰か、ですか。





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社会・仕事・承認欲求

「社会人になる」っていうのは少なくともある単位でのうちの一人として働くってことであり、
独立していればそれは独りであり、組織で働くってことであれば複数人のうちの一人であります。

こうやって『集団の一部』に身が置かれ、その結果人は『集団の一部』として思考することになります。

それは独立して一人で商売しているときでも利害関係者含めコミュニティ単位で考えれば『集団』になるであろうし、
組織の中で働いていれば取引先含めてもちろん『集団の中の一人』で仕事をすることになります。


僕の仮設ですが、やはり人間ってのは否が応でも「自分のために」行動するのであって、
そのために「他人から承認」を得ようとするものであります。

利他的にみえて利己的な行為。
結局は自分の生存戦略。
他人から評価されることこそが、生きる上での最良の精神的不可欠な要素になると思います。

・・・
という文脈で、
人はある特定の集団の中で生活(行動)・仕事するうえでは「他人からの目」ってのを
自覚している以上に気にするものであり、結局はこの意味で「組織のために」動いているようなものであります。





・・・
分かりましたでしょうか。
結局仕事に「自己の承認」を求める以上、「組織に身を捧げる」ものになり、
しかし逆に「組織は利益計上のために身を捧げるような正社員よりコストパフォーマンスの良い契約社員・派遣社員を雇う」っていう逆説になっているわけであります。



まぁ何が言いたいかというと、
日本ではずっと職場・会社こそが自己承認の手段であり生きる目的であったりしたけれども、
それは会社が掲げる「ゴーイングコンサーン」って考え方と相性が良くなく、
つまりはビジネスする上では”非属人的要素”を求めるあまりに『これが出来れば誰でも良い』になり、
この意味での職場への過剰のコミットメントは我が身を滅ぼす可能性があるってことです。


【これだけ尽くした(尽くしている)のに、誰も、何も評価してくれない】



評価してくれないのがダメなのか、
そもそも尽くすべきではなかったのか。尽くすベクトルが違うかったのか。




今の日本は、会社単位でこんな矛盾を抱えているように思えてなりません。
他人から評価されるのは、職場以外のどこかでもいいんじゃないですか?
職場以外に、”コミュニティ”ありますか?

多分、無いからこういう構造になっているんですね。

承認欲求を満たすための、職場以外のコミュニティの確保。

例えば”幸福度”たる指標があれば、向上させるためにはこれ以上の戦略はないような気もします。


ほんの少し、 社会もよくなるんじゃないですか。

たまには振り返る

機会があって、4年前の記事から少し振り返ってみました。
結局僕が今まで書くテーマってのは、一言でいうと「社会」だったんだと思います。


このブログでも、学問の中でも一番出てくるのは「社会学」だと思います。
この昔のとか、社会学の範囲かどうかはわかりませんが、”思想”の分野は特に好んで本を読んでいました。


今でも覚えているんですが、学問を学び始めて最初の段階で、一番わからなかったのは「社会主義」とか「共産主義」とか、そういった経済学でも学び同時に思想の問題でもあり、抽象的な”社会の在り方”についてです。

大学3年生だった僕は、シンプルに考えました。
『社会主義?共産主義?成り立つ訳じないじゃんw』
『革命?何それ?右とか左とか、それっていったい何の対立なの?』

ここから僕の学問が始まった気がします。
本の書いてる意味がわかんない。
そもそも資本主義以外あり得るの。

っていうところからスタートして、経済学とか社会学とか思想の分野とか哲学とか政治学とか法学を学ぶようになって、
簡単に言うと『人の考え』ってどうやって生まれるんだろうって考えて、考え続けて、今がある気がします。


そういう意味では、少し前の記事で”問題意識を持つ重要性”について書きましたが、
僕の問題意識っては”人の考え、そしてあるべき答え”っていう究極的に導かれるはずのない答えを模索しているようです。

そもそも社会に正解はないんだ。教科書的なフレーズですが、"better"ってのはありますよね。
それを提案したい。


28年間生きてきて、6年前の今日にたくさん人が死んじゃって、ネットで震災関連の記事をいくつか読んで、
あれからもう6年もたつことに気付いて、自分の変化について考えてみました。

結局、変わんない部分は変わんないと思います。
ただ、読み返しても泥酔して書いてるものもあるんで、だいぶ過激な内容で赤面したりとかはあるんですがw


でも若い(といっても5年前)ってのもあり、勢い任せで書いてるところがまたいいですね。
逆に若い時に書けたから、今も言える。



ちょっとでいいから、社会を良くしたい。
ためになりたい。
社会を変えたい。


"必死に生きる"意味

何のために、生きてるのか?っていう究極的な問い。

朝起きて、出社して、いろいろ耐えて、帰宅するってこのルーティン。

「必死に歯を食いしばっていきって、一体みんな何を目指してるの?」



この、バカみたいな”うぶ”で、バカみたいな初歩的な問いは
実は究極的で、サラリーマン、社会人にとっては「深く」考えないといけないテーマになっていると思います。


簡単に想像してみてください。
知り合いの子供、小学生。
いつもの働きぶりを伝えたら、その子供から、ものすごいピュアな、表題の疑問が出てきたら、どう答えますか?


