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地方分権なんて、幻想である

日々の生活の中心は、コロナウィルスです。
ニュースでも毎日報じられ、今日の感染者数に一喜一憂し、減らないパチンコ店の客に怒り罵り、亡くなった人を憐れむ。
そんな日々です。


国の政策として、マスク2枚配布がなされています。
同時に、現金10万円支給も始まったところです。
何に使いますか?10万円。

僕は、予備試験受験費用(飛行機、ホテル代)です。。。


国の政策と並行して、地方自治体も独自の政策を行っているところがあります。

”独自の緊急宣言”などといった単語も聞いて「???」と思ったことがありますが、
ほかにも〇〇市は帰省しなかった大学生に地元特産物を送った、マスク配布を始めた、などと色々な工夫をこらした政策をしているようです。

地方分権の時代。
いかに工夫をこらして、住民目線でより良い自治体を築き上げていくか。
あるいみ、競争です。
ほかの自治体との、競争です。

例えばマスコットキャラクター。
ゆるキャラを掲げて、有名になった自治体も結構あります。
く〇もんとか、そうじゃないでしょうか。

お金をかけずに、良いアウトプットをしていく。
この費用対効果を求める姿勢こそが、自治体が地方分権の競争社会を生き抜いていくうえでの、一番重要なところだと思います。


だからこそ言いたいのは、お金をかければ、何でも出来るんです。
現金10万円を配るのは、誰でもできるんです。
お金さえあれば、できるんです。


でも、お金があるかないかってのは自治体によって違います。
例えば観光産業が元来盛んな地域では、何もせずともある程度の収入は見込めます。
同じように特定の産業などが盛んで発達していれば、その分税収入も増えて、自治体の懐も潤うでしょう。

でも、いわゆる何もない自治体ってのも、あるように思います。

歴史的な文化や発達した産業・工業もなく、名産物も特にない。
そんな自治体がほとんどではないでしょうか。

だからこそ、お金をかけずにより良いサービスをしようと工夫するのだと思います。

ふるさと納税もそうじゃないですか。
自分の自治体への税収入を増やすために、どんな特産物を返礼品として設定したら納税してくれるか。

費用対効果を争う、それが地方分権の真髄であるように思います。

一方で、大きな力をもつ民意は、”現金よこせ”です。
今回の10万円一律給付の過程を見ても分かるように、費用対効果を考えれば、やるべき政策ではないように思います。
困っている人に、困っているだけ。

国民総出で自粛しているんだから、などという人も多いと思いますが、少し筋違いであるように思います。


そして、自治体によっては、”現金よこせ”の民意を受けて、現金を配布するところも出てきました。

例えば、子育てを行っている世帯に対して、子供一人当たり3万円など。

支給対象は様々です。
でも、多数の自治体がこんな政策をし始めているように思います。

でも、個人的には疑問があります。

お金がある自治体は出来るけど、お金がない自治体はできない。
不公平ではないでしょうか?

結果として、お金がある自治体に居住している住人はお金をもらえて、居住していない場合にはもらえない。
それは、住人同士の比較でも、不公平はないでしょうか??


何で、〇〇市に住んでいたらお金もらえるけど、△△市に住んでいたらもらえないんでしょうか?


「地方分権」の一言で片づけられるのでしょうか。
大いに疑問です。


確かに地方分権の理念に賛成する側面もあります。

あぐらをかいて国からの交付金に依存する。
そんな姿勢では、競争社会の中で淘汰されるべきです。


一方、単独の自治体として、力は有限です。
特に歳出面。

高齢者や生活保護受給者を多く抱える自治体ではその分歳出が重くのしかかり、財政を圧迫するように思います。
その中で、現金給付などできる余裕はあるのでしょうか。


以上の文脈で、地方自治体にとって自助努力に限界があるよう思います。

隣の市ではもらえるお金が住んでいる市ではもらえない・・・。

じゃぁ引っ越せば?
そんな話じゃないと思います。

住民は、どの市がより良いパフォーマンスをしていて、住むと得だから住む。そんな意思決定をしているのでしょうか。
聞いたことがありません。
そんな暇ありません、余裕ありません。

駅に近いから、スーパーあるからそこを選ぶもんだと思います。


よくポジティブに語られる単語、”地方分権”。
でも一方で、このように、反面、不平等を産む装置にもなっているように思います。


僕は考えます。
地方分権なんて、幻想である。
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サラリーマン というリスク

