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死とか恐怖とか

死ぬのが怖い。

誰でもそうだと思いますが、特に人生がとっても順調にいってるときって強く感じますよね。
純粋に”死ぬのが怖い”的な感情とまではいかずとも、せめて子供が大きくなるまでは見届けていきたい、って思うようになりました。

基本、僕は自分の人生に少しも後悔はしていなくて、本当に充実した青年時代を送れたし、楽しかったし、一生の思い出だし、
それはこれからも宝物だし、ハッキリ言うとその意味では人生に満足しています。

特に大学生が終わる頃かな?
テキトーに就職できれば、もうこの一生に悔いはないや・・・

みたいなことも思っていたように思います。
実際人生ってのは次のステージってのがあって、家庭ができるとやっぱり子供の事を強く考えてしまいます。

この子が、成人して大人になって自立するまでは、あと20年は面倒見てやらないとな、なんて思うわけです。

特に今は人生かけての目標、”司法試験合格”ってのがあるので、これも達成せずにはいられません。
早く合格して、次のステージに行きたいと思っているところです。

というように、自分の人生の話はここら辺で良いとして、僕が怖いのは家族への危険です。

我が家庭を見てみても、今のところは順風満帆すぎて、怖いくらいです・・・
で、先ほどの感情、”これを壊したくない”ってのが発生してくるわけです。

人間は誰しも幸せを求めるわけで、それは家族に対する想いなら一層強いわけで、父親としては当然のように思います。


ただ、祈ってもどうにもならないことは、どうにもなりません。
不慮の事故。原因不明の病気。
どうあがいても、防ぎようのない死ってのはあるんです。


だからこそ、『宗教』はあると思うんです・・・って話は次の機会にしたいとして、、、
何もなく、家族皆が幸せに暮らせるってどうやればいいのかな、って結構考えたりします。


結局のところ、前述したとおり不可抗力ってのはあるんだから、開き直るしかないと思います。
端的に言うと 人類の力 。

何十万年も昔から人類の直接の祖先が誕生して、それが今まで続いているんです。
世界的な感染症により人口減少や、異常気象、天災によりたくさんの人が亡くなってきました。

それらを乗り越えて、人類は何十万年も続いてきました。
その歴史を考えると、人類の力ってのは凄いですよね。
さらには科学技術も進歩し、病気も完治できるものが多くなってきました。

っていうことを考えて、何とかなるさ、って思うしかない。
それが、今の僕の気持ちです。


以前自動車に対する考察をこのブログでしたことがあります。
今読んで思うのは、凄い人間不信ですね、僕w

実際個人で生きていくんだから、自分のことは自分で守るってのはその通りだと思うし、
そこは責任もって行動しているつもりです。
だから他人は信用しない、自分で守るというのはある意味大切かもしれませんが、それにしても
僕って他人を全く信用していないようですw


先ほどの人類の力ってのは、人の力でもあります。
人がお互い支えあい協力しながらここまでこれた。
今の社会はその産物です。

そう考えると、もう少し他人を信じてみたほうが良い気がします。
じゃないと、凄い窮屈なの、自分でも感じています。

普通に車運転してて、ワザと事故を起こす車なんてないし、
対向車線からはみ出て正面衝突することなんてほぼないし、
信頼関係で成り立っている部分はあると思うんです。

それはこれから子供を保育所や幼稚園、学校に預けても一緒。

他人に対する信頼。
根本的な部分で、自分には少し欠けているのかな、なんて考えた夜でした。


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ソシャゲの課金

僕は、ソシャゲに課金をしたことがありますw

いきなり何を言い出すのかと思いますが、課金ユーザーでしたw
(今は、していません。)
ちなみに、妻もですw


ソシャゲって、よく考えられて作られていますよね、本当。
希少性の高いレアキャラがいて、ゲットするためには何度もガチャをひかなければならない。
気が付けば、ゲームでの疑似通貨(ダイヤとかであって、ハート(プレイするのに必要)やコイン(ガチャ回すのに必要)に変換可)を実際の通貨で購入して、、って流れ。

プレイしてると気が付きますよね、「これどんだけ課金してるん?」ってw
まぁソシャゲの世界自体、いわばそれで完結する世界なんです。

凄いアイテムを持っていれば、強いキャラを持っていれば、高得点を出していれば、他のプレーヤー(中身は純粋な人間)から承認される。疑似世界。バーチャルワールド。
ただ、プレーヤーの中身は純粋な人ってところがあり、ゲームの中での”承認欲求”が認められるのが今までのゲームとの違うところ。


