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予備試験・勉強

講義の受講がすべて終わり凄い勢いで論文を解いて短答を解いて、知識が定着してきているのを実感している僕です、こんばんわ。

特に土日、一日かけて一教科について時間かけて解くと、色々な発見があってわかる部分ができて、非常に充実してる感じがします。
わかってるんです、「分かるようになる」を超えたラインが一番しんどいってコト。
ただまぁ良い意味で、楽しめています。

刑訴を解いてるんですが、型が明確な気がして、論点も限られてて、この科目は良いですね。
勉強してて飽きないです。

この後は苦手な商法。
みんな苦手な商法。

着実に勉強していきます。

勉強のツールとして、㊙ノートを作ることにしました。
直前期にテキスト読み返したり、過去問見直すとかもいいですが、情報はやっぱり一元化するということで、
今までの自分のストックを積み重ねてきた㊙ノートを作ります。
短答も、民訴とかはもう5週目終わった問題もあり、いまだに間違えているものもあり、
苦手な部分・暗記が必要な部分、ここはクリアできたって部分が鮮明になってきています。

苦手な部分や暗記がいる部分、そして覚えるべき論証部分、さらには答案構成の型をおさえた㊙ノートを作ります。

気が付きました。
何度もテキストみたり過去問解いたり、もちろん大切ですが、それはあくまで受け身。
積極的に理解できるように、自分で作っていかないといけない。
自部オリジナルの㊙ノートが完成したとき、それが合格ラインに限りなく近づけた瞬間だと思います。

こまめにスマホのメモ帳に気付き事項や覚えるべき論点などメモしていたりもしましたが、一元化します。

勉強方法も、一元化します。

「考えて勉強しないと受からない」
ってのは自分でもわかったつもりでいたんですが、ある合格者のブログ読んでから、まだまだ甘いなって実感しました。


結局はテクニックなんだけど、いかにそのテクニックに全精力を注げるか。
効率よく覚えるか。
覚えなくても合格ラインへ到達するか。

パフォーマンス=勉強効率×時間

時間は限られているのは分かってて、いかに勉強効率をあげるかです。

同じ問題を2度も3度も間違えてる余裕はありません。
論文の書き方も、こんな出題ならこの論点が導かれてこんな書き方でこういう結論。

それも書けるようになるためには考えないと。

本当にこの勉強でいいのかってのは常に自問自答しながら。
毎日着実に一歩一歩進めていきます。

とりあえずの年内目標は、論文(過去問)解いていくことで
憲法終了
民訴終了
刑訴進行中

これが終わればあと民法刑法行政法商法を解くことです。

㊙ノートもコツコツしあげていかねば。
頑張ります!


PS 聞いた話ですが、来年の占いの結果が、凄い良いみたいです。
ずっとコツコツやってきた試験が受かるとかで、なんか、とっても、うれしかったです。
「ソースは?」とか、「それあってるん?」みたいな質問はいつもはするんですが、しませんw

とにかく、うれしかった。
不思議と、それだけで頑張れるようになるんですね。

決断してから 2年半がたとうとしています。
残念ながら30歳までには何の結果も出ていませんが、もう折り返しは過ぎている自信はあります。

そんな気持ちでやってきた。
絶対受かるんだって気持ち。

来年の予備試験で、合格します。
一発で司法試験受かって、2年後の11月に、辞職か。
退職金だけ、計算しとこ。
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コンプライアンスについての思考

コンプライアンスって何でしょうか。
直訳すると法令遵守。

だけではなく、今では一般的に社会的要請への対応的なニュアンスで解釈されているんではないでしょうか。

確かに一市民である以上法律を守るのは当たり前で、一社会人として働いている以上でも常日頃職場からコンプライアンスについては何度も言われているものだと思います。

ヤフーニュースでも毎日、犯罪のニュースが出てきます。
例えば教師で公務員だったりすることもあり、そのたびに組織として”再発防止策”ってのを考えて、場合によっては第三者機関を設けて、二度とあってはならないことがあることがないように尽力しているところです。

今日言いたいのは、やっぱりコンプライアンスを守るのって大切ですよね、って話ではなくて、
それを逆からみた話です。



コンプライアンス=社会的要請への対応って定義が成り立つとすれば、
要請される側ではつまり社会的な要請があって、それが一体何なのかについてアンテナ張って知り理解することで、
「今こんなレベルまで求められている」っていう基準が出来上がるんだと思います。

