考えること、知ること

考えるってことは0から1というように、無から何から創りだし思い付くものではなく、
1+1で2を作ってたまに掛けたり既存のソースをつなぎ合わせるもの。って表現になるんですかね。

っていきなり何言うんだろう。
いや、少なくない本を読んでいますが、”ひらめく方法”的な自己啓発本や、何よりも個人的に思うのは現代の教育で”思考”って、文頭に紹介した最初の意味で使われていませんか。

誰しもができないことを求められるのは嫌います。
ましてや「ユリーカ!」的な閃く瞬間ってのは日常でまず無くて、それを強いられるような勉強の仕方は嫌になって当然でしょう。

日本の学生って「考える力」が足りないとたまに耳にします。
自分の頭で考える力。
暗記をメインにした記憶中心型で勉強しているので、自分の言葉で表す技術がない・・・というような文脈で批判されます。

その批判に対しては僕はまだコメントすることができませんが(研究不足です)、
独創性ってものに嫌悪感を感じている学生も多いと思います。

そんなん、思いつかないわ!って。。(僕がそうでした)


対処法、ではないかもしれませんが、
”考える””思考”って言葉自体をうまく使い分ける必要があると思います。

言葉を使って人は考える。
人は動く。
どの言葉を選ぶか、その言葉を出発点として思考の領域が変わり、全く別の解釈をすることが出来る。

以前こんな記事を書きました。→「政治について考えてみる」
政治を市民社会って言い換えてみよう的な、いかにも小手先な提案(!?)をしたんですが、
抵抗のある言葉をそのまま放置していればそこの距離は縮まらず、違う捉え方をする必要はあると思います。

「君たちはただ知るだけでいいんだ。世の中の理屈を。それを繋ぐときに、閃きが産まれる」って言われたらどんなに楽でしょうか。

よく知識と思考は対局に語られます。
ただ、事実という意味での知識は、思考の前提となっているものであり、僕は手段になっているとも思えます。

こういう意味で思考ってのは
知識の整理
って言えるんじゃないでしょうか。


創りだすって行為への抵抗感。
それは、何も天才的な閃きをしろってのじゃない。
A→Bを知っていて、C→Dを知っていて、
AとCの因果関係(相関関係)が分かったときに関連付けて理解する一種の論理的思考である、そう言えると思います。


多分、思ってる以上に”考えること”への抵抗感を持っている学生って多いと思うんですよね。

まずは声を大にして言いたい。
自己啓発本を捨てて、学問を学びましょう。
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”空気”を読んで死んでいく

すいません、ちょっと過激なタイトルになりましたが・・・
今日伝えたいことはそのままで、”空気”を読み続けて死んでいく、そんな人生送りたくないってことです。



そもそも”空気”を読むって何でしょうか。
いい意味で場の雰囲気にあわせる。

悪い意味で自分を殺して流れに身を任すって作業のことだと思います。


社会人になって、組織の一員として5年ほど働いてきましたが、自分の性格として一つ気づいたことがあります。
「群れるのがイヤ」。そういうことです。

純粋に皆と同じ事をするのが嫌ではなくて、「結局生きていくのって独りだろ」って思うわけです。
皮肉とかじゃなくて、本当に仲の良い友人って言える人はいます。

今でも帰省すると必ず会う人。
距離がある中でたまに会いたくなる人。

通じるものがある人ってのは、やっぱり友人であるための条件だと思うんです。

逆に言うと何も通じるものがなければ友人にならない。
当たり前のこの理屈。

深く考えれば、そもそも”通じるもの”って何だろうって根本的な問を考えなくてはなりません。

僕が今日言いたいのはそういうことでなく、
また話もガラっと変わるかもしれませんが、

本当に楽しそうに生きてる人って、
成功している人ってのはある意味で「わが道」を歩いていて
群れるというより人物が集まってくるだけで、
この意味で個性豊かな人物像を想像してしまいます。


さらにはっきり言うと「普通の国家公務員」で生きて死んでいく人生は全く考えていません。
とりあえずなってみた。
でもあわないかも。
だから転職する。
簡単な理屈で司法試験を勉強している僕がいます。


同じ元国家公務員(同期)でありながら現役YouTuberの彼の更新を見ながら、
ふと「普通に生きるってなんだろう」「空気を読んで環境に身をうずめ続けるのって正解か」など、
色んな事を考えたりしました。


これだけは僕自身の個性です。

普通じゃイヤだ。


最低限Wikipediaにのらないとなぁなんて考えながら寝床につく者が普通の人生送ってて満足するわけないです。



幸運にも日本は資本主義。
頑張れば富を得れる。(まずそこ?w)

っていう冗談は置いといて、
やれば勝てる。
その舞台は整っています。



僕自身がこんな考え方だからこそ、
「変わった人」ってのを全力で応援したいのです。

”変わった” 普通、否定的にとらえられるこのニュアンス、
僕は社会を変えるのはいわゆる”変わった人”でしかありえないと思っています。


あいつ頭おかしいやろ、
それを誉め言葉にステップアップできる。
いい意味で学習→思考→評価 この循環で自分を高めれる人。


一番強いのは空気を読んだ上でぶち壊して、新しい空気を作る人ですよね。


普通じゃだめ、考えろ。

これが言いたかった一日でした。


論文について(憲法終了)

とりあえず先ほど伊藤塾の論文マスター、憲法が終わりました。
一旦、これで論文の書き方を習ったことになります。


最初ははっきり言って何書いていいか全くわからないレベルでした・・・。本当に。2行で終わる。
僕みたいな他学部卒で法律について学んだこともないましてや書いたこともない初心者が書けるわけありません。