・・・なんて、ソシャゲのすばらしさを語ろうなんて思ってなかったのに脱線してしまいました。
上記の通り、ソシャゲ運営者の収入の一つは”課金”です。

ですが、一方で無課金ユーザーでも楽しめるソシャゲもあります。
僕は隠れ「ツムツム」ユーザーです。
勉強の合間に、気分転換にプレイしています。

レベルは300いかない位で、一時期中断していましたが基本毎日ちょっとやっています。(いわゆるログボ稼ぎ)
ツムツムに、僕は課金していません。
なのにある程度楽しめます。

自分の中で割り切りもあり、全部キャラゲットしようとか、全キャラスキルマックスにさせようとかはしていないので、その点もあるかもしれませんが、まぁまぁ楽しめています。
ここで、ふと思いました。

「こうやって無課金ユーザーが楽しめるゲームなら、運営者儲からないんじゃないの?」
ビジネスの手法が気になりました。
そして、気が付いたんです。

結論は、『広告収入』がミソ。
攻略サイトの、広告収入です。

勿論運営者が攻略サイトをしているわけじゃありません。
流れはこうです。

ゲーム自体に広告がない限り、直接の収入は課金に限る。
→課金ユーザーをいかに継続して課金させるか
→ソシャゲという性質上規模が必要。プレーヤーの数が絶対的に必要。
→一方、無課金ユーザーでも楽しめる
→なぜなら、便利な攻略サイトが無料で見れるから
→この持ちつ持たれつの関係により、無課金ユーザーも無課金で楽しめて、
さらに一方で課金ユーザーも無課金ユーザーを踏み台にして(!?)、自己の存在力をゲーム内で発揮できる。

って感じです。
僕も、便利な攻略サイトが無いと、絶対続けていない自信があります。
言っては何ですが、ゲームに真剣に頭を使おうとはあまり思いません。
サクッと攻略して、効率的にクリアして次に進みたいわけです。


以上の理屈で、実は攻略サイトって、ゲーム運営者からすれば目の上のたんこぶのようで実は「持ちつ持たれつ」の関係ではないのでしょうか。
「WIN―WIN」じゃないのでしょうか。
なんて考えたりしました。

ふつうに考えればわかることなんですが、閃いたとき、うれしかったですw
こういう、「仕組み」的なものがわかるようになるのが、自分にとっては凄い快感です。

ちょっとシンプルに考えすぎてて、本当はもっと複雑だったり、またはそもそもこの仮説が間違ってるかもですが、
こんな感じな気がします。


こういうの、積極的に自分の頭で考えて閃いて、仮説検証って循環を作りたいです。
自分の思考ってのを大切にしていきたいです。

以上、元課金ユーザーからでした。

ストレス社会

日本ってストレス社会って一般的に言いますね。

確かに、僕も働いててストレスが半端ないですw

っていう個人的な話は良いとして、ストレス社会について簡単な考察をしたいと思います。

タイトルはこんな感じでしたが、何が言いたいかというと”思考にかける時間こそが不満・ストレスを産む”ってある意味逆説的なことです。


これは僕の仮設でもありますが、人間にとって、一番の苦行は”思考”だと思い出す。
単純に手を動かす機械的な労働は体力的にはきついですが、脳の力は使いません。
それに対し頭を使って何かを創り出す、産みだす仕事って大変ですよね。

例えばまっさらなパワポに、一から新規事業のプレゼン考えるときとか、どこからどうやって作っていけばわからないし、ある意味正解もないものだし、それは苦痛です。
深夜まで働いて頭がフワフワしてきて、さらに追い打ちをかけるように仕事が降ってきて、メール読む気力もないけど仕方なく頭働かせて・・・って作業は、本当にキツイです。


でも、組織として働く以上、考えながら行動しないといけません。
月曜出社したらまずあれをやってそのあとあれもしないといけないし、あ~あれも忘れてた。

こうやって日曜の晩に”思考”は開始しています。

それが積み重なって、今の日本の会社ってのが成り立っていると思うんです。
いろいろ意見はありますが、特にインフラの整った環境など、日本の会社員って100%を目指していますよね。

電車は定刻にきて当たり前。
出社も時間厳守。要は”生真面目”。

国力で・・・とか、経済力で・・・とか色々言われていますけど、「プロ会社員」は非常に多いんじゃないでしょうか。
プロ会社員。
緻密にスケジュール管理を行い、丁寧に営業をし、接待にも適度に参加して、会社からみれば100点の人材。
そういう人って、少なくないと思います。
この意味で、日本にはプロ会社員は多いと思います。



