ビジョン、価値観、政治

選挙が始まります。
政治の話を深くするつもりはありません。

ただ今日は一つ。
皆さんは「どの基準で」票を入れる政党を決めますか。

それを決める過程で、一番理想的な形。
「今の日本にはどんな問題があって何を優先して解決していかないといけないから
その課題を優先的に取り組んでいるこの政策をしようとしているこの政党(人物)を私は選ぶ」

どれだけ、こういった意思決定をしているでしょうか。

そんな人はおそらく少数とまでは言いませんが、多くはないでしょうか。

メディア、SNS、新聞、色んな媒介を通して『空気』ってのが流れています。
国民はその空気に敏感に反応しながら、”世論”を感じ取り自分の選択をしている。
こんな流れになっているのではないでしょうか。

つまり、政治の世界ってのは国民の論理的な判断の結集によるその意味での「論理的な民意」ではなく、
時には直感、時には空気、何かわからないけれども「この政党にいれるべきだ」。
そんな”流れ”で政党を選んでいる人は、少なくないはずです。

カリスマとは、このような国民の流れる”空気”を敏感にキャッチするスキルがとても高い。
分かりやすくイメージしやすいキャッチフレーズ。
ある意味「ビジョン」を描かせたもの勝ちなのではないでしょうか。

特に日本のような「忖度」文化があるような国では、マイノリティは圧倒的に不利です。
しかし逆に言うと、そのマイノリティの勢いが「閾値」を超えた途端に世論はひっくり返り、圧倒的多数になる可能性もある。
ここに特殊な国民性を見出すことも可能だと思います。


ここまでの言い方はまるで「国民(有権者)は何も考えていない。バカだ」みたいな感じになってしまっているので弁解します。
もちろん確固たる自分の「価値観」をもってどの政党に票をいれるか選ぶ人ももちろんたくさんいます。

ある意味で絶対的な指標。
そこに理屈はなく”思想の違い”で政党を選ぶ人もいます。


・・
グダグダとなってしまいましたが、言いたかったことは一つ。
個人の論理的な判断は、直感的な判断・ビジョン・絶対的な価値観には劣る。
左脳でじっくり考えるより、右脳でパっと選んだものを最後には選ぶ。

「なんとなく」「なんだか」っていう意思が一番強い。

っていう仮説をいつかまた検証したいな、とか思いながら今日の記事を書きました。

昔もそれらしきことを書いたことがありますが、ロマンは論理に勝つ。
ビジョンあって、理屈は後付け。
そのほうが、人生も面白い気がしますね♪
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個人、人権、思想

思想の世界ってのは昔から興味があり、色んな本を読んできました。
そして法律を学ぶと、そもそも個人の価値観とは何かってのを、考えてみる必要があります。

思想の世界。
僕がまず不思議でたまらなかったのは「何をもってこの世界は対立しているのか」ってことです。
身近な問題、現代でも北朝鮮とアメリカだったり、イスラム国によるテロ攻撃だったり、
安全に暮らせる世の中ってのが幻想のようです。

この対立の根本的な部分は、個人的価値観の乖離にあると思います。
そもそも多様性が認められなければ社会ではなく、お互いを認め合い支えあい生きてきたはずです。

人間のコミュニケーションの本質は贈与、交換。
ギブから始まるのが人間関係。

個の繋がりが強く、個性を承認しあいながら生きてきました。
この意味でも個人の価値観つまりは人権は保障され、現憲法上も基本的な人権は「侵すことのできない永久の権利」として明記されています。

しかしこれも無制約ではなく、「公益」を理由に制約されることがあります。

土地の問題で考えればわかりやすいかもしれません。
ある個人が私道を所有し、管理しているところ、それを町道(市道)として使用すると皆のためになる。
公道となることは道自体を所有しているといえど、以降好きに使うことはできず、実質的に寄付するようなものです。

特定の個人の利益を犠牲にし、社会的な効用を増加させる。


こんな事例って実はものすごく身近にあって、逆にそれゆえにもっと考えていい問題なのかもしれません。

結局言いたいことは、
この『個人の人権と社会的利益』のバランスの差ってのが個人の価値観として表れ、
思想対立の要因にもなるのではないか、ってことです。


より個人の人権に着目し、社会全体よりも個人に焦点をあてようというのが「左派(リベラル)」であり
社会全体の効用を高めていこうとするのが「右派(保守)」である。

強引に整理するとこんな感じになるんですかね。
強引すぎるという自負もあり、現状の仮説とします。

ただ、「何を守るか」って核心なところは個人によって差があるのは間違いがなく、
それを認め合い場合によっては譲り合い分かりあう って仕組みはずっと変わらないものだと思います。


