雑感

このブログの更新が滞った日が、ある意味で僕の”終わり”だと思っています。
久々にこんばんは。

ハッキリ言って結婚して子供産まれて家庭が出来て幸せで、
『一体自分は何に抗っているんだ』って思っちゃったりします。

今の生活がイヤで抜け出したくて、
やりたい事が見つかって目指して
勉強して
ただそのモチベーションを支えていたのはこのブログであったような気がします。

ここまで何度も自分の強い思いを書いて、
思ったこと感じたことを書いて
酔って書いて振り返って読み返すと恥ずかしいものばかりだけれど、

ここにあるもの全ては僕の魂です。

人によっては自己紹介の代わりにこのブログのURLを教えたらいいかも。
そんなことを考えるくらいに僕のすべてをここに置いてきました。

きっかけは「普通の大人」になりたくなかったからだと思います。
もちろん悪い意味で”普通”という言葉を使っています。
思考停止ニッポンに蔓延する思考停止な大人の像、それに対して違和感を強くもっていました。

恥ずかしながら5年前のブログとか、今読んじゃいました。
恥ずかしすぎですね。
社会人1年目です。

ただこの5年間、ブログを書き続けて一貫しているのは結局、何度も言うように
「どうすれば社会を良くできるか」
っていうテーマを考え続けました。

そして今わかっていることは
「僕は何もしていないこと」。
それだけです。

思って考えて記して、
それだけです。

少し前は色んな人と会ってみたり、
色んな場所へ行ってみたりと視野を広げようと、色んな世界を知ろうと必死でした。


勉強し始めて1年少し。
一番脱落者が多い時期じゃないですか。

ここで継続すれば僕は勝つ。
そう確信して少しづつ勉強していきます。




なんていうのか、
マンネリ感を払拭するために
改めて気合を注入した
そんな日にしようとおもいました。

”今ここで淡々とやったもん勝ち”
明日からも頑張ります。
おやすみなさい。

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予備試験・勉強

「来年の予備試験に向けて」 を書いてから早くも1カ月がたちました。
いや、本当に子どもと住んでいるとあっという間に1日が終わりますね・・・。
いつ勉強していいやら、積極的に隙間時間確保しないと、一瞬で一日が終わります・・・。

ということで、以前たてた目標を振り返ります。

たてた目標は
①年内に短答7割達成

②9月終わるまでに論文用口座全て受講

の2点でした。

短答用、基礎知識の確実な定着のために毎日過去問を解きながらテキスト判例復習をしています。

ただ少しこれに偏りがちで、どうしても論文用の勉強が”読む”メインで、アウトプットが絶対的に足りません。
1年間予備試験を勉強して分かったことはとりあえず「解く」重要性。

分かった気持ちで突き進むっていうのが一番怖くて、
試験に受かるために最低限の知識を把握しながら進んでいく。
これに限ると思います。

つくづく思ったのは、回り道してる余裕なんか本当になくて、
特に僕みたいに他学部卒(経済)でほぼ知識がなくての司法試験を合格しようとすると
メリハリって凄く重要だと思います。

確かに勉強していて理解できたときは楽しい。
ただその延長線上で、深みにはまりこんでいくと抜けだせない。
法学ってのは解釈も分かれる以上、ある意味そんなリスクもありますよね。

試験と割り切って淡々と勉強していく。
そのスタンスは崩さずに。


ほぼ一年前に書いたこの記事 を読みながらもう一度気合をいれちゃいました。


結局決まるのは
成功 or 失敗 じゃなくて、
成功 or 継続しなかったこと

逆に言えば
考えて適切なやり方で継続すれば成功する。(はず)
そう強く信じて、
やっていくだけです。


淡々とやる。

今の僕に一番必要な言葉です。
良い意味で機械的に、着実に進んでいきます。

まだまだ僕はできるはず。



子供

子供が産まれて4か月、一緒に生活し始めて4日。

いや、子供って素晴らしいですねw

っていう感動を伝えたかったので今日の記事は以上としたいところですがw
何十年後か振り返って、当時どんな心境だったのか気になるかもと思い始めて、
今の気持ちを書き留めときます。


