問題意識をもって生きる。

問題意識をもって生きる。

この社会はまだよくなる。
幻滅したことも期待が裏切られたこともなく、なぜならこれっていう行動を起こしたことがなく、
しかし何となく、言える気がします。
「この社会は、まだ捨てたもんじゃない。まだ、僕たちの力でよくできる」って。

僕自身を支配し続けている曖昧な感覚ってのは、一言でいうと「問題意識」になるんじゃないかなって思いました。

ちょっと哲学的な問い「何のために生きるのか」を考えてて、いや違うな、そんなの分かんないや、
問うべき問われるべきは、「何をもって生きるのか」じゃないのかな、なんて仮設を思いつき、
それって結局究極的には、「何の問題意識をもって生きてくのか」って問いになるのかな、なんて考えました。


「何のために」 と 「何をもって」 は似てるようで、全然違いますよね。
そもそも、「何のために生きるのか」って問いは、ずるいですよね。
答えは「産まれてきたから」になるのに決まってるし、そもそも人って何か目標を達成するために、
産まれてくるものなんでしょうか。
僕は違和感を感じました。
じゃぁ何をもって生きるのか。

これは、訪ねたいです。
そこら中の人に。


何にお金を使いますか。
休みの日は何をしていますか。
趣味は何ですか。
では、何をもって生きているんですか。

自分の信条はどこにありますか。
自分の魂は、光ってるって言えますか。

っていう問い。
「あなたの問題意識はどこにありますか」。


でも本当に今の社会に満足で、満ち足りた生活をして、充実した日々が送れていて、何の不満もない。
何の問題意識も持ちえない。って人もいると思います。

僕自身も、満点とは言えませんが、それなりに身の回りの環境には大いに満足しているつもりです。
ただやっぱり、自分のことだけじゃなくて、社会全体でこれでいいのかって考えると、どうしてもyesとは言えない。

自分が身を置くコミュニティとは全く別次元の場所で、何かに怯え、怒り、悲しみ、明日に絶望する日々を送っている人がいる。
その事実だけで、僕は他人事とは思えません。
ただ、何ができるかっていうと、まず何が出来るか分からないし、そして知ったところでそれを実行する行動力があるか分からないし、ただ思考しているだけです。
共感しているだけです。想像しているだけです。

社会的問題を解決する○○な人!ソーシャネルビジネス!ボランティア! って活躍してる人たちが取り上げられますが、はっきり言って、あの人たちはスーパーマンに近いと思います。誰もあんな行動力なんか持っていないと思います。
だから、等身大の、自分のできる事ってのは、こうやって少しでも考えて、学んで、考えて、学んで、考えて考えて考えて を
繰り返すのがまず一番だと思います。


僕自身、大学生活は底辺のようなもので、学ぶって何?って状態でした。
僕みたいな人はきっとたくさんいると思います。
最上位層の人たちは、学生中に起業してボランティアして難関資格取って・・・
それに対し、大多数のそれ以外の人たちは何が出来るんでしょうか?

生きてくうえで、問題意識を持つこと。
当時の自分には、この重要性を伝えたいです。

問題意識がなければ、まず行動が伴わない。

社会って、まだよくなるよ。
それは決して他人事じゃなく、自分たちで作り上げていくモンじゃないかな。

なんてことを、今あの頃の自分と同じように、「何かをしたいけど何すればいいかわかんない」若造に、教えてあげたいです。

個人の抱える問題意識、それで社会はきっとよくなります。
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経済学で学んだこと

今法律家を目指してはいるところですが、僕はもともと私大経済学部の卒業です。

なぜ経済学部かというと・・・なんとなくって感じです。
偏差値的に、こんなもんか的な発想で、そのま4年間、経済学を学びました。
大学生の時はずっと遊んでて、本当に経済学を勉強してのは大学3年生の終りからです。

ただ、勉強にハマってしまってからはずっと図書館にこもって、ずっと本読んでました。
今でも衝撃を覚えてるのが、『ヤバい経済学』『人は意外に合理的』、この2冊を同時に読み終わった感覚です。