法律ってのが、このような国民の価値観を具現化する手段というのなら、
何十年後かには今には考えられないような法律が制定されているかもしれませんね。


法律の厳罰化、少年法の廃止論もよく目にします。
ある意味で、いずれも社会のために犯罪を行うような個人は隔離しろってものだとも思います。

ただこのような問題を考えるので一番重要なのは、「転換可能性」だと思います。
「あっち側の人たち」で終わらせない思考の深さ。
自分が「あっち側」に行かない可能性も0ではない。


法律が正当化される根拠は民主主義にあります。
僕たちで作る民主主義、僕たちで作っていく法律。

そして僕たちはどうあがいても「市民」であり「国民」です。

個人、人権、思想、対立。

究極なテーマ。
この答えのない問題の答えを、僕は生涯かけて追い求めていく気がしてなりません。

考える事、生き抜くこと

同じような日々を送っていく中で一番困難なのがふと立ち止まって自分を見つめなおすこと。
時間をかけて考えること。
そして逆に、静かな空間で頭をカラッポにすることだと思います。

多分そうでもしない限り気が付けば30歳、40歳、、、定年ってなっちゃうんじゃないですか。

そもそも「物思いにふける時間・場所」ってのが日本では少なすぎる気がします。
唯一の憩いの場(?)って言ったらあれですが、独りになれるのは通勤時間。
ずっとスマホを見て時間をつぶす。

それが当たり前の生活スタイルになっています。

でも意識して考えるってのは難しいんですよね。
このブログでも何度も言っていますが、やっぱり思考は止まっちゃったらそれである意味「ストップ」だと思います。
思考の継続。
これが、僕が日頃生活する中で一番意識していることです。

そして考えたんですが、結局”思考”を継続するために必要なものは 問題意識 じゃないでしょうか。
何かが引っかかるから違和感を持つ。
その違和感を言葉にする。
言葉にした瞬間、仮説が生まれる。

そうすると重要なのはその違和感の言葉への変換。言語化。

これがある意味で思考の出発点であるし、逆にゴールでもあるような気がしてきます。
つまり、考えるということが出来た、それはある意味目標達成しているということではないでしょうか。


ふとした違和感を脳にストックさせる。
そして少しづつ言葉を覚えて世界が拡がり考える領域が増えて、
その違和感が仮説に変わる。

その流れが「創作」であると僕は思います。
0から1を作る、というよりも数ある1未満の要素を足しあわせて1を思いつく


違和感を言葉にする。
そのアウトプットは日ごろから意識しないととてもできません。

今日も世界は平和ですか。
日本の未来ってどうなんでしょう。
自分の生活に満足していますか。

身の回りの環境でも「思考の範囲」ってのは変わってくると思いますが、
それが完全に自分内部での思考にならないように気を付けないといけません。

出来ることをやって社会に還元する。

難しいですね。
ただ僕はやり遂げたいと思います。

「クレーム」 の本質

僕がこの世で一番といっても過言じゃないくらい嫌いなもの。
それは車のクラクションです。

あれほど日常生活で不快な音はないですよね・・・。
音自体が、っていうよりも、「他人と他人との不満・怒りなどの感情を、第三者である自分に対してまで拡張させて伝えてくる」
その行為が気にくわないんですよね。。。

自分で言うのもあれですが僕は特に社会の平穏・世界の平和を願ってて(!?)
せめて自分の周囲はそうあってほしい(自己中心的)、
半径10mの皆さんはいいことあってほしい的な気持ちで動いているという自負自覚はあるのですが←
それを一瞬にして壊すのが車のクラクションですよね。

「二者間の負の感情を拡散させるな、いい迷惑だ」
っていうのが心底思う気持ちです。やっぱり関係ない他人である僕も、すぐそこで怒りあっている両者がいると思えば
楽しくいれるわけがないんですよね。

本気で危ないときに鳴らすのは仕方ないとして、注意喚起レベルで簡単に鳴らすドライバーは僕は嫌いです。
車自体が好きではないのも、そんな背景もある気がします。


・・・っていう長い長い前置きをして、僕が今日言いたいのは「クレームの本質」について。

例えばクラクション鳴らす行為。
これって一種のクレームですよね。

そもそもクレームとは、とか定義考え始めるとめんどくさいんで、単に「他人への不満を公表すること・伝えること」的な意味合いで解釈しときます。

広い意味で言ったらクラクション鳴らすのもクレーム。
今日の言いたいこと。
クレームの本質。
それは「責任感」だと僕は思います。


責任感、って簡単に言っちゃいましたけど、要は「(不特定多数の誰かに代わって)代表して、みんなのために言わなきゃならないことを言おう」っていう考えです。


そうなんですよね。
多分、電車遅延により駅の職員に汚いコトバ使っちゃう人も、受けたサービスに対し文句言う人も、送られれきた製品・商品に対し不満を言う人も、悪い意味でクレームを言ってる人(クレーマー)ってのは、「他人のためでもあると信じて、代表して行っている」と僕は思います。