一緒に住んで何点か気づいたところがあって、
まぁ父親にはどうしても出来ないことがあるとか、
色々あるんですけど、
前にも書いたかもですがやっぱり親の役割は全面的に子を承認するってことに尽きると思います。
受け入れて、承認し、時として導く。

逆に言えば、
「この世界は君を必要としている。」
ってのを子に伝えるのは親の役割だとも思うし、
少なくとも「君なしでは僕たち両親は生きていけない」って感情を伝えるのも必要だと思います。


最後に一つの物語。
最寄りの小学校が5キロも離れたところにある、そんな田舎で育った少年は養子であり、ひきとられた子でした。
自分の親じゃない人に育てられている。自分と血がつながっていない兄弟と暮らしている。
そんな葛藤の中すくすく育ち、高校は中退しました。

そのあと働いていた勤務先で最愛の人とめぐり合い交際を経て、結婚。
迷ったあげく協議し、利便性なども含めてまだ田舎度がマシな嫁さんの実家で生活することになりました。
婿養子というやつですね。

そこでも人間関係は一から。
血の繋がった知人もやはりいなく必死に働いて家を建て車を買い、子供もできて幸せな生活を送っていきました。

きっと当時は幸せだったはずです。

続きはこれ以上書かないけど、
必死に生きてあっという間に死んでしまった人もいます。

見ず知らずの土地ですべて一からつくりあげるのも相当の精神力が必要です。
そんな父親を僕は誰よりも尊敬していますし、
そのガムシャラに生きた人生に強く影響されています。

僕もそうありたいとかじゃなく、そうやって必死に生きてる人もいる。
そして何も言わずにそれを伝えられる親もいる。

口数は少ないけれど、しっかりと行動で示す。
成人して、
社会人になって、
結婚して、
子供をもって、

親のありがたみ、凄さってのは痛いほどわかってきます。

ありがとうって言葉を伝えるのも重要だと思いますが、
両親にように行動でも返すべきだと思います。
元気よく職場いくこと。
楽しく生活できてること。

親への恩返しってのはこういうことですかね。

20年、いや30年後、子供からそんなことを思われるのを祈って。

「クレーム」 の本質

僕がこの世で一番といっても過言じゃないくらい嫌いなもの。
それは車のクラクションです。

あれほど日常生活で不快な音はないですよね・・・。
音自体が、っていうよりも、「他人と他人との不満・怒りなどの感情を、第三者である自分に対してまで拡張させて伝えてくる」
その行為が気にくわないんですよね。。。

自分で言うのもあれですが僕は特に社会の平穏・世界の平和を願ってて(!?)
せめて自分の周囲はそうあってほしい(自己中心的)、
半径10mの皆さんはいいことあってほしい的な気持ちで動いているという自負自覚はあるのですが←
それを一瞬にして壊すのが車のクラクションですよね。

「二者間の負の感情を拡散させるな、いい迷惑だ」
っていうのが心底思う気持ちです。やっぱり関係ない他人である僕も、すぐそこで怒りあっている両者がいると思えば
楽しくいれるわけがないんですよね。

本気で危ないときに鳴らすのは仕方ないとして、注意喚起レベルで簡単に鳴らすドライバーは僕は嫌いです。
車自体が好きではないのも、そんな背景もある気がします。


・・・っていう長い長い前置きをして、僕が今日言いたいのは「クレームの本質」について。

例えばクラクション鳴らす行為。
これって一種のクレームですよね。

そもそもクレームとは、とか定義考え始めるとめんどくさいんで、単に「他人への不満を公表すること・伝えること」的な意味合いで解釈しときます。

広い意味で言ったらクラクション鳴らすのもクレーム。
今日の言いたいこと。
クレームの本質。
それは「責任感」だと僕は思います。


責任感、って簡単に言っちゃいましたけど、要は「(不特定多数の誰かに代わって)代表して、みんなのために言わなきゃならないことを言おう」っていう考えです。


そうなんですよね。
多分、電車遅延により駅の職員に汚いコトバ使っちゃう人も、受けたサービスに対し文句言う人も、送られれきた製品・商品に対し不満を言う人も、悪い意味でクレームを言ってる人(クレーマー)ってのは、「他人のためでもあると信じて、代表して行っている」と僕は思います。


