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想いを記します

書き始めてから日付は変わっちゃいましたが、昨日4月29日は、僕の思い出の日でもあります。
ブログのURLに0429という数字が入っているように、このブログを書いていく上で、書き始めた時の想いが消えないようにとしたものです。
想いが消えないように、気持ちを記したいと思います。


平成24年4月29日。
8年前の昨日。
僕にとってある出来事が起こりました。

結果から言うと、それは国家公務員総合職試験の、不合格の日です。

高校受験もそこそこで、大学受験もそこまで勉強した記憶がなく、生まれて初めて、必死に勉強して、本気でぶちあたってダメだった。
本当に受かりたいな、と思って勉強して、なりたい職業ができました。
憧れました。

でも、ダメでした。
全く力及ばずでした。
挫折した日です。


厳密にいうと、もちろんチャンスはその1回きりではないので、諦めたという感じではありません。
ただ、なんとなく結果がわかっていて、でも本気で勉強してダメだった。


今の僕を作っているもの。
それは、その勉強の経験に強く影響されているように思います。


このブログの真の意図。
それは、この結果に腐ることなく、自分を高めて、自己研鑽して、目標に向かって頑張れよって、そういみ意味で、書き始めたものです。
だからこそ0429をブログのURLの一部に設定しました。

「このままで、終わるなよ」


そう、自分に言い聞かせたかったんだと思います。


気が付けば、決意の日から8年がたちました。

8年か。
長い。
だけど、決意が形になって実行されるには、ちょうどいい期間のような気もします。


自分は何がしたいのか。
何を求めて何を考えてどう行動するのか。

その理念も、このブログに記し続けてきました。



このブログも7年半以やっていますが、僕は多分継続することが、苦にならないタイプなんだと思います。
最低月1回の更新は行っていて、書き続けることができています。
全然、つらくないです。

ただ、本を今は読んでいないから、書くネタにどうしても困る。
それはあります。



司法試験合格を目標とする受験生としても、4年前にこんな決意をしてからちゃんと勉強は継続できています。



僕の思いを、消したくない。
あがいても、もがいて、たどり着いた着地点。


このブログは僕の魂を綴っています。

僕の想いが消えないように、こうやって記していきます。


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SNSって

SNSの役割は、社会において非常に重要になってきました。
ときにマスコミ以上の強い力を持ち、民意の形成という観点からも政党以上に世論を吸い上げて国会に影響を与えるツールになったといえると思います。

昨今の自粛モード。
在宅勤務・リモートワークが推奨され、一人で仕事をすることが多くなった人々は、必然的にSNSを閲覧する時間も増えます。
人とのリアルな会話ができない分、ソーシャルの場で、絡み、共有し、承認しあうことを求めあいます。
その結果、例えばTwitterをみても、リツイート数、お気に入り数が尋常じゃないことに気が付きます。
皆どこに行き着くか、どこを頼るか、その目的地がSNSである時代になったといえるような気がします。

ただ、SNSも万能じゃありません。
一番顕著なのは、”デマ”の拡散のパターンです。
虚偽情報が、無秩序に拡散される。それほど怖いことはありません。
それが一番おそろしいことは、虚偽情報の生産者が、ときにその情報が真実だと思って発信していることです。

例えば紙(トイレットペーパー、ティッシュなど)が品薄になるって騒ぎ。
純粋な悪意は、無いように思います。
単なる思いつき。こうなんじゃないかな。
その程度の思いが、シェアされまくって危機的状態に陥りました。

何日も、トイレットペーパーが買えない状況は、本当につらかったです。
(本当に、欲しい状況にありました)



SNSは、万能ではありません。
ユーザーの質にかかっている。
そんな一言で終わらせたら終わりですし、閉鎖的なコミュニティにも限界はあります。

そもそもSNSは、既存のコンテンツを加工・付加してベターなコンテンツを産みだすツール。
それが一番の役割であるように、思います。

コロナ情報でもそう。
SNSの住人は、政府・自治体の正確な情報を待っているのです。
それに反応し、拡散し、意見を出し合い、世論を作っている。
そんな存在であるように思います。