例えばクレームでも、「消費者がどこまで求めているか」っていう生の声が聞こえてきて、それは一つの指標になると思います。
ただ良い製品を生み出す、良いサービスを提供するだけでなく、それ以上に求められているものは何か。
それらを検証することで、”非難される境界線”ってのがずれていきます。
昔はよかったけど今はこんなクレームも増えてきているし消費者もこのままではほっとかないから、何とかしないと・・・的なやつです。

つまりは、社会的要請、コンプライアンスで求められるものってのは流動的なんです。
そう、決めるのは消費者であったり、国民であったり、国民であったり、視聴者であったり。
昔良かったから今もOK,なんて理屈なんて通用しません。
コンプライアンスの領域が動いたのだから。


年のいった上司とかいう人はいませんか。
「昔はよかったのになぁ」的なセリフ。

勤務中でも少々のワルさが許容されたり、経費であんなこともできたり、社員旅行ではめはずしたり、的なやつ。

そう、要請・求められる基準が変わっちゃったのです。

変わった、という言い方をしましたが、僕の知ってる限り一方通行です。

つまり、厳しくなっている。
コンプライアンスで求められる基準が非常に高くなっている。

昔はだめで今はOK、なんて思いつきますか。
色んな苦情、避難を受けて、何をするにしても縛られるばかり。

「仕事中なのに私語をしている」
「仕事中なのにスマホを操作している」
「仕事中なのにタバコを吸っている」
「仕事中なのにカフェでお茶している」
みたいな、こんな典型的な意見。


何が言いたいかというと、
『コンプライアンスの基準を決めるのは我々であって、高くすればするほど跳ね返ってくる、その結果とっても生きにくい社会になる』
ってことです。

何もかもが100点満点求められる社会って、すごい窮屈ですよね。
ユーザーからすればとっても住みやすいかもしれません。
電車も定時にきて当たり前。
安全安心に生活できて当たり前。
行政からもサービスを受けて当たり前。

みんなが100点満点を求める、そんな社会。

ぶっちゃけ、個人的には、
日本の社会って、皆100点満点を求めすぎてて、かつ、真面目な国民性よりそれが達成できてやっと”仕事をする”って
感覚になってるのだから、自殺者が他国に比較して突出して多いのだと思います。
それがあってる気もします。


真面目に考えて、
自分はここまで考えて働いてて、ここまでサービスをしているんだから、そのレベルまで求めるよ、って思考。
とっても合理的です。

求められたら、やんなくちゃいけないな、でもハードル高いな、どうしよう、でも100点とるために頑張ろう。

その結果100点満点パフォーマンスを達成し、他の場面でも求める側になる。

求めたサービスが受けれないのでクレームをする。

クレームを受けた側は100点満点を目指すために必死に努力する。

最悪の悪循環ですね。


ギリシャとかイタリアの人たちの働き方をみてみてくださいw
皆さぼるために公務員になって、結果国としてだめになっちゃった(なりかけた)ところもあるじゃないですかw


コンプライアンスってのは実は双方向性があって、自分に跳ね返ってきちゃうんですよね。



ちょっとくらい、良いじゃないですか。
まずは、許容する。
お互い様です。
100点満点なんかいらない、
まずは90点でも全然いいよって社会、サイコーじゃないですか?


今この時間、苦しんでる人がいます。
”求められている100点満点をクリアするために”苦しんでる人がきっといます。

多少のクレームはスルーしましょう。
そして、みんなで、コンプライアンスの境界を良いほうに(住みやすいほうに)アップデートしていきましょう。

他人の行為を非難するのはとっても簡単です。
イライラするかもしれません。

ただ、ほんの少し許しましょう。
まわりまわって自分のためにも。


それで、社会が変わると、僕は信じています。



あと2か月で今年も終わり

最初のブログを書いてから、早くも6年がたつんですね。

なんか昔のブログを読めば読むほど、必死な自分がいて、ほほえましい(?)です。
そしていつかは、当時の僕自身へ伝えたいブログも、書いてみたいななんて思っています。

色々あがいてもがいて自分の気持ちを書き綴ってきた。まずは僕を改めてほめさせてください。

よく、6年間頑張りました(ちょっと早いけど)。
6年前の僕は、社会人になって1か月たって、色んな違和感を抱えて、これからの自分の将来を一生懸命イメージしながら、「何ができるか」を必死に考えてたんだよね。

