習慣

30歳になったところで、改めて”習慣”ってとても大事なものだと思います。

社会人になって何年もたって、自分なりのルーティンってものができてきます。
悪い習慣ってものが身についてると、意識しないと治ることはないでしょう。

悪い習慣って、何でしょう。
タバコをたくさん吸ったり、
酒を毎日たくさん飲んだり、
まったく運動をしなかったり、
脂ものばかり食べたり、
野菜を全く口にしなかったり、
毎日朝ごはんを抜いたり、
深夜夜食でがっつり食べちゃったり。

30って年齢って、健康を意識せざるを得ない歳だと気付きました。
昔みたいにカラオケルールなんかできるわけもなく、
またクソ暑い中運動ができるわけでもなく、
ちょっと身体を動かしたり二日後くらいに筋肉痛がすごい。

身体の変化ってのも顕著なわけで、健康は意識し始めました。

そして、先ほどあげたような(いわゆる)悪い習慣ってのは極力やめるようにしました。

自分が思い浮かべることのできる実践できる良い習慣ってのは、
・朝起きて勉強できている
・通勤中英語リスニング勉強できている
・タバコ辞めた
・酒の量を減らした
・徒歩数を増やしている、運動をしている
・BMIを22に近づけるよう、食生活には気を付けている
・昼寝の15分間
・23時には就寝
・ふとアイデアが思いついたら書き留めるようにしている

ってのもいい習慣かもしれません。


習慣が一番怖いのは、無意識ってところにあると思います。
積もり重なった悪い習慣のストックってのは、病気といった形で身体に現れるでしょう。

エネルギーにあふれている人って、習慣が確立されている人が多いですよね。

なら、無意識に”身体にいいこと、脳にいいこと”をすれば良い。
それを習慣化すれば、良いストックを蓄積することができ、
身体のサイクル、フローとしても素晴らしいものになるのではないでしょうか。


今の自分に考えられる”良い習慣化”は、挙げるとすれば、
・スマホ使用時間を減少させる(いじりすぎ)
・朝の時間の有効活用(1.5時間の勉強時間+ジョグ+シャワーが理想)
・晩の家族団らん時間の活用

こういった点があげられるように思います。

8月から半年間、またプチ単身赴任期間が始まります。

この半年が、勝負。
本気でそう思います。

今のうちに良い習慣を身につける。
意識を無意識に変える。
司法試験合格者をイメージし、逆算して”合格者のような習慣を身につける”。

30歳になって、人生で一番勉強できているといえるような、
これでこそ合格できるって言えるような、言われるような、
まずはそこからです。

なんとなく受けているじゃ、いつまで受からない。
本気で、壁にぶちあたってみたいと思います。


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不完全な競争社会

こういうタイトルにすると、「出た出た~例の論調か~」って思われるかもしれませんが、
その通りですw

まぁ端的に自分の考えを述べるとタイトルの通りで、
「競争社会は不完全であり、その意味で公平なんかじゃない。自己責任って言葉で問題を解決するのは誤りだ」
ってことを言いたいわけです。