・・・
ここまでくると分かったかもしれませんが、そう、プロ会社員の結局行き着く先は、”社会にも同じレベルのサービスを求めること”です。

『自分はここまで考えてて仕事をしてやっているのに、このサービス、何も考えてないじゃないか』
って感情がわいてきた瞬間、負の連鎖に陥ります。

飲食店にて『喉乾いているのわかっているやろ、先に水出すやろ』
飲食店にて『これだけ待ってるのに店員ペチャクチャ喋ってて、少しは客のコト考えないの』
コンビニにて『自分はICOCAで一瞬で支払いできるように準備してるのに、前の人財布ずっと触ってて早くしてよ』
自動車運転中に『そこさすがに停めたら迷惑違うん?』

などなど。

特に日ごろから自分が気を配っていることに対し、他人が平気で何も考えずにそれをやられると凄くむかつきますよね。
自分が必死に苦痛である思考を行ってきたのに、他人が思考を介在・経由していない行動をする。それこそが怒りの源です。



人は「何も考えていない他者の行為」に怒りを覚える。
ある意味で『思考こそが苦行であり、それは他人も自分と同じ位するべきだ』って価値観が根底にあるんではないでしょうか。


なーーんにも考えてなかった学生時代。
怒ることなんて何もありませんでした。
何のプライドもありませんでした。

ただ、今は違います。
必死に考えてもがいて、今の自分がいます。
プライドもあります。
そして、ちゃんと自分の頭で考えたことを否定されるのは、腹が立ちます。
勿論、それが自分の考えが誤っていれば受け入れることはできます。
しかし、頭ごなしに否定されるのを受け入れる人はいるでしょうか。


そしてさらにいいたいこと。

皆必死に生きている。
生きているからこそ不満が出る。
必死に自分なりに考えてやっているのに、それに見合うサービスが受け入れられていないと感じた瞬間に、不満になる。
捉えられようによっては、それが”クレーム”になる。
クレームってのはこの意味では、自分なりにちゃんと仕事している人、プロ会社員こそが言っているものかもしれませんね。


「常に完璧を目指す」「真面目」っていう国民性がある以上、これは非常に難しい問題だと思います。

以上、思考こそがストレス・不満を産み、ストレス社会を作り出すって仮設でした。

この悪循環をクリアするものは何か。

それは”皆必死にやっているし、今は特別の事情があってこんな事になってるのかも。たまにはこんな時があっても仕方ないよね”っていう想像力。つまりは思考力ではないでしょうか。







”日本を腐らせてきた”会社

ドラマ”ハゲタカ”を見ました。
全部見ました。

とっても面白かったです。
この中でよく出てきたフレーズ”日本を腐らせてきた”。
印象的でした。

ドラマのような、旧体質にとらわれ、社会の情勢に対応できず、トップダウンで腐敗する会社。
そんな会社ってそんなにあるものか。。
自分なりに考えてみました。

結果、その分岐点は「責任」にあると思います。
社会的責任。組織としての責任。
自分が求められているモノ。
『社会の要請』を理解し、そえに答えようとする姿勢。

私個人も、比較的大きな組織で5年以上働いてきました。
そして、組織としての在り方、および個人としてどうやって仕事に向かっていくか。
考えさせられました。

でいろいろ実感したり、考えてみたりしたんですが、結局大きな組織も人が作るものなんです。
人。
そこからスタートして、結局そこで終わる。
例えばビジネスをするとして、いかに売り上げを伸ばせるような仕組みを作ろうと、その仕組み以上に、人・個人の影響は凌駕します。
仕組みを作るのも人だし、崩壊させるのも人だし、仕組みの中で逆走するのもまた人だし。

だから言いたいことは、どんなに”利益が出る環境”だろうと、結局は人・従業員個人にかかっているわけで、仕組み作りに奔走したところであんまり意味がないわけです。

人がしっかりしている組織。
自分に今求められているものは何か。
社会的要請はどのようなものか。

個人的な「責任感」からそういった思考はスタートし、ベストパフォーマンスを生み出す。

この過程こそが、非常に優れた組織の特徴にあると思います。

思考って、凄い疲れるし、積極的にしたくはありませんよね。
一番疲れる行為じゃありませんか?