ただ一周目が終わって漠然とした”解き方”はわかりました。

問題となっているのはそもそも保障された人権か→何条で?→確かに保障されてるけど制約されちゃってる
→違憲か合憲か審査基準は→当てはめ→結論

基本的には人権はこの流れで細かい論証パターンは暗記しつつ、
統治は別の考え方で原則と例外からアプローチする。



・・・とまぁ細かいこと書いても進みませんw
とりあえずこの”漠然と”わかった感じを大切にしながら、とりあえず分かった感じでたくさん解いてみる。
挫折→検証→次にレベルへ
っていうステップをきちんと踏みながら、着実に前へ進めていきます。


中期目標は、「年内に論文しあげる!」なんて前言っちゃったけど仕事の様子みても講義数をザっと見て計算しても
とてもじゃないけど無理なので、今のうちから確実に到達できる目標に再設定します。



11月中に民法
12月中に刑法
1,2月で他の科目
→2月いっぱいで論文終了

平行してテキストの総復習も終了、判例読み込みも著名なものは頭にいれる。

って感じにします。

今からぶっちゃけ仕事忙しくなってきてダラダラやっちゃうより、無理なものは諦めて現実的なものにしました。

そして3,4カ月で論文復習。
5月頭から短答再度総復習で頭に入れて、5月20日の予備試験へ。


このスケジュールで行きます。



最後に・・・
勉強を開始して1年半がたちました。

長い年月たってるけど、まだ頑張れてる。
その時分をほめながら、「諦めなければ必ず受かる」
再度それを信じて頑張ります。



今から半年を勝負にします。

予備試験合格へ向けて

甘い気持ちを捨てました。
来年短答合格、再来年論文合格、予備試験合格という甘いスケジュールは見直しました。

来年論文まで合格し、予備試験合格します。
短答はアベレージで8割。
論文は底上げして今から9カ月で合格ラインまでもっていきます。

現状として、
短答は過去問2週目が終わって3週目へ突入するところ。
ここで1回テキストを整理する必要があることに気が付きました。

少し過去問を解くのを中断して、よく出てくる論点や体系化して頭に入れるため、
テキストを改めて丁寧に読み直します。

7科目すべて、年内にテキストを丁寧に読み直します。
年明けからもう一度1週して、得点力の確実さを高めます。


論文については、憲法の講義がもうすぐ終わるので、
「とりあえず解く(=書く)」を意識して、
型を覚えながら書き方を学びます。

必要な論証パターンは積極的に覚えていきます。
これを年内に同じく全教科終了させます。

年明けから「考えて自分の力で書ける」ようにします。

優良答案を参照しながら構成を意識して、重要な論点を理解しながら、
そして1番重要だと思うのは『科目ごとの解き方』の違いを把握します。


いわゆるコツ、みたいなやつ。

論文はまず書くこと。
書いて書いて手で覚えて頭で理解し、今まで練習したことのないスキルなので
「解く=書く」を継続していこうと思います。



以上、中期目標でした。
寒くなってくると、毎年なぜか頑張らなきゃって気持ちになります。

毎日少しづつでもゴールへ近いづいていく。
丁寧に着実と、頑張りたいと思います。



なんか、後戻りできないし、今更ですが本気度がだいぶ高まりました。

”目標がその日その日を支配する”

ビジョン、価値観、政治

選挙が始まります。
政治の話を深くするつもりはありません。

ただ今日は一つ。
皆さんは「どの基準で」票を入れる政党を決めますか。

それを決める過程で、一番理想的な形。
「今の日本にはどんな問題があって何を優先して解決していかないといけないから
その課題を優先的に取り組んでいるこの政策をしようとしているこの政党(人物)を私は選ぶ」

どれだけ、こういった意思決定をしているでしょうか。

そんな人はおそらく少数とまでは言いませんが、多くはないでしょうか。

メディア、SNS、新聞、色んな媒介を通して『空気』ってのが流れています。
国民はその空気に敏感に反応しながら、”世論”を感じ取り自分の選択をしている。
こんな流れになっているのではないでしょうか。

つまり、政治の世界ってのは国民の論理的な判断の結集によるその意味での「論理的な民意」ではなく、
時には直感、時には空気、何かわからないけれども「この政党にいれるべきだ」。
そんな”流れ”で政党を選んでいる人は、少なくないはずです。

カリスマとは、このような国民の流れる”空気”を敏感にキャッチするスキルがとても高い。
分かりやすくイメージしやすいキャッチフレーズ。
ある意味「ビジョン」を描かせたもの勝ちなのではないでしょうか。

特に日本のような「忖度」文化があるような国では、マイノリティは圧倒的に不利です。
しかし逆に言うと、そのマイノリティの勢いが「閾値」を超えた途端に世論はひっくり返り、圧倒的多数になる可能性もある。
ここに特殊な国民性を見出すことも可能だと思います。


ここまでの言い方はまるで「国民(有権者)は何も考えていない。バカだ」みたいな感じになってしまっているので弁解します。
もちろん確固たる自分の「価値観」をもってどの政党に票をいれるか選ぶ人ももちろんたくさんいます。

ある意味で絶対的な指標。
そこに理屈はなく”思想の違い”で政党を選ぶ人もいます。


・・
グダグダとなってしまいましたが、言いたかったことは一つ。
個人の論理的な判断は、直感的な判断・ビジョン・絶対的な価値観には劣る。
左脳でじっくり考えるより、右脳でパっと選んだものを最後には選ぶ。

「なんとなく」「なんだか」っていう意思が一番強い。

っていう仮説をいつかまた検証したいな、とか思いながら今日の記事を書きました。

昔もそれらしきことを書いたことがありますが、ロマンは論理に勝つ。
ビジョンあって、理屈は後付け。
そのほうが、人生も面白い気がしますね♪
プロフィール

WIPA

Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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