僕も社会人5年位やっているんで、例えばレストランとかでも金払ってサービス受けているのにそれが全然ダメだったり、
全く客のこと考えていないような接客されたりすると、はっきり言って腹立ちます。そして僕はまだまだ未熟なので態度に出てりします。でもそれって自分のことだけ考えているんだけじゃなくて、「金払ってサービス受けているんだからそれはないよね」っていうある意味、社会的評価のもと判断してるような気がするんです。


クラクション鳴らす行為ってのもそうじゃないですか。
邪魔だどけ。
そんなことを言いたいがために鳴らしてるのではなく、「公道を走る運転手としてドライバー全員のためにも守ってもらわないといけないマナーがあって、それを君はできていないね」ということを伝えるためのクラクション。

代表して注意してます

って感覚。
どのクレームについてもこんなことは言えるんじゃないでしょうか。

そうすると結局クレームってのも、他者からの承認欲求を満たすという原理的な人間の性質のもと、生じていると思えてきます。


ネットが栄え、消費者の力が強くなったこのご時世で、クレーマーについて考えてみました。

誰しも”必死に仕事してる”なら、深く考えずに仕事をこなす人たちに不満を感じることは多々あるでしょう。
ただ誰しもが”必死に仕事する”義務はなく、自分のペースでゆっくり動いている人もいるんですね。
自分の価値観がすべてではない。
多様性を肯定するためにも、
皆で生きやすい社会を作っていくためにも、
自分への戒めとしても、
今日のブログを書きました。

何ができるか

学生が終わると、一般的にみんな社会人になります。
社会人というのは、今まで教育を受けてきた結果として「生産者」の立場にたつこと。
そういう言い方ができると思います。

そして、生産者として働いていくうえで、「何ができるのか」っていう視点が重要になってきます。

3つの視点。
「組織(会社)の中で何ができるか」
「組織(会社)は社会に対し何ができるか」
「個人として社会に対し何ができるか」
似たような考え方ですが、
特に3つ目は深く考えると全然違います。

属する組織(会社)を経由せずに、
直接社会に対して何ができるかを考えるものです。

一番わかりやすいのはボランティアとかですかね。
無償での労力の提供。
自分の時間の贈与。

自分が社会に対して役立っていると実感できる瞬間だと思います。



それに対し1つ目ははっきり言うと「井の中の蛙」的な視点です。
もちろん会社の中で自分の地位を高めるために、出世するために
仕事するってのは大事なことだと思います。

ただ、はっきり僕が否定したのは終身雇用・年功序列なんて仕組みは
これからどんどん柔軟に運用されるようになってくから。
簡単にいうとなくなっちゃうってことです。
いろんな企業を見てるとよくわかりますよね。

国際的に競争しようとすると、必然と雇用ってのも流動的になっていくものだと僕は思います。
最終的に力のある企業には、価値を高めない人材はいません。

ってこういうことを今日言おうとしているのではなく、
言いたかったのは

いつかは
”会社”の働き方も変わってくるので、
「組織(会社)の中で何ができるか」
って視点よりも常に
「組織(会社)は社会に対し何ができるか」
ってのは意識して
結局それってのは
「個人として社会に対し何ができるか」
を意識することに他ならない。




ってこんな事を書きながら
思いついたんですが、以前こんな記事を書きました

個人の責任感、主体性について。
今でも、これから
社会を支えていくのはこの2つになると思っています。


思いついたことってのは、
「そもそも社会を変えられる」ってことに気付いていない人が多いじゃないか?ってことです。



いや、無理なことは誰もしようとしません。
よってそんなこと考えやしません。

社会って僕たちでよくするんですか?
誰かがしてくれるんですか?

今まで変えてきた人って、”個人”ですよね。
つまり誰でも変えれる、よくすることができるんです。




最後に・・・
ここまで語ってきた文脈で理解できると思いますが
僕がメディアとかがたまにする嫌いな質問(インタビュー)があります。
【あなたはこの先社会がよくなると思いますか?】

なんだその他人事w
って思いません?


もがきながらあがきながら
みんな生きてる。
必死なだけにたまに誰かを傷つける。
それを許せるくらいに肩の力を抜いて。
お互いを認め合うことができる。

それは皆で作っていくことです。
僕もそれができると信じています。

プロフィール

WIPA

Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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