コロナウィルスによる経済への影響が顕著になってきました。

僕も、保有している株の状況は、孫正義氏風にいうと、「真っ赤っか」ですw

まぁ日本経済に対する期待は置いといて、今日のテーマは”サラリーマン というリスク”です。

一般的に、大学卒業して一流の企業に就職して年功序列終身雇用。安定した身分のもと、退職後は年金生活。
これが日本人として植え付けられた”登るべき階段”としての価値観じゃないでしょうか。

今も、就職人気ランキング1位は国家公務員です。

世間体としてもこれ以上なく、誰しもが頷く身分。
確かに、僕もそう思います。


一方で、僕はその就職人気ランキング1位である国家公務員から転職を目指しているものです。
いわゆる、中の人。
中の人としての立場から、はたから見たら確かに羨ましいかもしれませんが、必ずしもいいことばかりではないことは、無いことも知ってほしいという思いがあります。

国家公務員自体のやりにくさ。
ってのはまた次の機会に書くとして、今日伝えたいことは上記のとおりサラリーマンというリスクです。


まず、なぜ、サラリーマンがリスクか?
結論から言うと、それは、組織で努めている以上、代替性が効くからです。

(この文脈での今日のブログなので、サラリーマンでも国家資格を持った専門職は対象外となります。
いわゆる営業マンであったり、経理事務だったりするサラリーマン。それが今日のブログの対象です。)

代替性。
そう、組織は”属人的”を嫌います。

いかに非属人的な仕組みを構築するか。
それに徹します。
それが効率化につながり、ゴーイングコンサーンを導きます。


代替性が効く企業にとって、人は交換可能です。
でも、これは昔からそうだった。
何故、今、こんな”サラリーマン というリスク”について言及しているのか?


その答えは、「一発アウト」の社会になってきたからです。

いわゆる刑の厳罰化。

もちろん、僕自身が悪しき行為を許すわけではありません。

ただこの世論の中、これ以上、犯した罪に対しての刑の適用が緩くなる余地はないように思います。
厳罰化は、進みます。
懲戒免職も、増えるでしょう。

一発アウト。

働いていた会社を前提として人生設計をした人は、途方に暮れます。
免職でなくても、今は罪を犯すと場合によっては実名報道。

これは、社会的抹殺を意味します。

一発アウト。

こんな、世の中になってきました。

僕は、この流れが非常に怖いです。

なぜなら、誰も間違えない。
過ちを犯さない。
考える”葦”である人間の本質と異なる制度を作ろうとしている。
そこに強い違和感があります。

言わば、”魔が差した”ら、”終わる”世界
そんな未来を、皆で作ろうとしています。

一方で、市民の生活は終身雇用前提のサラリーマンを対象として設計されているように思います。

僕は35年ローンを払う人の気持ちがわからないのですが、家を建てたとき、一般的に、日本人は35年ローンを組みます。


そして、毎日のようにニュースで見かけます。
60歳を直前にして盗撮等で逮捕されて懲戒免職される公務員。
あるいは犯罪を犯して実名報道されて依願退職する人。

①刑の厳罰化。
②SNSの普及で一つのニュースが拡散され、実名報道がなされなくても逮捕・起訴が本人にとって致命的となり、社会的抹殺を意味することとなった。

この2点を理由として、再度言います。
サラリーマンは、リスクです。
学生に向かって、とりあえず、大企業のサラリーマンあるいは公務員を目指すのは、辞めたほうが良いです。
それは、リスクに他なりません。

多分、これから一番需要が出てくるのはプログラム言語を駆使し、AIを作れるような人間、あるいはそこまでじゃないけど、システムエンジニアだと思います。

ほかは、専門職です。




自分の子供が将来公務員になりたいと言ったら、全力で止めるようにしたいですw

そして何年後かに、もしそれを言われたとき、公務員を辞めて転職先で弁護士としてある程度の実績を積んで、子供に説得力をもって否定できるようにしたいです。



パパのように弁護士になりたい、そんなこと言われたら、なんて思うかな。。。



なんて想像をする暇があるのなら、勉強しろ!
はい、その通りですw
今日ももうちょっと、頑張りますw


個人の価値観及び労働環境の変化

人の価値観の変化により社会も変わっていく。
歴史の流れです。

そこで生き、働く人にとって最善なシステムが社会の上に成り立っているはずです。

この意味で、人の価値観が変わると、社会の仕組みも変わっていくことは自然です。

今日論じたいのは”残業制度”。
遠くない未来に、この1時間あたり何円という制度は今と多少違った形に変化するように思います。

残業制度。
働いた分、もらう。
ノーワークノーペイの原則を反対からみて、働いた分はもらわないと、一般的に法的にも違法となります。

通常、時給換算し、例えば1時間あたり2000円とか、働いた分、支給されます。
5時間働けば10000円。単純な計算ですね。

僕は、この仕組みが変わってくると思います。
理由:働き方に対する価値観が、変わってきていると思うから

具体的に書きます。
昔は、サラリーマンにとって”会社が居場所”でした。
そこでみんなとたまには喜び泣き、時間を共有しあって会社を支える。
それが、昔ながらのサラリーマン像でした。