大学生時代にはたくさん遊んで、もういいや、楽しい人生でした、いつ死んでも何の後悔もない、なんて思ってた。
とりあえず社会人になってみて、何かしなきゃって気持ちからこのブログを書き始めた。

そう、このブログは、僕の魂です。
何度ももうえぇやろなんて思ったし、疲れたし休もうなんて思ったりしたけど、ずっと続けてきたこのブログ。

気付けば、この記事も269個目。
269÷7=38
38÷12=3
つまり、平均一か月あたり3個ずつ更新してきたってことですね。


当時では考えられないような大きい目標が今の僕にはあって、そこだけを目指してひたすら頑張っています。

思いつきで合格体験記を読み漁り、自分のモチベーションを確認しての今日の投稿です。

でも冷静に考えればもう30歳。
転職は40がリミット的なのはどこかで見たことありますが、早いに越したことないし、僕自身のためにも、できるだけ早く司法試験に合格します。

今年もあと2か月切って、ラストスパート。
大丈夫、僕ならできます。
今できること、やらなきゃいけないこと、計画の設定そしてそれを淡々とやっていくだけ。



PS 歌手 あいみょん の『マリーゴールド』に凄くハマってて、エンドレスリピートしています。
なんか、メロディがとてもよくて、歌詞もいいですよね(雑)
マンネリ化しそうな日常を、大切にする。
一日を、自分にとって一番良いものにする。
人生は選択の連続です。

思考の継続は常に意識していきたいです。

目標が、その日その日を支配する

科学が支配する世界

プロ野球を見ていました。

上林のライトスタンドへ大飛球。
判定は、ポールの外。
特大ファール。
審判団が再度ビデオを確認し、「目視」により判断した結果です。

30年後(←だいたい)の野球は、変わっていると思います。
アウトの判定、セーフの判定はもちろんのこと、ストライクボールの判定からインフィールドフライの判定まで、コンピューターで行っている近未来を想像しています。

選手はスパイク・グローブにミクロのセンサー内蔵ICチップをセットし、どのボールにも同じくその処置が施されています。

勿論、各ベースにも。
内蔵されたセンサーにより、打者の一塁到達と野手からの送球到達の早さは容易に比較できます。
打者の背、ホームベースからの立ち位置でストライクゾーンが決まり、そこに投げられたセンサー内蔵のボールがバーチャル世界の中で軌道を描きミットまでおさまり機械的にストライクボールの判定がなされます。


こんな世界、イメージできませんか。
面白くないですか。
それとも、ある意味公平なので大賛成ですか。

それとも、そんなのありえないって思いますか。

これは僕が想像する近未来です。

サッカーやバレーでも既に始まってますよね。
ゴールしてるかどうか、コートに入っているかどうか。
コンピュータにより判定され、それにただ従う。

いわゆる人為的な要素を極力なくし、機械的に算出された”解”がすべての世界。

個人的には、野球の領域でも、できるできないの話はクリアしてて、どこまで本気で、いつからやるかって次元まで来てる話だと思います。
ビデオ判定も導入され、過去の映像を目視し検証する方法がとられました。
しかしまだ目視の段階です。ビデオという機械は使いながら、人が判断しています。

『ジャッジするのは人がやるのが一番だ』って意見はもっともです。
「神の手ゴール」的な間違いもあるし、そこがまたロマンだ、っていう意見もあるでしょう。

ただ、オートメーションってのはやっぱり時代の要請で、コンピュータがジャッジするってのがいつかは来るもんだと個人的には思います。

だって、『コンピュータのジャッジに対する不満』って、ないですよね。
あぁ。やっぱりファールか。コンピュータがそう言っているのなら仕方ないや。
で終わりますよね。

どういう理屈でどんな計算をしてその結果が出たのか、気にしません。
結果が出たなら、それを信じる。
あえて言うと 神 みたいなものですよね。
根拠なき信頼。

それで公平にジャッジできるのなら、誰も不満に思いません。
審判のせいで負けた、なんて誰もいうことはなくなります。

決して遠くない未来にこのようになっているんじゃないでしょうか。
私見ですが。



さらにその先の未来も想像してみると、個人的に進歩・発展する余地があると思う領域は
「遺伝子」です。
どこぞのアニメではありませんが、かつもちろん生物学的な問題も抱えているのは承知していますが、そして道徳的にこんな発言が許されるのかは深く考えずにいいますが、
危険な遺伝子
ってのは存在を証明することが可能ではないでしょうか。