僕も社会人5年位やっているんで、例えばレストランとかでも金払ってサービス受けているのにそれが全然ダメだったり、
全く客のこと考えていないような接客されたりすると、はっきり言って腹立ちます。そして僕はまだまだ未熟なので態度に出てりします。でもそれって自分のことだけ考えているんだけじゃなくて、「金払ってサービス受けているんだからそれはないよね」っていうある意味、社会的評価のもと判断してるような気がするんです。


クラクション鳴らす行為ってのもそうじゃないですか。
邪魔だどけ。
そんなことを言いたいがために鳴らしてるのではなく、「公道を走る運転手としてドライバー全員のためにも守ってもらわないといけないマナーがあって、それを君はできていないね」ということを伝えるためのクラクション。

代表して注意してます

って感覚。
どのクレームについてもこんなことは言えるんじゃないでしょうか。

そうすると結局クレームってのも、他者からの承認欲求を満たすという原理的な人間の性質のもと、生じていると思えてきます。


ネットが栄え、消費者の力が強くなったこのご時世で、クレーマーについて考えてみました。

誰しも”必死に仕事してる”なら、深く考えずに仕事をこなす人たちに不満を感じることは多々あるでしょう。
ただ誰しもが”必死に仕事する”義務はなく、自分のペースでゆっくり動いている人もいるんですね。
自分の価値観がすべてではない。
多様性を肯定するためにも、
皆で生きやすい社会を作っていくためにも、
自分への戒めとしても、
今日のブログを書きました。

仕事ってのは課題を解決する事だ

「仕事ってのは課題を解決する事だ」っていうのを耳にしました。

ストンと落ちてこなくてだいぶ考えてみました。
課題を解決すること?
課題って?

でも深く考えてみると、確かにとらえようによっては「課題」を解決することが仕事なのかもしれません。

そもそも仕事って何でしょうか。
それは社会経済を循環させ誰かのために役立つことだと思います。

では社会経済を循環させるのってどういう行為でしょうか。

はるか遡って人間同士が意思疎通を始めた段階での、原始的な形態。それは「贈与」及び返報性の原理による「交換」になるのではないでしょうか。
これが意味していることは、互いの欲求を満たしあう。
満足しあうことこそが人と人とのコミュニケーションの初期にあったのではないでしょうか。

そこから考えても、結局「人の需要(欲望)」ってのは常にどの社会でも存在し、
それがあるからこそ需要と供給が存在し、「他人のニーズを満たす」って課題が出来上がった。

ある意味でそれが仕事です。


振り返ればあまり意識せずに日ごろ「仕事」って言葉使ってるけど、
そしてたまに『何で働かないといけないの?』『不労所得で何が悪いの?』『稼いだもん勝ちじゃん』って
金銭的経済的な側面から問われたりするけど、
仕事の哲学って何だろう。って根本的な問いはあまり聞きません。

そうなんですよね、課題を解決していくのが仕事なんです。
誰かが困っている。
社会にひずみがある。
それを正していくのが、手を差し伸べるのが仕事の本質。


現状みたいに、「金ないからたくさん残業して稼ごう」って仕組みだと
その本質なんか理解できませんよね。


そして書きながら思ったんですが、
僕は今公務員で、日ごろ仕事としては不特定多数の誰かのために、
つまり実感できない抽象的な国民のために働いているわけで、
僕はそこに不満を感じている気がします。

カッコいいからってクライアントって言葉を使いたいだけでなくw
特定の誰かに感謝されたい。
仕事をしてそんなフィードバックを得たい。

目に見えて社会に貢献したい。

隣の芝生は・・・とか言いますが、そんな気持ちもやっぱり出てきますよね。


もちろん、公務員である以上は、公務員としてのプロを目指し続けます。
プロフィール

WIPA

Author:WIPA
司法試験受験生。
転職活動中。
趣味は読書。

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