思考を誘発する環境が、たぶん人間にとって最良の環境です。



逆に言うと、社会的な要請に、何も答えられず、旧体質をひきずって思考停止に陥っている会社。
それが、ドラマでいう”日本を腐らせてきた”会社になるんじゃないでしょうか。


人が作っている組織。
ちゃんと個人が考えて行動していますか。


責任感って単語でまとめようとしましたが、「人の思考を誘発するもの」ってとっても難しいですよね。
この装置の源、もっといい単語で表すこともできそうです。


『経済学部で何を学んだか』

『経済学部で何を学んだか』っていう問いにどう答えようか、考えています。

というのも、今の僕の目標は司法試験合格であり、他学部卒であり、こういう質問はこれから来る気がしてならないのです。
僕が本気で勉強をし始めたのは、3年生の終わりごろだったような記憶があります。
公務員試験のために学問を知って、やっとそこから入口に立って、試験関係なくただ本を読み漁って、自分なりに経済学の知識を身に着けました。
つまり、残念ながら、大学の講義で身についた、とは思っていません。(ゼミでは非常に勉強になったので、除きます)

言わば独学といっても言い過ぎではないですが、一時期誰よりも本を読んでいました。
特に興味があったのが「行動経済学」になるんですかね、「ヤバい経済学」って本と「人は意外に合理的」って本を偶然、同時に読みました。
電気が身体に走りましたね、ビビッと。
純粋に「人って面白い」ってのがその時の感想です。

読書メーターをやっているので、今でも当時(2012/02/24)の感想は残っています。
「面白かった。テーマ的にはゲーム理論、行動経済学の分野だと思うけど、実際のデータをもとに人々の合理的なインセンティブについて研究していた。つまり金銭的インセンティブ以外にも、社会的、規範的インセンティブは存在し、そういった複雑な要件を考えて、よりベターな社会構造を考えようって本だと思う。むずかしい、合理的選択って。」
らしいですw



結局のところ、経済学も社会科学であり純粋に”人”の研究だと思うんです。
特に昨今その流れってのは顕著のようで、「合理的経済人」を全体として理論から、そのモデルがあまりにも現実からかけ離れているため、どうやって修正を加えようか、それを詰めてる段階にあると思います。

つまり、モデルを一から再考。
ゆえに、モデル=人、個人の研究。
って一周回ってきた感じじゃないですかね。

でも確かに個人的にもその「合理的経済人」をモデルとした理論を理解するのに深く違和感がありました。
端的に「人間ちゃうやん」って、思ってました。
ただ、理論ってのは抽象化なくしては作れない。
剥ぎ取る必要はある。
少し剥ぎ取りすぎじゃない?って疑問を投げかけてるのが、今の現状。
だと僕は思っています。


こんな感じで、想定問答をイメージすると、こんな感じになるかなぁ。。。

Q.『経済学部で何を学びましたか』

A.『はい。”人”について学びました。経済学は社会科学であり、人の研究でもあるということを学びました。そもそも経済学は「合理的経済人」という抽象化したモデルを前提として、理論が作られます。個人的な効用を最大化させるためにそれだけを目標として意思決定する合理的な個人。それが経済学のモデルです。
 しかし、現実はそんなことはありません。まず人は「他人のために」行動します。ボランティアや寄付、いずれも経済学での先ほどのモデルでは理解できません。
 また認識、判断過程の段階で、合理的じゃない選択をすることがあります。認知バイアスって言葉もあるように、我々はしばしば間違った選択をしています。
 このように、人は完全じゃない。では人の意思決定とはどのように成り立っているのか。端的に言うと”インセンティブ”の仕組みの研究。それが、これからの経済学の課題であると思います。同時に、私個人も、経済学で学んだこのような知見をもとに、”人とは”という哲学的ともいえる問いに対して、自分の頭で考えるようにしていこうと思っています。』



以上です。推敲してください。




ここからは仮設ですが、本当に、これからは”社会の断絶””個人の孤立”ってのは問題になってくると思うでの、こうやって個人に焦点をあてて考えてみる、そして人を繋ぐ繋げる、コミット・コネクトって流れは社会的に不可欠だと思います。
弁護士になったら、そんなことをしたいなぁなんて思っています。



以上、経済学ってのは本当に素晴らしい学問で、知れば知るほど学問は分からないっていう、学問の本質を教えてくれたものでした。(この言い方のほうが良いのかな?)
頭では飲みすぎと分かっていても、ワインを新しく開けてグラスに注いでしまった非・合理的経済人からでした。
プロフィール

WIPA

Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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