役割分担として、やはり一次ソースの提供は、ある程度国・自治体に任せるべきではないのでしょうか。
もちろん任せきりだとSNSの存在意義がなくなるんですけど、僕の一番の問題意識は、
デマがまかり通る社会が怖い。 ってことです。
言ったモン勝ちではなく、それを検証・吟味する慎重な民主主義があればそれこそ最良です。
ただ、ヤフーニュースのコメ欄などを眺めるに、感情的な部分が多すぎるようにも、思います。



例えば政府のマスク2枚。
確かにこれは政府の失敗です。
国民に直結する問題。
待って、待って、これ。
これは憤りがあるように思います。

ただ、政府の中枢の役人、専門家たちが、必死に考えた結果がこれです。

費用対効果を分析し、優れたものの政策のひとつがこれです。


この検証過程を考えずに、感情的に「そんなもんいらんわ!はよ金!現金!」って反応してる人ほど、僕は少し怖く感じます。

「国民ひとり現金10万円」ほど、費用対効果を考えず、ポピュリズムに基づいた政策は、考えられないですよね。
冷静に考えれば気付くはずなんですよ。
何も被害を被っていない人に、自分が払った税金を与えるその意味を。


国が”感情”のみで動くとなれば、民主主義の成熟度合にかかっています。
結局のところ多数決のこの社会。


その多数決、世論を決める役割を果たすSNS。
今後の位置づけ。どうあるべきか。

僕なりに、考えていきたいと思います。

組織 で働く

組織で働くメリット。
それは「三人寄れば文殊の知恵」というように、知恵・思考を合算させることができる点にあると思います。
例えば決裁行為。
担当者の起案に対して、上司が経験則などから赤字で修正をいれていく。
結果出来上がるのは、決裁過程の人の知恵・思考を足し合わせたような、組織としてより良いものになります。


一方、例えば独立して一人でやるってことは、当たり前だけど全部チェックしないといけません。
ミスがあれば自分の責任。
組織の一員であれば、決裁権者がいる以上、担当者・起案者であったとしても、責任を直接負うことは少ないように思います。


でもここに、組織であることの短所も出てくると思います。
それは何か。
責任を、誰もとらないこと、とろうとしないこと。

まず、決裁過程の人は、そこまでひとつひとつ時間をかけて丁寧にみることは少ないように思います。
起案者も、結局は決裁者がいるし・・・と過去の前例踏襲で妥協して、決裁権者も、これだけの人数が決裁してきたのだから大丈夫だろうと、安心するわけです。



僕も比較的大きな組織で何年も働いてきたため、この現象は想像がつきます。

そしてこの文脈で、組織の一員としてあるべき姿は、「皆でより良いものを作ろう」とするその姿勢にあると思います。
要は、組織のために、ちゃんと考えること。

これは上述の決裁行為にだけ、あてはまるものじゃありません。
決裁過程で、「もっとこうすれば良いんじゃない?」って助言。
それは当たり前です。

それ以上に、
廊下で電球消えてたら放置しますか?
ゴミが目立つ場所に落ちてたら放置しますか?
トイレットペーパーがなくなりそうだったらどうしますか?

このご時世、マスクせずにずっと咳込んでいる人がいたらどうしますか?

結局、組織で働くってそういうことだと思います。


自分のことをやって終わり。
それは、組織で働く一員として、本当に最低限あるいはそれ以下です。

組織全体のパフォーマンスとして、最大限に発揮するために、何を自分はすべきか。

昔読んだ本でも「社長目線を常に心がけよ」というようなことが書かれている本があったように記憶していますが、その通り。
組織で働くうえでのキーワードは『補完』です。

自分の短所は補ってもらって、自分の長所を発揮して組織的に弱いところ自分が補う。
そういうもんだと思います。


そしてここからは私見を特に含みますが、
ここで一種の非合理的なメカニズムが発生します。

つまり、自分のために仕事をするのじゃなく、組織のために仕事をする。

利己的を超える利他的なパフォーマンスが求められる。
そう、思いませんか。

僕は大学生のとき居酒屋でアルバイトをしていました。
そのとき、強く感じました。

「時給」制度ってのは、サボったモン勝ちじゃね????