何で、学生はあんなに楽しいのに、
社会人になったらそんなに苦しいの?

そもそも、なんで、社会人は、そんなに苦しいの?

続きは僕自身の問でもありますが、”何で、耐えたら強い、みたいな風潮なの?”

少なくとも、組織で働くうえで、忍耐力とか、そういう能力は間違いなく必要だと思いますが、
耐えればそれで評価されるもんでしょうか?



っていう前置きの議論は置いといて・・・

結局、表題の、"必死に生きる"意味 ってのは、個人的に解釈すると、
自分の輝いた(はずの)の一番の時代を、取り戻すか、思い出すか、継続させるか、どれかのためである。
そう、僕は思います。


結局、生きたその”青春の濃度”によって特に大学出て社会人になって、どれだけ遊ぶのかってのは、左右されると思うでんす。


昔からのリア充は、”東京カレンダー”なんて記事読みませんw
ただ楽しいもの、面白いものを追い求めていく、それだけが人生になってるような気がします。



特に東京に住み始めてから、多摩方面とか、所沢方面とか、渋谷区内とか、色んなところに住み始めて、
色んな思いが僕にもあります。



ただ、僕の仮設としては、以上の文脈で、
いわゆる今の”満足心”ってのは、学生時代の”後悔”ってのと反比例になりやすいというか、
インセンティブになりやすいということで、
・・・

究極的に言えば、学生時代に”自分の青春時代に後悔している”っていう感覚のある人のほうが、
結果を残しやすいってことです。





簡単に考えれば、皆さんの周りで、小中学校の同窓会に進んでくる人or幹事をするような人で、
高校大学の同窓会を取り仕切る人ってどれくらいいますか。

そういう人って、どういう人ですか。



そして、最後に個人的な質問。
社会を変える人って、どんな人ですか。


考えて、考えて、そしてまだ僕は考えようと思います。
恥ずかしいけど、言わなきゃならないフレーズ、どんな形でもいいから、微々たる歯車の一つでもいいから、



僕は社会を変えたい。

って、本気で思っています。
入省依頼、かれこれ4年。



皆さんは、そこまでして生きて、どうしたいのですか?

仕事の価値観

そんなにイヤなら何で仕事辞めないの?ってクエスチョン。

巷の自己啓発本にありそうなフレーズ。
なんか、ずるいですよね。
正論な気がして。
意志が弱いから、仕事を辞められないような気がして。


ただ、こう答えちゃってもいいと思うんです。
「それが人間だからじゃない?」って。

本能的な部分で、ホメオスタシスって特徴が人間には備わっていて、
つまり本能的には変化を好まず、現状維持を求めようとするもの、だと思います。


あまり僕は自己啓発本は読みませんが、自己啓発本にはこういう”正論っぽい”表現が散見され、
まるで自分が意識したことのないような新たな発見を見つけたような気にさせる。
そんな本が多いように思います。


ただ僕は決して「現状維持」を薦めているわけではなく、
人間の本能、つまり生存競争の過程では”現状維持”を好む傾向にあるってことは事実だとして、
その中で人間は”変化”を経験することにより成長する生き物だと思います。

そもそも転勤って制度だとか、出向って扱いも、業務を変化させるものです。

確かに僕も飽き性で2年も同じ仕事をすればもう嫌になる自負自覚はありますが、幸い今まで部署は短くて1年弱、
長くても2年弱で異動になっています。



普段意識していないだけで、人間は現状維持を好む傾向がある。
これはさっき言ったことですが、ここで一つ深く考えてみます。

そもそも、その人にとって「変化を好む」って傾向があり、それが現状維持としてみなされる場合はどうでしょうか。

つまり、”変わって当たり前”。
接する人。
仕事内容。
勤務時間。

世の中にはこういう人もいると思います。

そして、これは生来生まれ持った性格なのか、あるいは一時的な欲望に過ぎないのか、
色々考えたりしました。


僕も勉強はしながら転職活動はしていますが、
やっぱり仕事を辞める人、その決断力は素晴らしいと思います。


変化って何だろう。
もともと人ってどういうものなんだろう。


そんなことを考える、一つのキッカケがありました。
僕も、頑張ります。
彼は先に夢を叶えて国家公務員を辞めます。
彼には、負けません。
プロフィール

WIPA

Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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