でも、今は違ってきています。
飲み会に対する意識も顕著でしょう。
「できれば行きたくない」
「会社の行事にはあまり積極的になれない」

そういう、言い方としては難しいですが組織である会社とドライな態度である若年層は、多いように思います。

僕自身、飲み会にはよっぽどでない限り、いきませんw
3,4時間で4000円。単純に受験生の身分として、コストパフォーマンスが悪すぎるからです。

同じように、こんな考え方でいわゆる体育会系的な付き合いは、減ってきているように思います。
泊りでのイベントとか、週末のゴルフとか。
会社を居場所とする人は、少なくなってきたのではないでしょうか。


そんな人たちにとってみれば、生活残業をしないといけない人たちはおいといて、職場からは早く出たいのも当然です。
勤務時間前ギリギリに出社して、終了直後に退社する。
法的な問題は、何もありません。
それが許されつつある。
それが、今の仕事に対する価値観の変化でもあると思います。


政府としても、ワークライフバランスだとか、プレミアムフライデーだとか、ノー残業デーとか、いろいろな形で私生活の時間を積極的に確保するよう、促しているように思います。

この風潮は、進むとしても、逆行することも、ないと思います。
なぜなら、正論だから。

今までおかしかったものを、徐々によくしよう。
正論。
これがまかり通るのが、理想とする世の中。
それに進んでいる以上、その進行が戻ることは、ありません。

目を光らせて、SNSを通して世論が企業をチェックしています。
一つでも過ちを犯すと、あっという間に晒されて炎上。
リスク管理としても、社会の流れに逆行することは、会社の判断として困難でしょう。





その結果、どうなるか。
早く帰りたい、社員。
無駄な仕事をするのをやめ、積極的に効率化を図り、最低限度の労力で最高のパフォーマンスをしようと試みる。
前任者のやってた無駄な仕事を省く。
業務の見直しで残業時間を削る。
残業時間は、減ります。
そして、気付きます。

『この、とりあえず残業すれば金貰える制度、おかしくない?』

僕は、個人的に大いに問題意識があります。

必死に考えて短時間で確実に機械的に成果を出せるような仕組みを整えて、残業時間も減った結果、給料は減るのです。

単純に、おかしくないですか?

これはボーナスなどで反映させるべきだ、みたいな意見もあると思いますが上司がそんなところまでみてると思いますか。
みていたとしてもどうせプラスされるのは2,3万?
生活残業している人たちのほうが、よっぽど稼いでいます。

ちなみに生活残業とは、「残業代をあてに生活費を稼ぐことを目的」した残業です。
やらなくていい無駄な仕事に時間をかけてダラダラと行うことです。
何ら生産性を意識せず、自分の給料のことのみを考えてする残業です。

僕は、これが嫌いです。
一秒でもいいから、早く帰りたいと思っています。
家には子供と妻が待っていて、勉強もしないといけない。
残業なんかしている余裕はないと思っています。

問題は、今の制度、サラリーマンの年収も生活残業ありきのものになっていることです。


公表されているサラリーマンの平均年収は、もちろん残業代込みです。
すればするほど、稼ぐことができます。
それが、客観的にみて無駄といえ、不要な仕事でも、残業とみなされるなら、個人の収入となります。

このように、残業をあてに、仕事している人は多いです。
定時前に仕事がふってきたら、目を輝かせる人がいますよね。
その人たちは、いかに定時で切り上げるか(このふられた仕事は明日でなんとか対応できないか)を考えずに、
いかに残業するかを、考えます。
その結果、それを起点として周囲のものたちも、振り回されます。
何らGDPを高めていない生産性のない行為に給料が支払わている。
これが、日本の労働の限界だと思っています。
この無意味な時間に給料が支払われないとなると、だいぶGDPも低下するでしょうか。
ただそれが正直な数字です。労働生産性の現状を、真剣に考える必要があるように思います。



