雑感

最近は司法試験の勉強ブログみたいになっちゃってきているので、本来の(?)記事も更新していかないと。

こんなこと、考えたりします。

良くするって、何だろう。って。

僕は漠然と”僕たちが生きているこの世の中を、良くしたい”って思っています。

それが、僕にとって責任だと感じるからです。
ただ、それって本当にこの夜中にとって良いことなのかな?って、
ただの自己満足でしかないんじゃないか?って、
思うことがあります。

僕は何を根拠に何をやろうとしているのだろう、そんなことを思うことがあります。

そして、そんなことを考えているうちに、悪い意味で「普通の考え」ってのが自分の中に浸透してきたみたいで、
汚染されつつあることに気付きました。

話は変わりますが、最近必ず見るようになった番組があります。
僕はテレビを見ませんが、必ず見ています。
”プロフェッショナル 仕事の流儀”
NHKで、月曜22時25分から放送されてるご存知のあれです。

見てて感動する番組って、なかなかないですよね。
この番組が、今の僕の支えです。

少し前は、本田圭佑でした。
プロフェッショナルとは?との問いになんて答えたか?

「何言っているんだと思われるかもしれないけど、『ケイスケ・ホンダ』」って」答えました。
何かを成し遂げる人って、こういうんだってことを再確認しました。


さて、普通の考えって何でしょう。
”普通の”って言葉を使ってる時点で、間違っているのかもしれませんね。

前にもこのブログで書いたと思いますが、行き着く先は「承認欲求の対象」が分かれ目だと思うんです。

誰から自分の存在を求められたいのか。
身近な家族か、職場の人間か、別の見えない誰かか。

SNSでもフォロワーっていう指標があって、あれも結局はその人にとってみると「承認度」と捉えられるかもしれません。
YouTubeでは閲覧数。
Twitterではリツイート数。

自分の承認度を高めるツールってのが、ネットでは身近にあるんですね。

たくさんの人から認められたい。

人なら必ずしも思うことです。


僕自身、今は一般的なサラリーマンであり、職場の人間関係があり、家族もいるので、そういう意味では
承認欲求のベクトルってのは多方向にあります。

ただ、一番おっきなベクトルは、自分が今接しているどのコミュニティにも属していない部分に向いているような気がします。
(家族はのぞきますが)

それは、ハッキリとは言いにくい漠然としたものですが、『過去の自分』である気がします。
過去の自分、学生の頃、働き始めてすぐの頃、あれだけ「なりたい自分」ってのがいて、
それを裏切りたくない。
その意味で、過去の自分に対する承認欲求ってのを抱えながら生きてると思うんです。


なんというか、シンプルに、「〇〇がしたい」って言いきれるのって、
簡単そうだけど、一番難しいのかもしれませんね。










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本を読まないと。

久しぶりに更新。
久しぶりの理由は仕事がとても忙しかったとかそんなものではなく、
ただ積極的にこれ書こうあれ書こうとかいう気分になれなかった、それだけです。

振り返ってみるとこのブログは僕が社会人になってから書き始めてるので少なくとも月1の更新を5年半ほど続けているところですが、
やっぱり読み返してみると「エネルギー」の差がすごいですね。

『伝えたい事』を一気に解放するときって、頻繁にブログは更新されているみたいです。
自分の中での考え、検証、思考の整理。
まぁ書きたいことを書いている、そんな感じです。

ここにきて思ったのは、結局『伝えたい事』が出来るまでは、知識・情報→思考って経路を通るので、
結局のところインプットあってからこそアウトプットが出てくるということで、
そしてインプットってのは端的にいうと読書に他ならないような気がしています。

今の個人的な目標は司法試験合格ですが、それがゴールでは決してありません。
あくまでも通過点であり、生きる過程での一つのミッションです。

何回もこのブログで言ってきたことですが、思考をストップするときが、僕自身の終りだと考えています。
で、その思考ってのは読書から生まれるものであれば、逆にいうと本を読み続けなければいけない。