その頃からそんな思いを強く抱いていた僕は、最初から独立すべきだったように、思いますw
でも、結局そういうことなんです。

特に、日本のシステム。
終身雇用。
年功序列。

もう一度言います。
サボったモン勝ち
ではないでしょうか?



この問いに対する答えとして、自分なりの考えですが、確かに時給制はサボったモン勝ちです。
ただ、昇進・昇格制度があり、例えば800円から820円に時給上がる仕組みが構築されている場合、そうとも言えません。

これは日本の雇用システムでも同じです。
確かに完全な終身雇用、年功序列なら、サボったモン勝ちです。

しかし、ボーナスなどで意図的に評価を給料に反映させる仕組みを作っています。
そこで、一概にはそういえません。


だからこそ今日言いたいことは、
結局のところ組織で働く(働かせる)うえで一番重要なのは、各々の働くモチベーションを維持させること、それ以上に主体的に考え行動するインセンティブを与えること。
そうだと思います。


働くインセンティブ。
それが給料であろうと、福利厚生であろうと、あるいは忠誠心であろうと、かまいません。
一番確実かつ強力なのはもちろん給料です。


でもそれで差がつけられない以上、会社・組織側からしても、いかに社員がモチベーションを維持して働けるか。
思考させること、そしてそれを賞賛すること。
その繰り返しがいかに重要か。
この繰り返しで、組織はその形をなしている、そんなことも言えるんじゃないでしょうか。


このブログを読んでるなら、
属する組織に対して忠誠心はありますか?
働くモチベーションはどこから生じていますか?

自分ひとりでも、今以上のパフォーマンスはできないのですか?



身の回りの環境で自分の考えってのは左右される以上、たまに客観視することも必要であるように思います。

個人 と 組織、客観視してはいかがでしょうか。






類型化 - 思考 - 人間

複雑な物事をシンプルに考えること。
その過程で対象となる物事を類型化する。
共通因数でくくって抽象化して、差別化を図る。
それは「整理」する上でとても脳にしっくりくるやり方であり、誰しもが肯定する手法だろうと思います。

でも、このいわゆる「類型化」。
これを僕は100%良いとは思いません。
なぜなら、それが差別の対象となる可能性があるからです。


想像しやすい環境として、昔は今みたいに「心理的要因である症状」に対して研究は進んでいませんでした。
よって、例えば今でいう「発達障害」の症状を持っている人も、昔では”少し変わっている人”であったように思います。
少し変わっているけど、遊ぶ。
こんな人もいるんだな、と。
良い意味で垣根がなかったのが、昔でした。


しかし、今では症状が診断され、明確に症状が確定される時代になりました。
「あなたは発達障害」「あなたは自閉症」「あなたはADHA」のように。

これで良いのか、と思ったりします。
僕は素人です。
何をもってその症状と特定されるのかが、わかりません。
でも、精神的な病気は、身体的な病気と違って、周りからは見えないことがほとんどです。

「骨折した!」なんてわかりやすい病気・症状なくて、精神の病気に線引きをして、区別して、症状を特定する。

その過程に対して、違和感を持っています。
もちろん、何度も言いますが僕は医学の世界では素人です。
でも、端的に言うと、昔では少し変わった人だったのに、今では立派に病名が付され病人となって生活する人のことを考えたときに、それでいいのかと思ったりしているということです。

僕の意見を言います。
上述の過程(類型化)は、正常と異常の線引きをすることです。

異常者を区別するための手法です。
でも、周りから見れば”見た目は普通の人”なんです。


骨が折れた。
だから歩けない。
だからみんなでこの人を助けてあげましょう。
これはシンプルにあるべき姿だと思います。
個人の欠点を周囲で補う、共助の精神。
素晴らしいと思います。



でも、それが精神的な病気にどこまで適用されるのでしょうか。
僕が危惧しているのは、少しでも周りと違ったら、すぐに病名を付けられて、差別化される世界です。


類型化というのはものごとをシンプルに考えるための手段であるように、思います。
一方で、それは複雑怪奇な人の特殊性に対して思考を停止し、安易なレッテル張りをし続ける可能性も許容しています。