制度上問題があるとして、そのプレイヤーであるサラリーマンにとっては結果として、残業制度が適用されない職種を求めるようになります。
言わば、独立する。
自分で生計をたてること、
何かしらの食える資格をとって、自分の力のみで稼ぎ、残業代という概念に支配されない環境に身を置くこと。

(ちなみに僕が弁護士になりたいと思っている理由の一つは、これです。)



もう一つの方法は、残業制度をなくすこと。
費やした時間で支給するのではなく、職務の質に対して支給する。
例えば係長でどれだけの仕事をしているから相場としてこれくらいだろう、って。

これはもちろん問題があります。
その相場の妥当性について。
客観的に測りえるものでない以上、相対的に決めるしかないようですが、公平の観点からも不満は色んなところからでてくるように思います。

ただ、この仕組みを採用する企業は、増えてくるように思います。

いつかは、”働いた時間だけ稼げた”残業制度が、古きものとなって遠い昔のように感じる。

そんな未来は、あまり遠くないようにも思います。


いずれにしろ、必死に考えて業務にかける時間を短縮し、また勤務時間中もミスにより二度手間にならないように集中して最低限の所要時間で成果をあげた職員が残業代が支給されないので年収が低くなるという制度は、理不尽と思います。

個人の価値観及び労働環境の変化。
”質で評価される”

そんな世の中が、来てほしいものですね。





排除 と 承認

最近気づいたのですが、朝日新聞の「天声人語」。
最初の一行を読んだだけで、そのコラム全体を通しての言いたいことを想起できる人が、本当に頭がいい人だと気付きました。
以上、最近気づいたことでした、唐突にすみませんでした。


ちょうど5年ほど前ですが、こんな記事をかいています。(クリック)

あまり記憶がないですが、いつも泥酔しながら稚拙な文章を書いているところ、結構真面目に考えて書いているようですw

この過去の記事の紹介で、これだけで何が言いたいか分かった人は頭が良い人だと思いますが、
今日のテーマは京アニ放火の事件などについてです。
平成以降最悪の放火殺人事件と言われています。

これに関連し、川崎で起きた、通り魔殺傷事件が起きたのはわずか2か月前です。

一人の犯人が、罪のない犠牲者を複数殺害した、という事件で共通しています。

両者も被害が大きいだけでなく、たった一人の犯行であり、さらに特定の者に対し行われた犯行ではなく、
ある意味で無差別テロです。

ヤフーのコメント欄にも、多数の書き込みがあります。
一番多いのは、「犯人が許せない」というもの。
「ぜひ犯人には厳罰を!」

確かに感情としてはその通りです。
ただ、僕は不思議です。
「なんでこんなに他人事なんだろう」



まるで犯人が”突然変異”して生まれたかのような言いっぷりで、皆でたった一人の犯人に感情をぶつけあって、
それが「正義である」という空気が蔓延している。

皆で、必死に自分たちとは異次元にいる異物を排除しようとしている。


他人事で終わらすことができるのでしょうか。

極端に言うと、加害者である犯人を排除したのは社会であり、それが意味することは、間接的であろうと社会を構成する私たちが
排除したにほかならない。
そう考えます。


最初に紹介した昔の記事を引用します。

”元々「社会から外れた人」たちがいて、それを僕たちが認識するのではなく、
僕たちが認識するゆえに「社会から外れた人」たちが生まれていく。”
”人から認識されることでその枠組みが出来上がり、及びそこに属していると捉えられている人間が自らをそうカテゴライズする上でそのような階層が出来てしまった”


「社会からその関係を断ち切られた」
人がそう考えるとき、自分は排除されたのだとその段階で自覚します。
結果として誰かの救いがなければ、その自覚は嫉妬、妬み、恨み、怒りに変わっていき、いつしか社会に対する不満として、
限界を超えます。

その際の怒りの対象は、特定の誰かではない。
自分を排除した社会そのものです。

事後的に言及できるとすれば「モンスター」の誕生の瞬間です。



僕は、勧善懲悪という言葉が嫌いです。
悪が在りきのこの言葉。
悪を生んだのは何だろうって話。


人を排除するのは、簡単です。
例えば会社でもいきなり何をしてくるかわからない人、考えていることがわかならない人がいれば、距離をあけたくなります。

小さい頃から言われますよね。
危ない人には近づくな。
これはその通りです。


僕が言いたいのは、危ないから排除されるわけではなく、「あいつは危ない」が本人を含め周囲の人たちが認識し、それが共通の理解となって「あいつ」を締め出す。「社会から外れた人」たちが生まれていく。排除される。