まるで義務のような言い方ですが、僕としてはうれしい限りです。
本は、大好きです。

たぶん、一番いけない状況ってのが「勉強やってるふり」の時間だと思います。
勉強しなきゃいけないから、読書中断。仕事も適当。育児、家事放棄。

そんなことしてると、意外に勉強にも集中できないんですよね。
優先順位を決めて、やることはやる。
これじゃないでしょうか。

限られている時間の中での生産性、効果を出し続けていく。

ちょっと、今の僕にはエネルギーが足りません。
昔の記事を書いているような僕に対して、凄い勢いだね、ちょっと分けてちょうだい、なんて言いたい気持ちです。


やっぱり人間だから、浮き沈みはあるものですよね。
結局いつもやるべきことをしっかりやって、淡々と勉強も進めていく。

今日言いたいことはこんなことです。
もっと考えて、もっと発信しないと。

最後に、お気に入りのフレーズで。

Open Mind , High Spirits












思考の対象

この問いにどう答えますか。

「何を考えるか」「思考の対象は。」

普段考えてもみたことがないこんな問い。
それはそうですよね、考える事って無意識ですから。

しかし、思考力ってのが有限である以上、ちゃんと向き合わないといけない問題です。

朝起きて、
今日は朝食何にしようかな?
歯ブラシどれにしようかな?
出かける前に時間あるから新聞でも読もうかな?
やっぱり本でも読むか?
今日の服装は何にしようか?
ネクタイは何色?
靴は?
鞄はいつもの?
ベルトはちゃんと靴とあってる?


例えば、これだけ朝から「思考」してる人っているでしょうか。

楽なのは「いつも通り」です。
いつもの朝ごはん食べて、いつものルーティンして、規則(着る順番)に基づいてスーツ選んで、行ってきます、と。

僕は個人的に、ルーティンに思考を使いたくありません。

ジョブズがいつも同じ服を着ていたように、
極端にいうと出来ればそれをまねしたいくらいで、興味がないことは思考力を使いたくないんです。

めんどくさいから?
その通りです。

そしてもう一つ、思考は有限だからと思うからです。

要は何を優先して「考えるか」。

逆に言うと「何で頭がいっぱいか」。

社会人って基本的に何かに追われていますよね。
その追われている対象がちっぽけでは面白くないですよね。

そういうことです。

もちろん、これは個人差があると思います。

毎日の生活こそが自分にとって一番大事であり、その場合は朝ごはんが思考の対象であっても全く問題ない。


ただ意識しないといけないと思うことは、
”無意識に思考する”
これがリスクってことです。

思考の深度をコントロールする。
どんな対象なら深く考えていくか差をつける。

じゃないと、”もたない”と僕は思います。

そして僕自身は
「司法試験に合格する」事だけをその対象としたい。

でもどうしても、朝起きて夜帰って仕事のことを考えちゃったりする。

僕の個人的な当面の目標は、ずばりココです。

完璧な受験生の脳にする。
勤務時間以外は受かることだけを考える。



って言いながら、もう短答試験まで90日。
この3か月が勝負。
何度も勝負って自分に言い聞かせてるけどw
本当に短答は受からなきゃ。

考えること、知ること

考えるってことは0から1というように、無から何から創りだし思い付くものではなく、
1+1で2を作ってたまに掛けたり既存のソースをつなぎ合わせるもの。って表現になるんですかね。

っていきなり何言うんだろう。
いや、少なくない本を読んでいますが、”ひらめく方法”的な自己啓発本や、何よりも個人的に思うのは現代の教育で”思考”って、文頭に紹介した最初の意味で使われていませんか。

誰しもができないことを求められるのは嫌います。
ましてや「ユリーカ!」的な閃く瞬間ってのは日常でまず無くて、それを強いられるような勉強の仕方は嫌になって当然でしょう。

日本の学生って「考える力」が足りないとたまに耳にします。
自分の頭で考える力。
暗記をメインにした記憶中心型で勉強しているので、自分の言葉で表す技術がない・・・というような文脈で批判されます。

その批判に対しては僕はまだコメントすることができませんが(研究不足です)、
独創性ってものに嫌悪感を感じている学生も多いと思います。

そんなん、思いつかないわ!って。。(僕がそうでした)