コンプレックスは、他人に対して打ち明かすようなことはしません。
でも、例えば世界中の人々に「自らが抱えるコンプレックス」を聞いて、1位だったものには、精神に異常をきたしているという意味で精神病認定されるのではないでしょうか。
そう思います。

結局は相対的な判断枠組みの中でカテゴリーを決めている、そんな話です。

ここまで考えて言葉にして、思いつきました。

ソシュールの、言語学。
シニフィアンとシニフィエの話です。

つまり、(名づけられた)対象があってからそれを見るのではなく、
そんな見方をすることによって対象の名前が決まる。

そんな考え方です。



同じですよね。
「人」がいる。
「変わった人」がいる。
その特徴・症状から類型化する。
病名を付ける。
彼(彼女)は病気である。




頭にとっては楽なこの類型化。
深く、長く考えることは頭にもしんどい。


だけど、こんなにシンプルに考え続けるほど、人ってものはできていないし、この世は複雑怪奇で満ち溢れている。
僕は、そう思います。


マニュアル ~育児~

僕は経済学部出身であり、需要と供給の一致や、価格メカニズムなどについてある程度勉強してきた(つもりです)といえます。
そして、ある程度の効率性を追求するようになった自覚はあります。
いわゆる非合理性・非経済的な事象は、基本的に嫌悪を抱きます。

無駄な会議。無駄な電話。無駄なメール連絡。無駄な資料。
全て、仕事をするうえでも虫唾が走ります。
本当に、結構イライラしていますw

効率化を図るためには、マニュアルの策定は必須といえます。
同じようなミスをする場合、後任の担当者が同じ壁にぶちあたると思慮される場合、同じ作業を繰り返す場合など、マニュアルひとつあれば、ミスも減らせます。

マニュアルがなければ、同じミスを繰り返します。
同じミスを繰り返し、詫びて修正する。その時間がもったいないと、思います。
その時間の損失に対して、強い問題意識を持っています。


だから、僕は自分で言うのもあれですが、マニュアルの策定はどこでもやってきました。
特に、なぜか原始時代のように、口頭伝承により作業内容が伝わる場合もありました。
そして同じミスをする。
何で、一番早くて確実なやり方を知ってるのなら、それを残さないのか。
それがとても不満でした。


マニュアルを策定するためには、”抽象化”が必要です。
同じミスに気付く。
早いやり方に気付く。他の業務との関連性に気付く。


そして、このマニュアル思考は、仕事以外にもあてはまると思います。

僕が考えたのは、育児です。

育児はとても大変です。
育児は誰しもが未経験な行為です。
誰しもが悩み、考え、苦労しながら育児をするものだと思います。

そしてママ同士で話をしたり、悩みを聞いたりして、一つ一つ乗り換えていくものだと思います。

個人的な感想になりますが、この部分についてマニュアル整備の余地はあるように思います。
要は、誰しもが抱える悩みだったり、皆が失敗している事例だったり、こうすれば良くなるよ!のような例の紹介だったり、情報を一元化できないのでしょうか。

一個一個ネットで調べて、色んなサイトを参照しながら解決方法を模索していく。
ネットにはなかった情報も、知り合いのママ友から教わって解決した、なんてことも少なくないでしょう。

育児で悩んだら、このサイトを頼りにする。
Q&Aが網羅されていて、様々な有効な解決策が掲載されている。

そんなマニュアル本的サイト、あったら便利じゃないでしょうか?