排除されるというのは、客観的に計測可能な物理的なものではなく、この本質は”本人の主観”にあると思います。
一つの誰かからの承認。それが排除を阻止する。


今回の事件に限らず、犯罪を犯すことは咎められるべきでしょうが、今のヤフーコメント欄のように、
脊髄反射で加害者攻撃をするのは、よりこの排除を促すだけではないでしょうか。



少なくとも僕は、僕たちが構成している社会の中で起きた事件は、単純に他人事とみなすことはできません。
「犯人には厳罰を!」のような発言は、僕にはできません。




ネットを介して人の意見が可視化できる現代では、世論はあっという間に強い力を持ちます。
と同時に、排除を容易に肯定する、そんな社会では、間違いなく、また同じような事件が発生すると思います。


排除を阻止するたった一つの誰かの承認が、非常に貴重になってきました。

経済格差は拡大する一方で、核家族も増加しています。
構造的に”排除されやすい”社会になってきている。
だからこそ人と人とを繋ぎとめる承認という行為に、今まで以上に価値を見出すべきです。

元号が令和になってから、社会的にも大きな影響を与えた悲惨な事件が、早くも2つ起きました。
そして、上記の理由から、何も対策をとらなければ、このような事件は続けて発生する可能性は、低くないように思います。



こんなに僕が必死に考えるのも、ある意味、自己保身のためでもあります。
なぜなら、無差別で人に危害を加えるモンスターが自分の家族・友人に手を出す可能性は、0でないから。
家族の身に何かあることは、何があっても避けたい。だから必死に考えるんです。


そして、こう思います。
そうやって他人事で考えているけど、いつ自分の身に降りかかってくるかわからないよ?って。

みんなが生きやすい社会にするには、みんなで作っていきたいね、と。

なんか、本気の自分をみせるのって、恥ずかしいですよね。

スマートに、クールに生きたいですよね。
何事も巧みにこなせる。
なんでも、ある程度できて、それを難なくなやってみせる。

まるでアニメの主人公のような、そんな生き方は、かっこいいですよね。

たくさんの人たちがそのような”スーパーマン”にあこがれているからこそ、
僕は逆に必死で物事に取り組んでいる人に対して凄い尊敬します。


あからさまに必死で一生懸命で、がむしゃらで全然クールじゃなく、
だけど芯の入った強い人。

そういう人に対して、素直にかっこいいと思います。


誰しも成長する過程で怒られたり失敗してきているわけです。
誰も、失敗なく何でもできるようにはなりません。

でも、なぜかあたかも”最初からなんでもできるようだった人”が称賛されるというか、憧れられて、
泥にまみれて成長した人より良く見られがちじゃないでしょうか。

でも一方で、
昔書いた記事 でも
”のぞきみ社会” って言ったように、人の魂こめた思い、気持ちってのを眺めたがるのはこれまた日本の国民性のような気がします。


「あ、やってるやってる。」
って感じの気持ちで、人の本気に触れるのが居心地良い。

決して自分の内面はさらけ出さずに、巧みにこなしながら、せっせと”のぞき見る”。


確かに人の努力は見ていて感動しますよね。

こんなことやっているんだ、こんなこと考えているんだ、
次は何するんだろうって。


でもある意味”のぞき見る”ってのは、評価されるのが怖くてそれから逃げているのではないでしょうか。

「他人を評価する」ってのは、とっても気持ちがいいです。

社会の中であなたはどんなことをしていて、素晴らしいことをしているね。
だけどその考えは少し違和感あるよなぁ。

とか。

だけど、評価されるのはとても苦痛です。

というより、ほめられるのは誰しもうれしくて、評価の背後にある非難が怖いのだと思います。

非難からの逃避。
とても合理的です。

非難されたくなかったらされるような事をしなければいい。
SNSでも何も発信しなくていい。
社会人としてあるいはフリーターとして最低限のことされやってれば非難はされない。




つまり、僕が特定の人をかっこいいと思うのは、非難を恐れず、魂込めて自分の目標を目指すその姿勢、その生きざまに対してでしょう。
普通だったら誰からも非難されないところ、みずから発信していくその姿勢。


僕は、このブログに自分の魂をこめているつもりです。

逆にいうと、この場所がなくなれば、僕はもぬけの殻になるでしょう。
それくらいの場所です。


ずっと昔に抱いた”やってやる”っていう気持ち。

初志貫徹、ではないですがその気持ち・想いを忘れずに、日々モチベーションを持続して、毎日を過ごせればと思います。


プロフィール

WIPA

Author:WIPA
司法試験予備試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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