前回の記事でも、
人の合理性について考察したみましたが、そもそもの考えのスタートがこの本たちです。

何をもって合理性とするか、何が合理的なのか、
本当に、どっぷりハマった2冊です。

この2冊から「人の行動」に興味を持ち、社会学を(もちろん独学で)勉強し始めたのが4年生になってからw

まぁ色々ありましたが、やっぱり学問の本質は、「学んで考える」って人間の素晴らしい特性を顕著にしてくれる、
最高の手段だと思ってます。



ちょっと脱線。
まぁ例えば今も僕は法律を少なからず扱ってて、そして法律家のプロを目指そうとしてて、経済学って、どんなところでいかせるのか。何を学んできたのか。


私大経済学部を卒業して、法律を学んでる人がいれば誰しもが思いつく質問だと思いますが、これについて考えたいと思います。

そもそも、僕が考える経済学の特徴は・・・

『人』個人への着目 です。


社会科学の中で、ここまで「人」単体に着目した学問は無いと思います。
例えば
社会学は「社会を人のつながり」について、
文学は時代と環境、そして人と文体について、
政治学は社会と政治について、
行政学は国家制度とその限界について、
哲学は『何を持って生きるか』について
そして法学は・・・法体系の理解と価値観について、
学問を学べば多様な考え方が身に付きます。

ただ、それも「制度論」だったり「社会単位」での理論だったり、
人間の個性に着目してる学問、というよりも人間の個性を研究対象としてるのはやはり経済学だと思います。


上記の、僕が読んで電気が走った(!?)2冊も、そういう本です。
インセンティブについての研究。
人の意思決定回路の検証。
それが経済学の本質だと思います。


マクロ経済学とか、ミクロ経済学についても、特に公務員試験を勉強する中でいやというほどモデルについて
勉強してきたけど、そもモデルの前提となる「人」個人、単体。


「何でそれを選んだのか」
この質問をできるのは経済学だと思います。



特に弁護士は個人の人権保障を擁護するっていうのは使命の一つです。

経済学を通して「人」に対する着目の重要性を学び、人の”思考”について考え、 commit , connect の大切さを知り(過去記事)、ダイレクトに繋がることができる。


経済学と法律・・・どんな関連性があるのか。。。
両者を『人』っていう共通因数でくくってあげて、
前者はプレーヤーそのもの、後者はステージ。
そんな事が言えるんじゃないでしょうか。



うーん。このよくわかんない感。
まだまだ思考の余地がありそうですね。

とりあえず、今回はここまで。

言葉についての、そもそも論


言葉を丁寧に使える人って素晴らしいですね。

適切な言葉を選び、適切なタイミングで使える力。

僕は昔から適当な発言が多いという自負自覚があるので、少し反省しなければなりません。。。



使う(選ぶ)言葉に、その人の生きざまが反映される、というのは言い過ぎでしょうか。

美しい言葉を選ぶ人はきっと思考も美しい。
性格もいい。
そのイメージはわきやすいと思います。



きっと、言葉とそれを使う人の考えってのは、密接に関連しているというよりも同一のものとみなしていいのかもしれません。


今考えていることは、「自分の感じた感覚を言葉で表す」のではなくて、
逆に「言葉で表した後に」感覚を感じる。
言葉が思考を形成する。

つまりこの意味では、新しい言葉の組み合わせで新しい世界観が見えてくるようになるってことです。

そのためには、多様な言葉を知る必要があります。

名詞、形容詞、動詞、副詞、
組み合わせはそれこそ何億個になるでしょうか。

ランダムな組み合わせ、無秩序の中で閃く何かがあるような気がしてなりません。

こういった言葉ゲームが思考の深度を深くし、教養を高めるように思います。

いつも使っている言葉。
話し言葉より前にまずは書き言葉。

ちょっと立ち止まって考えて、今使っている言葉たちの可能性について考えてみると面白いかもしれません。


今日帰りにビルの合間を縫って、夕日に照らされた東京タワーがきれいで何とも言えなくて・・・

何とも言えない自分が寂しくなったして言葉についてのそもそも論を、考えてみました。


シンプルに、ムダを考える

ちょっと2,3冊ビジネス本を読み漁りました。
そこで1点、考える事が。

”合理的”ってなんですかね、一体。
”合理的”=自分自身に最大の便益をもたらす選択。
・・・そういうことなんでしょうか?