なぜ、競争社会は不完全なのか?
その答えとしては、その社会を作る人間自体が不完全であるからです。

皆同じように能力があるわけでもなく、生まれつき身体に障害がある人もいれば、
外見からは分からずとも精神的な病を抱えている人もいる。

人生のスタート地点が違うんです。

さらに大人になっても、裕福な家庭で大学院まで卒業している人もいれば、
親がいなく孤児院で育ち、早くから働いている人もいる。

そして一番いけないのは、「金を稼ぐ力」こそが競争社会の勝者であると支配しているこの空気。

小手先のテクニックで資産を増やし”大成功”。
なんか違うなって思いませんか。

なら頑張ってそうなってみろ、っていう反論もわかります。

ただ、誰しもが「同じような思考能力」をもっているわけじゃない。

大学院まで勉強してきた人にとってみれば容易かもしれません。
ただ、論理的思考力含め、イーブンではないんです、力ってのが。

勉強して始めて身につく力もある。
勉強できる環境が産まれつき周囲にあった。

それだけのこと、なのかもしれません。

ただ、それだけのことが、決定的に結論を変えていく今の世の中。


決定的に間違っている気がします。

本を読んだりネットをみたり。
「競争社会は不完全」。

この当たり前のことに気づいていない人が多すぎるように思います。

気付いていても黙殺しているか、
気付かないフリをしているか。

議論の前提・出発点を確認しましょう。

「競争社会は不完全」。

生産と消費

私たちは生産者であると同時に消費者でもあります。

よくGDPって言葉をききますよね。
国民総生産。

モノの付加価値の合計。
そう、社会人は一般的に、そのサイクルの一員にいるという意味で生産者でもあります。

意識しないと、実感することはないですよね。
生産者なのです。

それに対し、消費者でもあります。
生産者が作ったモノを消費する行為。

畑でイチゴが作られ、出荷されてスーパーで買う。
そのエンドユーザーである我々は消費者です。


つまり、社会人になってある意味最初に生産者になれたということです。

厳密には学生時代にアルバイトをして生産システムのサイクルにいた人間は、生産者でもありますが、
完全に生産者兼消費者であるのは社会人になってからです。

ではいつまで兼任するのでしょうか。
それは、定年退職などで仕事を辞める時です。
農業から手を引くときです。

経済学的に、(何らかのサービス含め)付加価値を何も生み出さなくなった人は、消費者に戻ります。

生まれたから死ぬまで一生消費者でありますが、生産者でいれるのは人生のうち一定の期間ということになります。
そう、経済学上では。

自分の行っている一つ一つの行為がこのように学問上では意味をもったものと理論に組み込まれていく。

この流れはとても面白いですよね。

脱線しましたが
私の実家は農家なので田んぼも作っています。

運動がてら、定年後は米でも作っているのかなーなて想像するときもありますが、やっぱり体力的にもきついですよね。
人生80年時代。

歳をとっても生産し続けられるのは「情報」だったり「思考の結果の生産物」であると思います。
脳が働く限りは。

そう意味でも知識労働ってのは死ぬまで生産者であり続けることが可能で、合理的に考えるとこれを目指すしかほかはなく、
あとはどうやってってことになります。

知識労働って何でしょうね。具体的に。
頭で考えて付加価値を作るのってすごく難しいですよね。

一般的に”クリエーター”なんて呼ばれている人たちってどういう考え方をして何から学んでいるんでしょうか。

何かを造りたい。
創り続けたい。
死ぬまで生産者であり続けたい。

逆にまずどういう手段で何を生産できるのか、
このプロセスを深く追求することにします。



”Wikipedia”とか知識の話

”Wikipedia”とか知識の話。

むかーしむかし、あるところに・・・。

桃太郎、ウサギとカメ、金太郎、舌きり雀、わらしべ長者、頭山・・・。

自分が小さい頃から聞かされた童話。
どれくらいあるでしょうか。

今英語のスキルアップってのを目標にしてて、スピードラーニングやっているんですが、上にあげたような童話を日本語+英語で聞くことができます。

ちょっと早いですが今日のブログの結論として、
「受け取り方は変化する」っていうような事を言いたいと思います。

っていうのいも、自分でも驚くくらい、昔聞いたはずの童話があやふやで詳しく知っていなくて、
今改めて聞いて初めて感じることが多く、それに対して抱く感想も初めてで、
自分は何を知ってたのだろうって思い知らされるばかりです。


童謡って、意外と知らないことはないですか?
なんで、桃太郎が鬼退治にいったか知っていますか?
金太郎は、最後は何になったか知っていますか?
舌きり雀・わらしべ長者・頭山は、どういうストーリーか覚えていますか?


っていう風に、聞きながら育ったはずなのに、結構忘れちゃっていませんか。

今、もう一度聞いたらどう思いますか。


少し話は変わって、日付は変わっちゃいましたが昨日7月6日、麻原死刑囚が死刑を執行されました。
改めて、Wikipediaでオウム真理教の歴史ってのを調べてみました。

弁護士一家が殺されたってのを知りました。
(WikipediaのURL)


とても生々しく、読んでいられないですね。
この感情をなんていったらいいのかわからないですが、
この年になって、ようやく昔起こった事件の重大さってのを痛感すること。

どんな歴史の中で自分が育ってきたかを振り返ること。

そんな機会ってのが、とても多いように感じます。

「当時のへぇ~」が、今の「え、本当に?」。

なんで当時は何も思わなかったのだろう、
他人いられたんだろうってのが、よくあります。


結局のところ、感受性ってのは自分の地位・立場により変化するもので、
社会問題ってのは社会に具体的に接していないと感じない問題なわけで、
この意味での正解は”より積極的に市民を社会に接する機会を与えて考えさせる”っていうものになるわけだと思いますが、

まとめて言いたいことってのは人間の思考の領域ってのは限られてて、自分の一定の範囲の中で思考するものであるから、
その思考ってのが届かない分野ってのものが必然と出てくる。

その思考が届かない分野ってのものが領域として拡がり続ければ、
大多数の人々にとってとても重要な問題だが誰しも思考を中断するような結果を迎えることになれば、

それはこの「皆が作っていく社会」ってのが終わる瞬間になるものだと気付きました。

"プロフェッショナル"

前回の記事でNHKの「プロフェッショナル」について少し書きました。

今ワールドカップで活躍している本田選手の、「プロフェッショナルとは ケイスケ・ホンダ」って言ったことがネットでも取り上げられていますが、僕も考えてみました。

プロフェッショナルとは。

考えれば考えるほど、難しいんですよね。

ひねり出した答えは、とりあえず今は

「問題意識×思考」

説明すると、やっぱりその道のプロってのは、何か能力が特出している部分があって、
それってのは無意識にでも抱えている問題意識という部分から生じているように思えるんです。


今の自分に満足せず、
今の社会に満足せず、
『何かが足りない』
『何かがしたい』
『こう変えたい』

ほんの少しの違和感。
それが問題意識となる。

ただ、問題意識だけじゃ何もできません。
そこから考える。
考え続ける。

プロフェッショナルとは、『問題意識の強さと、思考の深度』

以上、今の僕の仮設です。

もう社会人になって5年がたちますが、本当に考えることこそが一番大事な事ってのは痛感しています。

思考を止める瞬間が、成長が止まるときです。


大人でも、感じている人は多いと思います。
漠然とした違和感。
生きにくさ。


そこで止めずに思考を開始できるか。
根本的な「不満」は何なのか。

どうすれば解決できるのか。

世の中をよくしていくのは、一人一人の少しの思考から始まるんだと思います。

そのためには常にアンテナをはって、感覚を研ぎ澄ませる。

ってのが今現在の仮設です。

5年後、同じ問いに対して違う答えが出そうな気がします。
ある意味で成長している、そんな自分に期待しています。
プロフィール

WIPA

Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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