対処法、ではないかもしれませんが、
”考える””思考”って言葉自体をうまく使い分ける必要があると思います。

言葉を使って人は考える。
人は動く。
どの言葉を選ぶか、その言葉を出発点として思考の領域が変わり、全く別の解釈をすることが出来る。

以前こんな記事を書きました。→「政治について考えてみる」
政治を市民社会って言い換えてみよう的な、いかにも小手先な提案(!?)をしたんですが、
抵抗のある言葉をそのまま放置していればそこの距離は縮まらず、違う捉え方をする必要はあると思います。

「君たちはただ知るだけでいいんだ。世の中の理屈を。それを繋ぐときに、閃きが産まれる」って言われたらどんなに楽でしょうか。

よく知識と思考は対局に語られます。
ただ、事実という意味での知識は、思考の前提となっているものであり、僕は手段になっているとも思えます。

こういう意味で思考ってのは
知識の整理
って言えるんじゃないでしょうか。


創りだすって行為への抵抗感。
それは、何も天才的な閃きをしろってのじゃない。
A→Bを知っていて、C→Dを知っていて、
AとCの因果関係(相関関係)が分かったときに関連付けて理解する一種の論理的思考である、そう言えると思います。


多分、思ってる以上に”考えること”への抵抗感を持っている学生って多いと思うんですよね。

まずは声を大にして言いたい。
自己啓発本を捨てて、学問を学びましょう。

”空気”を読んで死んでいく

すいません、ちょっと過激なタイトルになりましたが・・・
今日伝えたいことはそのままで、”空気”を読み続けて死んでいく、そんな人生送りたくないってことです。



そもそも”空気”を読むって何でしょうか。
いい意味で場の雰囲気にあわせる。

悪い意味で自分を殺して流れに身を任すって作業のことだと思います。


社会人になって、組織の一員として5年ほど働いてきましたが、自分の性格として一つ気づいたことがあります。
「群れるのがイヤ」。そういうことです。

純粋に皆と同じ事をするのが嫌ではなくて、「結局生きていくのって独りだろ」って思うわけです。
皮肉とかじゃなくて、本当に仲の良い友人って言える人はいます。

今でも帰省すると必ず会う人。
距離がある中でたまに会いたくなる人。

通じるものがある人ってのは、やっぱり友人であるための条件だと思うんです。

逆に言うと何も通じるものがなければ友人にならない。
当たり前のこの理屈。

深く考えれば、そもそも”通じるもの”って何だろうって根本的な問を考えなくてはなりません。

僕が今日言いたいのはそういうことでなく、
また話もガラっと変わるかもしれませんが、

本当に楽しそうに生きてる人って、
成功している人ってのはある意味で「わが道」を歩いていて
群れるというより人物が集まってくるだけで、
この意味で個性豊かな人物像を想像してしまいます。


さらにはっきり言うと「普通の国家公務員」で生きて死んでいく人生は全く考えていません。
とりあえずなってみた。
でもあわないかも。
だから転職する。
簡単な理屈で司法試験を勉強している僕がいます。


同じ元国家公務員(同期)でありながら現役YouTuberの彼の更新を見ながら、
ふと「普通に生きるってなんだろう」「空気を読んで環境に身をうずめ続けるのって正解か」など、
色んな事を考えたりしました。


これだけは僕自身の個性です。

普通じゃイヤだ。


最低限Wikipediaにのらないとなぁなんて考えながら寝床につく者が普通の人生送ってて満足するわけないです。



幸運にも日本は資本主義。
頑張れば富を得れる。(まずそこ?w)

っていう冗談は置いといて、
やれば勝てる。
その舞台は整っています。



僕自身がこんな考え方だからこそ、
「変わった人」ってのを全力で応援したいのです。

”変わった” 普通、否定的にとらえられるこのニュアンス、
僕は社会を変えるのはいわゆる”変わった人”でしかありえないと思っています。


あいつ頭おかしいやろ、
それを誉め言葉にステップアップできる。
いい意味で学習→思考→評価 この循環で自分を高めれる人。


一番強いのは空気を読んだ上でぶち壊して、新しい空気を作る人ですよね。


普通じゃだめ、考えろ。

これが言いたかった一日でした。


プロフィール

WIPA

Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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