その前提で考えると、「ムダな事を考える」時間って非合理的な行為であり、
個人には何の便益ももたらさない悪しき行為ととらえざるを得ません。

「今日晴れたらいいなぁ」
「気になるあの娘は何してるんだろう」
「あの犬カワイイなぁ」
「あ、今日風邪気持ちい」

っていうような、よく小説に出てきそうな(?)フレーズw
『人間が行う合理的な行為とは自分自身の市場価値を高めることであり、それに全ての時間を費やすべきだ』
ってセンテンス、合か否か?


僕はどちらかというと逆で、人は「全力でムダな事に時間を費やすべきだ」と思うんです。
なぜなら、それが人間らしいから。
たまにいるじゃないですか、「ムダに全力を費やす天才」が。


特にこれからの社会、世界。
経済成長ばかりの時代も終わり、いかに余暇を過ごすか。
ここが着目されてるわけです。
一昔前は仕事ばかりしてたアフター5。
平均退社時刻も、今の若手リーマンは昔よりずっと早いです。(感覚ですw)

逆に、仕事が早く終わっちゃった社会人にいかに金をかけさせるか。
このビジネスモデルの延長上で、ソシャゲ課金ってのが確立されたわけですね。。。



すみません、少し話がずれました。
余暇が増える。
余暇で何する?
ここで”ムダな事”の概念が登場すると思うんです。

究極のムダって、芸術が多いですよね。
「絶対そんなの誰の役にも立たないけど、なんかすごいよね」ってプロいませんか?
そしてその究極のムダを介在して、新たなネットワークが出来上がる。
ムダがコネクションを生む。
そこに一つの「コミュニティ」が出来上がる。



思うんです。
これからは”ムダ”が人を支え合うと。
”非合理的な行為”が社会の基盤になると。


最近読んだビジネス本では”シンプルに考える”ってフレーズもよく出てきました。
これは方法論でしょう。良いじゃないですか。これを採用して、
「シンプルに、ムダを考える」
その向こうに、きっとふざけた『仲間たち』が待っています。

人はきっと、自分を活かすために、他人のために生きているんですね。。。

また引っ越し(半年ぶり6回目)

また引っ越しをすることになりそうです。
理由は飽きたからw

っていうのも少し本当なんですが、色々ありまして。
半年だけですが多摩民として暮らし、胸を張って多摩民として卒業できそうですw

「アーキテクチャ」って言葉をご存じですか?
もともと、建築学の言葉です。

こんなサイトで詳しく述べられたりしてますが、要は人の意思決定要因の一つです。
無意識のうちに選択する。
身の回りの環境、居住環境ってとてつもなく大きい存在だと思うんです。


そして自分で考えてみた結果。
ここは半年住んでちょうどいい位だ、と結論が出ました。

door to door 1時間半かけて通勤してても良いんです。
電車で座れなくても良いんです。
ただ、通勤に、日々の生活に、物語が生まれないw

刺激が少ない。
自分の身にはあっていない。


それが結論です。


普段、結構意外と「物語」って身の回りで起きてるもんだと思ってます。

大阪に住んでた時は、本当にたくさんの物語があった気がします。

弁当を洗ってくれるラーメン屋のおばちゃん(お姉さんw)、近所のおいしいお菓子屋の新作、
公園で読書、バーも言っしヒトカラまで行ったw


でも、ここまで言っちゃって自分の内側が変わってしまっただけなのかな・・・
なんて想っちゃったりもしてます・・・

自分自身を見つめなおすきっかけのために。
引っ越します。

次は・・・小田急・京王あたりのユーザーです。
プロフィール

WIPA

Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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