通常の生活をする上で、例えば車乗るときに調子おかしくて、じゃぁちょっとネットで症状検索して解決策探そうか。
なんてことはあると思います。
テレビでよくわからない表示が出てるときや、ちょこっとネットで・・・という機会は非常に多いと思います。

しかし、育児で発生する悩みは、あまりに大きい。
ちょっとした悩みではおさまりきらないように、思います。

そのたびに色んなサイトをちょこちょこ見て回る。
問題意識を明確に延べると、非効率です。

情報は一元化し、育児の悩みであればこのサイト!のような究極のマニュアルサイトを、作るべきです。
誰も作らないなら、僕がいつか作ろうと思っています。
司法試験受かって、子供たちも小学生になり土日に部活なんかしだしたら、その余暇を利用して仕上げる予定です。


ここまで書いて既視感を覚えました。
昔、同じような趣旨のブログを書いたことがありました。
これです

一つの仕組みで皆が救われる。
単純に、素晴らしいことです。それを実現したいと、強く思います。

同時に、この場所でパパと育児についても考えを述べたいと思います。
ワークライフバランスとかが叫ばれて、イクメンという言葉も一般的になり、育児休暇を某大臣がとるような、そんな社会になってきました。必然と昔よりかは子供と接する時間は増えてきます。
でも、パパも育児って結局何をすればいいのか、それがわからないものだと思います。

なので、僕の考えを示します。


まず根底に、男女での考えに違いがあることは、強く意識するべきです。
パパが良きと思ってやってることは、ママにとって何ら効果がない、むしろマイナスな側面もあるかもしれません。

一般に男は左脳で考え女は右脳で考えるというように、男は論理的思考を是とする側面があり、女は情緒的な思考を良しとします。
まず後世のパパに伝えたいことは、問題が生じたときに、問題解決のための提案をしないことです。
まずは十分、いや十二分に話を聞かないといけません。


一般に女性の相談というのは、解が決まっている。と言います。
自分で決めたうえで、その過程を共有したいから人に打ち明ける。そこに、新たな提案や問題解決の糸口は、そこまで欲していない。そんなケースが多々あるようです。
ママが相談してきたら、まずはたくさん時間をかけて聞きます。
そして、雑談程度に自分で考える解決策も提案してください。

特に育児を行ううえので夫婦の会話は、コンサルタントの提案であってはならない。
おばちゃんの井戸端会議を意識してください。
強く意識してください。


こんなことを言っても、「いや、俺は子供にミルクあげてるし、抱っこもしてるし、おもちゃで遊んでるし、風呂もいれてるし、散歩も連れて行ってる!」っていう反論はあるでしょう。でも場合によっては、ママにとって別にやらなくていいかもしれないし、もっと重要な点はあると思うのです。
結局頭に入ってきやすいのは、より数値化された明確な目標です。
そこで、3つの数値化された目標を示します。
①1日30分話きく
→今までの文脈で理解できたと思います。提案はしなくていいです。聞くだけでいいです。

②最低週3時間は一人の時間をあげる
→起きてから寝るまでずっと育児。想像を絶するつらさです。リフレッシュは必ず必要です。
育児を忘れる環境が、必要です。一人にさせてあげてください。
注意点として、ママに家から出て行ってもらったほうがいいです。
家でいると、結局家のことアレコレ考えてしまうようです。

③子供に対する100%の愛情ではなく、子供に対して50%・ママに対して50%の愛情
→上記の「俺はやってる!」ってパパは、この点で勘違いしやすいと思います。
子どもだけを見てはだめです。
結局のところ、どうあがこうと、育児の主体はママであることは変えられないように思います。
母性というものがあります。自分の身体から生まれてきたこの子を育てよう。
パパの子供に対する感性とは、まったく別のものであるといえるように、思います。

だからこそ、ママが子供に対してどう思っているのか、どんな悩みを抱えているのかは、常に把握すべきです。
そのうえで話を聞いたりとか、するべきように思います。
ママがその有する母性本能で100%の力をもって子供に接することができて初めて、夫婦の仲もさらに良くなると思います。
ここは勘違いしやすいパパが多いと思うので、一番重要でもあると思います。


以上。
全然整備されていない”パパマニュアル”。
必死で頑張る全国のパパに、エールを送りたいと思います。
手探りで何が正解かわからず奮闘する。
それがどれだけしんどいか、キツイか、ある程度分かってはいるつもりです。

と同時にもちろん、僕もこれから頑張らないといけません。

全国のパパ、頑張りましょう!!!
プロフィール

WIPA

Author:WIPA
司法試験予備試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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