・20人殺害の容疑がかかっている元看護師
「自分が勤務のときに亡くなると、家族への説明が面倒だった」

・祖父母殺傷の中3少年
「迷惑を掛けないように、自分の家族を先に殺そうと思った」


こんなWeb記事もありますが、あえて無教養な言葉使うと「そんな考えはふつうしないだろ」って人たち。

アドレナリンの分泌により興奮が導かれるように、
特定の神経物質の量と人間の身体的な症状との関連性が判明してきている以上、
特定の神経物質の量と人間の特定の思考経路の関連性もわかってくるんじゃありませんか。


もっと端的にいうと、俗にいうサイコパスって人たちは、特殊な思考経路がある前提として、特殊な遺伝子を持っているのはないか。


それが判明したとして、だから彼(彼女)は危険だ、なんて言いたいのではありません。
それが判明したとして、どんな一番いい社会参加の在り方があるのか、それを十分に議論できるだけの土台が必要です。


今日の結論:
「プレ 科学が支配する世界」で生きていく上で考えないといけないのは、技術的には可能だが、あえてそれをしない選択を選ぶ、戦略的不作為


人類の発展・人々の幸福・科学技術の進歩。
抽象的で難しいテーマですが、自分の頭で考えて生き抜こうと思います。

所有のリスク

ちょっと前の記事で、これからしっかり考えていかないとね、的なことを記しましたが、今日もちょっと考えたことを書きます。

巷ではよく言われていると思いますが、日本は”災害大国”であります。
特に今年は地震から台風から、天災により非常に大きな被害を受けています。

そして言いたいこと:所有のリスク

例えば台風21号により船が関空橋にぶつかり、二次被害が広がりました。
損害賠償請求するのかは不明ですが、もし「所有者責任」により被害額を補償するのなら、全額補償する余裕が一企業にあるのでしょうか。(勿論保険も考えないといけませんが)

はたまた台風により家屋も浸水して家電に被害を受けたり、車が使い物にならなくなったりと、金銭的な被害は大きいはずです。

”保険に入っているから”で済まされるのならそれで終わりですが、毎月いくらの保険料を払っているのでしょう。

個人的に、家や車など、「持ってて当たり前」のようなこの感覚に非常に違和感を感じます。

人生でも大きな買い物は、十分に吟味を踏まえた上で買わないと、損するだけです。

個別に言うと家買うリスクってのは、天災はもちろんのこと、”変なお隣さんリスク”(これは意外に大きいし、決定的だと思いますが)や、他に”住んでみて感じた瑕疵”など、気に入らないことは数あります。

こんなはずじゃなかった、しかし買った後ではもとには戻りません。

確かに、買うことで、所有することで満足し、その満足感に付加価値を与えるとするならば、コストを払ってでも満足を手に入れるのは合理的です。
そして、その満足感ってのは特に僕が住んでいるような田舎では「見栄をはる」行為につながります。

大きな、BBQスペースできる庭付きの家、7人乗れるような大きく綺麗な車。
そんなにいる?って疑問視するレベルをたまに目にします。


特に考えられないのが、当たり前のようにローン組むこと。
家なんて35年ローンですよね・・・。

ちゃんと吟味検証を経て結論に至ってるのか、凄く気になります。
余計なおせっかいですがw



僕は車(中古)も一括で買いましたし、家も長年のローン組むことは考えていません。
ローンって借金ですよね、利子付けて返すんですよね、利子ってローン組まなければ払わなくて良かったお金ですよね?

個人的には利子は1円たりとも払いたくありません。

特に大きな買い物もこれから増えていく中、ちゃんと考えて本当に今必要なのか、買う必要があるのか、
って問いは自分に繰り返すようにして、当たり前のように損する人間だけにはなりたくないです。


お金の管理を見直す。
これも人生の節目で確認しなきゃならないことだと思いました。







プロフィール

WIPA

Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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